第二章 鈍行列車
第8話 ワープ
「うん、なんか吹っ切れたかも!」
朝に気持ちよく目覚め、自分の死体を見て千歳は元気よくガッツポーズをした。もうこうなったら、この状況を楽しむしかなかった。いまだに深く論理的に理解しようとすると、頭の中が軋んでしまう。
「留守の間、しっかり頼んだよ。我が肉体よ!」
そう言ってなんだか悲しくなって自分を抱きしめた。
「ごめんね……大事にしてあげられなくて……」
思えば、仕事に打ち込んで、休みの日はぐーたらするばかりで、ちっともかわいがってあげたり、きっちりとメンテナンスをしていなかったりした自分の身体だった。髪の毛はぼさぼさで、お肌もボロボロ。はげかけたネイルは自分で修正した跡がある。
なかなかに可愛らしい顔立ちをしているはずなのに、まだ歳じゃないからと言って、身体のことを考えていなかったのが、そもそも突然の心臓発作に繋がったのかもしれない。そんな風に千歳は思いながら、自分をよく見つめた。
「……戻ってくるから、絶対に。それまでは元気にしていてね」
死んでいる肉体にそんなことを言っても無駄かもしれないが、千歳は自分の身体の手を強く握った。
「ええと、この後に専門部署が来るそうですので、千歳さんの身体は任せて大丈夫です。心配しなくとも、丁重にお預かりします」
いつの間にか死神は新しいスーツに着替えており、新しいネクタイを締めていた。
「着替えたの?」
「着替えるくらいしか、一日の始まりを感じられません。私は、ネクタイを締めると、ああ今日も一日が始まると感じるようなのです」
「じゃあ、解くと今日が終わりってことだね。あのね、死神。あたしのために残業はなしね。仕事あるなら言って、終わるまで待つから。終わったら、ネクタイ解いてあげるから、そうしたらもう今日の仕事終わりね?」
いい?と千歳が下から思い切り見上げると、メガネのブリッジを押し上げて死神はほんの少し微笑んだ。
「わかりました。では、しばらくお付き合いいたしますね、千歳さん」
「よろしく、死神」
今一度握手をして、千歳は自分の部屋を出た。
一度振り返ると、そこには自分の死んだ肉体が安置されていて、やりきれなくなってすぐに前を向いた。
(大丈夫、絶対に戻れる)
深呼吸をして、千歳は一歩を踏み出した。
***
実家への行き方は、それほど難しくない。しかし、部屋を出て歩き始めてから千歳はふと思った。
「……あのさ、死神。ワープ的なことできないの?」
「ワープ、ですか?」
それはどういった案件でしょうかと言いだしそうな死神に向かって、一人暮らしのマンションのエレベーターを使って降りながら、千歳は今感じている違和感を話した。
「その、昨日のアロハの死神も、次に行くって言って消えたじゃん? そんな感じで、行きたい場所を思い浮かべたら行けるとかないの?」
死神はきょとんとした顔をした。(そういう風に見えただけで実際には無表情に変わりないのだが。)
「……そんな、都合のいいことできませんけど」
「え、神様なのに!?」
それに死神はほんの少し困った顔をした。
「
知らないと即答すると、死神はいよいよ困ったぞという顔をした。
「奈良の春日大社は?」
「それなら知ってる」
「その春日大社に祀られている神様ですよ。もともとは別の場所で祀られていましたが、藤原氏が氏神にと勧請したので、奈良の地へと赴きました」
エレベーターが一階に到着して、チーンとやる気のない音を響かせた。人が乗り込んできたので驚いてしり込みすると、死神が千歳の手を握って引っ張る。
「あ、わわわっ!」
乗り込んできた人間の身体を、千歳の身体がすり抜けて行く。完全に自分自身が物質ではないのだと、千歳は冷や汗が出た。
「話を戻しますが、奈良の地へと行くまでに鹿の背に乗ったんです。ですから、あの地では鹿は神聖な生き物とされている訳で……つまり、神様でさえ移動するのに自力なのに、なんで死神ごときがそんなことできるのでしょうか、という話です」
「いや、何となくできたら便利なのになって思って」
「世の中、それほど都合よくできていませんよ」
死神はほんの少し苦笑いのような顔になって、千歳の手を放した。
「では、まずどう行きますか?」
「あ、実家ね! ちょっと色々ビックリしてて本来の目的忘れそうになってた。ねぇ死神、実家行く前に会社に行ってもいい? 生きてたら、ホントは今日出勤日だったんだよね」
「いいですけど、どうしてですか?」
千歳はふうと溜息を吐いた。
「会社じゃなくて、隣にあるお稲荷さんにお参りに行きたいの。毎朝立ち寄ってたから、こんな遠出するのに挨拶行かないのもなんだか気持ち悪いなって思って」
死神はお安い御用ですよと、楽しそうにした。
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