第7話 眠らない

 そうと決まった千歳は、今すぐにでも出発しようとしたのだが、色々と事務処理があるので待ってほしいと言われて、結局一晩、部屋で死神と一緒に過ごすことになった。


 明日の朝には出発するからねと、準備をしようとしたのだが、何も持って行けるものがないために呆然とクローゼットの前に立ちすくんだだけだった。


 死んだら何も持っていけないとは本当のことだな、と千歳は思った。ちょっぴり都会を離れて実家への逃避行気分だった千歳は、その気分が一気に下がってしまった。


 泣きつかれていた千歳は、やることもなかったので布団に入るとすぐに睡魔が襲ってきた。まだ身体がほわほわしているような気がしていたのだが、一晩たてば慣れますよと死神に言われて優しく布団をかけてもらった瞬間に寝た。


 目が覚めたのは、真夜中のことで、目を開けると死神が大量の書類を小さな机と空中に広げながら作業をしていた。


 千歳はベッドからその様子を見た。眼鏡を外し、几帳面に資料に目を通しながらそれに何かを書き込んでいる姿は、どう見ても人間と変わりなかった。


「……起こしてしまいましたか?」


 目をうっすらと開けている千歳に気づいて、死神が顔を向けた。


「ううん、大丈夫。それ、仕事?」


 そうですよ、と死神が呟いてから、そしていったん手を止めて息を深く吐いた。

「明日に出立できるように、できる限りまとめています。なので、千歳さんは安心して眠ってください」


「え……」


 時計を確認すると、夜中の二時を回っていた。まさか、こんな時間まで自分のために仕事をしていると思わなかった千歳は飛び起きた。


「ちょっと待って、それ残業だよね? 手当つくの? なんで、あたしのために……」


「質問が多いですね。ちょっと私も休憩しましょう。胡坐をかいてもいでしょうか?」


 律儀に正座していたようで、好きにしてよと千歳が言うと、足元を崩して首を左右に振った。


「もちろん残業ですので、手当はつきます。私が通常業務から離れるので、補佐達への伝達事項なんですよ。これが終わらないと、明日からの業務に支障が出ますから」


「だとしても、じゃあ、明日一日待ってってあたしに言えばいいじゃん」


 それに死神は首をかしげた。


「なぜです?」


「なぜって……」


「私たちは今、あなたに迷惑をかけている状態です。これ以上迷惑をかけてしまうのははばかられます。千歳さんは実家に帰りたいと言った時、嬉しさと悲しさがありました。ですから、早く連れて行ってあげたいと思ったのは、余計なおせっかいでしたか?」


 千歳は唇を引き結んで、死神を見つめた。


「死神のくせに、へんなの」


「そうでしょうか。申し訳ないです」


 あやまんないでよ、と千歳は布団に顔を半分うずめた。千歳のために働いている姿も、思いやりも嬉しかった。そんなことを会社の人間にされたことがなかったので、人間よりも人間らしいなと死神を見つめた。


「私の顔に、何かついていますか?」


 それに千歳は顔をふるふると振った。眼鏡を外した姿は、初めて会った時よりもより優しそうに見えた。


「それより死神、あなたに名前は?」


「私たちに固有の名前はありませんよ」


 さも当たり前だと言わんばかりに言われて、千歳は驚いた。


「それじゃあ、どの死神だか分かんないじゃん?」


「私たちは思考を共有できますので、どの死神かを伝えたいときはその特徴を思い出すと相手に伝わりますから……」


「なにそれ、便利」


 それに死神はそうでもないですよ、と漏らした。


「……じゃあ、あたしがいい名前今度つけてあげるよ」


「それは光栄です」


 千歳は笑った。


「ところで寝ないの?」


「私たちは眠りません。肉体がないので、寝る必要がありません」


 じゃあ何で千歳は眠いし寝ているんだと思っていると、死神が先手を打った。


「あなたはまだ慣れていませんし、いきなり魂魄の状態になったので休息が必要です。数日は眠いと思いますが、病気とかじゃないので安心してください」


「わかった。じゃあ、私もう少し寝るね」


「ええ。ゆっくり休んでください」


 また仕事の資料に目を向けた死神を見て、千歳は心がきゅっとなった。


「……眠らないのって、どんな感じ?」


 つい、言葉に出していた。死神は立ち上がって、千歳のベッドの横に来る。


「心配してくれているんですね。大丈夫ですよ、私たちはそれくらいで壊れたりしません。眠らないのは……そうですね、ずっと、生きている感じです」


「ふふふ……何それ、死神なのに?」


「そうですね。もっと良い返答ができるように善処します。さあ、千歳さん、あなたはもう眠って。明日は早いですよ」


 おやすみ、と布団を直して、頭をさらりと撫でられると、千歳は急激に眠気がやってきた。お休みも言えないまま、死神の残像を瞼に閉じ込めた。

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