第4話 十歳、歩く治外法権

 あれから五年が経ち、私は十歳になった。

 親子、兄妹関係修復は順調で、両親も兄も妹も放置することはなく、相変わらず構ってくれる。

 そのおかげで、家族や公爵家の使用人達に時折、笑みを浮かべるくらいは出来るまでには表情筋が仕事してくれるようになった。

 まだ、二割くらいだけど。

 ただ、使用人達の間では、私の笑顔を見られた日はとても幸福なことが起きるのだという噂が立っている。何でや。

 私の侍女のルチルと護衛騎士のジャスパーが私にそう教えてくれた。

 ちなみに、二人共、見習いから昇格して、正式に私の侍女と護衛騎士になった。

 というのも、二人の前で私が微笑んだ後に見習いから昇格したからという事実が大きかった。

 それからは使用人達は自分達の公私に何かあると、私の動向を見守り、微笑みを見る瞬間がないかと目をギラつかせる日々となった。

 視線が増えて、若干、負担に思うようになり、無表情が多くなった。

 それに気付いた兄と妹の行動は早かった。

 アメジストの護衛騎士候補として、ジャスパーと同期の見習いを私に練習として付かせ、兄と妹は私の微笑みを敢えて候補に見させた。

 彼は私の微笑みを見て安心した結果、候補から落ちた。

 使用人達には衝撃だったらしく、私の微笑みを見ようとギラつかせることはなくなった。

 余談だが、その数年後、ジャスパーの同期の護衛騎士候補の彼は騎士を辞め、代わりに私の専属の執事になるので、結果としては幸運なことが起きたと言えるらしい。私としては戦う執事って格好良いよねくらいの驚きだが。

 その騒動以降は、男性としての教養も、女性としての教養も順調だ。

 魔法をたくさん習ったことで、攻撃や防御魔法以外にも身体強化魔法を覚えた。

 魔力が高いこともあり、身体強化魔法はほぼ常時発動している。

 そのおかげで剣技も向上し、めきめきと強くなっているはずだ。

 ダンスは男性役も女性役も出来るようになり、少し複雑だ。

 勉強面も問題ないようで、両親や執事、家庭教師からは及第点をもらえている。


「ラピスお兄様は本当に凄いですわね……。尊敬します……」


 ティーカップに手を添えたまま、アメジストが呟いた。


「どうしたの、アメリ?」


 今日は休養日で、男性の服を着た私は首を傾げながら、アメジストに聞く。

 相変わらずの無表情で首を傾げて、怖いよね。申し訳ない。


「ラピスお兄様は男性の教養も、女性の教養も勉強なさってて大変なのに、お父様達から及第点を貰えていらっしゃるでしょう? わたくしは女性の教養だけなのに、何だかラピスお兄様に申し訳なくて」


「……私の場合は覚えないと、誰にも目を向けてもらえないのではと危機感のようなものを抱いていたからだと思う。もちろん、今はそう思っていないよ。だから、アメリは申し訳ないと思わないで」


 何とか笑みを浮かべようとしたが、無表情のままだった。本当にこういう時くらいは表情筋も仕事して欲しい。


「ラピスお兄様、ありがとうございます。もう、優し過ぎます……」


「大切な、私の可愛い妹だからね、アメリは」


 兄妹だから、家族だから優しく出来る。

 まだ公爵家の外に出たことがないから、私の世界は狭い。私の知る人達は家族と公爵家の使用人達のみだ。彼等は私の懐の中なので、優しく出来る。

 前世の記憶を思い出した時から、ラピスラズリを取り巻く環境は変わった。

 五歳の時は前世と今世の記憶しか上手く混ざらなかったが、五年が経ち十歳になったラピスラズリの感情は前世の私の感情と上手く混ざりつつある。

 そのおかげで、両親と兄と妹からの愛情も、使用人達からの愛情も感じるようになり、無表情はそのままだが、心は大分落ち着けるようになった。

 このまま、公爵家の中でずっと過ごしたいと思うくらいだ。

 それは難しいのも分かっているけど。

 今後、年齢が増えていく度に、外に出ることが増える。

 筆頭貴族の公爵家の次男なので、社交界にも否応なしに出ないといけない。

 ここは乙女ゲームの世界。

 数年後、私は攻略対象キャラクターとして、ヒロイン達と学園で会うことになる。

 ヒロインに攻略されないように逃げて、攻略対象キャラクターから上手くドロップアウトするつもりだ。

 これは感情が混ざりつつあるラピスラズリとも見解は一致している。

 男性だと偽る攻略対象キャラクターの女というのは、ヒロインに対して本当に申し訳がない。

 憂鬱だ。

 ドロップアウトするためにも、このまま無表情のままで生活するつもりだ。

 始めは家族のためにも無表情から脱却することも考えたが、学園のこともあるので無表情のままの方が近寄る者も減るのではと考え、結局、スキル氷の貴公子を固定装備のままにした。元々、任意で外せないけど。


「ラピスお兄様も大分、表情が豊かになりましたわよね」


 ん? 表情が豊か? 私が? 無表情のままですが?


「無表情のままだと思うけど……」


「確かに無表情のままですけど、わたくしにはちゃんと嬉しいや悲しいとかラピスお兄様の感情が分かりますわ。お父様もお母様、セルレお兄様も分かると思いますわ。ラピスお兄様の侍女のルチルや護衛騎士のジャスパーもだと思いますわ。ね?」


 私の後ろに立つ侍女のルチルと護衛騎士のジャスパーにアメジストは話し掛ける。


「もちろんです。ラピス様に付いて八年経ちますが、無表情の中にも感情があり、分かるようになりました」


 うんうんとジャスパーも頷いている。

 いやいやいや、無表情の中にも感情があるって、ちょっと言ってること怖いんですけど?!

 この人達、悟りを開いた?


「あー……ラピス様が怖がってますよ、アメジストお嬢様」


 ジャスパーが的確に私の感情をアメジストに伝える。確かに、私の無表情から感情を読み取っている。怖いけど。


「怖がるだなんて、ラピスお兄様のお気持ちをちゃんとわたくし達は分かってますよ、とお伝えしたいだけですのに」


「……そうか。それはありがとう」


 嬉しくてお礼を述べて、小さく微笑んだ。

 今は表情筋が仕事したようだ。


「……ラピスお兄様。その笑顔は不意打ちですわ」


 私の微笑みを直撃させてしまったアメジストは顔を真っ赤にして、ぷるぷる震えだした。


「ラピス様、どうして私達にはその笑顔を見せて下さらないのですか! 私達にもご褒美を下さいっ」


 アメジストの状態が尋常ではなかったようで、背後に立っていたはずのルチルとジャスパーが私の前に出て訴え始めた。


「ルチルの言う通りです! 俺達にももっとご褒美があってもいいと思います! 今度は是非ともラズリ様のお姿で……!」


「――へえ、私の大事なラズリの姿で、何のご褒美だって?」


 空気がヒヤリと冷たくなった。

 またか。


「セルレアイト様……」


 ジャスパーが失敗したといった表情を一瞬、浮かべるのを私は見逃さなかった。


「……ラズリの姿で笑顔を見せて欲しいそうです。ジャスパーに他意はありません」


 庇ったつもりが庇ってなかったようだ。

 ジャスパーの顔が、まるで目の前で綱を切られ、橋から落ちるような、絶望した表情を浮かべた。


「……ラピス。一つ伝えておくけど、ジャスパーはもう十五歳だ。この中で一番、年上で男だ。いくら仕えているとはいえ、ラピスは女性だ。何かされても抵抗出来ないかもしれない。兄としてはもう少し、自分を大事にして欲しいな」


 セルレアイトが私の両肩に手を置いて、男は皆狼だと言いたげな顔で説く。

 そう言われても、私に何かするメリットがジャスパーにない気がする。

 戸籍の性別を偽る女に何のメリットがあるのか。

 欲望の捌け口とかなら、無表情な私ではない方がいいと思う。いや、知らんけど。


「……ジャスパーが、私に何かをするメリットがないように思えますが」


「いや、ジャスパーこそ気を付けた方がいいと私は思うよ。こいつ、変態だよ?」


 セルレアイトがジャスパーをこいつ呼ばわりすることに驚きつつ、無表情に二人を見る。


「えっ?」


 私ではなく、何故かアメジストがジャスパーを見ている。


「……ジャスパー、アメリに何かしたのなら、私も許さないけど」


「ラピス様、本当に何にもしてませんよ?! というか、ラピス様、無詠唱で氷の玉を俺の周りに出すのやめて下さいませんか?!」


 言いながら、ジャスパーはふるふると首を振る。

 その彼の周りに、大人の拳大くらいの大きさの氷の玉を十個を出して浮かせている。

 魔力が高いおかげで、さくさくと魔法を覚えていった私は、家庭教師からはほとんど教えることはないと言われている。


「ラピスお兄様、わたくしのこと心配して下さってるのですか?」


「当たり前だよ、アメリは私の大事な妹だから」


 ここで笑顔が出れば良いのだけど、やはり無表情は相変わらずだ。


「ラピスお兄様……!」


「それで、本当にジャスパーに何もされていない?」


「されてませんわ。わたくしが驚いたのは、その、変態? な方をラピスお兄様の護衛騎士にしても良いのかと思って、声を出してしまいましたの」


 アメジストが申し訳なさそうに私を見る。

 それを聞いて、私は氷の玉を消す。ジャスパーがホッとした息を吐いた。


「そういうことなら問題ない。変態なら変態の考えというのが分かるだろうから。だから、敢えてラピスに付けたんだよ、アメリ」


 セルレアイトが笑顔で私とアメジストに伝える。

 だんだん、ジャスパーが可哀想に思えてくる。

 今のところ無害だし、そろそろ助けてあげた方が良いかもしれない。


「ジャスパーはちゃんと護衛してくれるし、何もしてないよ。安心して、アメリ。セルレ兄上も、そろそろジャスパーを誂うのはやめて下さい。彼はちゃんと仕事をしてます」


「ラピス様……! 俺、一生、ラピス様に付いていきます!」


 感動しながら、ジャスパーは目を潤ませる。


「あ、そこまではしなくていいよ。ちゃんと恋人を見つけて、幸せになって欲しい」


 無表情で私がそう言うと、セルレアイトとルチルが吹いた。


「ラピス。それは流石にジャスパーが可哀想だよ」


「そうですか? 一生までは私も責任持てませんし、一生を縛るのは可哀想かと思いますが……」


 特に私は結婚しないし、公爵領で一生を過ごす予定で、自分一人分のお金のみしか稼ぐつもりはない。そこに誰かを巻き込むつもりはない。


「ラピス様、もう少し夢を見させて下さいよ……」


 がっくり項垂れて、ジャスパーは呟いた。

 私が追い撃ちを掛けてしまったようだ。

 だが、オチとしては良いと思うけど、どうだろうか?







 そして、次の休養日になり、私はアメジストの提案で、一緒に公爵邸の裏庭を散歩することになった。


「うぅ……本当はラズリお姉様の格好でお散歩がしたかったのに……」


「ごめん、剣の鍛練がしたくて、男の格好をしてた。今度はドレスを着るから……」


 ちょうど私は剣の鍛練をしようと思って、男の格好をしていた。そこにアメジストがやって来て、散歩の提案をされたのだ。


「それにしても、ラピスお兄様の髪、かなり伸びましたわね」


 じっと後ろで束ねた長い瑠璃色の髪をアメジストが見つめる。

 五歳の時は男性だったので、髪は短かった。

 女性になってしまってからは、女性の教養も覚えないといけなくなり、ドレスも着ないといけないので髪を伸ばすことにした。

 今は腰まで伸びている。

 結果、乙女ゲームの氷の貴公子と同じ髪型になった。まだ十歳だけど。


「ドレスを着ないといけないからね。短い髪でドレスは似合わないだろう?」


「そうですわね……。ラピスお兄様は似合いそうですが、少し違和感はありそうですわ」


 そこは違和感しかないだろう。

 短い髪の無表情の氷の貴公子が女装……もとい、ドレスを着たら、気でも狂ったかと思われる。

 まぁ、ラピスラズリは綺麗な顔だから、短い髪でも確かに似合うかもしれないが、それでも違和感しかない。私が。


「それなら尚更、ラズリお姉様の格好でお散歩したかったです……」


 しゅんと眉をハの字にしてアメジストは俯く。

 裏庭を散歩と言っても、貴族の令嬢なので、アメジストも日除けの帽子と日傘を持っている。

 ちなみに、私は男の格好なので帽子も日傘もない。念の為の剣を腰に佩いている。

 公爵邸の裏庭といっても、かなり広い上に、裏庭という言葉のイメージか、暗い庭を想像するが、全く反対の明るい、綺麗な花々が咲いた庭で、奥には四阿があり、少人数のお茶会も出来るくらいのテーブルと椅子、屋根がある。

 今の季節は春なので、色とりどりの花が咲いている。ちなみに、裏庭の土は庭師のおじいちゃんが腰を痛めそうだったので、鍛練代わりに私とジャスパーで毎日運んでいる。


「今度、休養日の時は必ずドレスにするから」


 我ながら妹に弱いなと感じながら、私が言うとアメジストは大きく頷いた。


「絶対ですからねっ! ラピスお兄様」


「約束するよ」


 私も頷くと、アメジストは満面の笑みを浮かべた。

 と、同時に突風が吹いて、アメジストの帽子が舞い上がり、近くの木に引っ掛かった。


「あっ、帽子が!」


「私が取るよ」


 アメジストの頭をぽんぽんと優しく叩き、帽子が引っ掛かった木に近付き、五歩くらい助走をして木の幹を蹴る。上に跳んで、身体が空中に上がった時に手を伸ばし、帽子を掴んだ。

 しっかり掴んだのを確認して、着地する。

 アメジストの元に戻り、帽子を渡した。


「はい、アメリ」


「ラ、ラピスお兄様……! 怪我っ、怪我はありませんの?! と言いますか、さらりと帽子を取って下さいましたけど、あんなに高く跳びますの?! あ、帽子を取って下さいまして、ありがとうございます!」


 帽子を受け取ったまま、アメジストが私に興奮気味に聞いてくる。

 ほぼ常時発動中の身体強化魔法のおかげで、掛けている間は力や跳躍力とかが上昇している。

 正直、ここまで跳躍力が上がっているとは思わなかったので、私も内心驚いているが、相変わらず表情筋は仕事をしていない。


「怪我はないよ。身体強化魔法を使って取ってみたんだ。だから、私もあんなに高く跳ぶとは思わなかったよ。出来れば、父上、母上、兄上には内緒ね」


 アメジストの耳元で小さな声で伝えると、彼女はくすりと笑った。


「ラピスお兄様もやんちゃなことをしますのね。そんな一面も見られて嬉しいです。わたくし達の秘密ですね」


 二人だけの秘密が出来て、嬉しそうにアメジストは笑う。妹、可愛いなぁ。前世では一人っ子だったので、余計に可愛い。

 一応、私も元男の子だし、今は男の格好だし、ほとんどお客は来ない公爵邸の裏庭なので、多少のやんちゃは大目に見て欲しい。

 私とアメジストの遣り取りを空気のように気配を消して、ルチルとジャスパーが微笑ましく見ている。二人だけの秘密にはならないと、アメジストは気付いてるのだろうか。


「ラピス、今、跳んだ?!」


 セルレアイトの声が聞こえて、そちらに私とアメジストは顔を向ける。

 びっくりした顔の兄の後ろに、知らない誰かが居た。

 ……お客、来たじゃん。

 何で、私がやんちゃした時に来るかな。

 しかも、内緒にしようと思ったのに。


「アメリの帽子が木に引っ掛かったので取りました」


 無表情でさらりと告げると、セルレアイトと知らない誰かが驚いた顔のまま固まっている。

 その知らない誰かは常磐色の髪、若緑色の目の兄と同じくらいの年頃の、高貴な雰囲気の綺麗な顔の少年だった。そして、綺麗な顔だが、いたずらっ子っぽい顔をしている。ただ、その顔は何処かで見たような気がする。

 服も上質な素材で高級感あふれるデザインなので、恐らく公爵家くらいの上位貴族なのだろうと思う。

 そこで、はたと気付く。

 あの綺麗な顔、何処かで見たことがあると思ったら、前世でプレイした乙女ゲームのメイン攻略対象キャラクターの王子じゃん。少年だったから気付くのが遅れてしまった。

 確か、名前がアレキサンドライト・ヘマタイト・トワイライト。トワイライト王国の第一王子。

 彼のルートに入ると、将来、王太子になり、ヒロインと結婚するキャラクターだ。

 兄と同い年だったはずだ。二歳上か。

 しかも、国王と私達の母が兄妹なので、私達兄妹とは従兄妹にあたるはず。

 前世で興味なかったから、彼のルートは一度しかプレイしてないんだよね……。

 しかも、ラピスラズリが出るシーンがあまりないというか、ヒロインとの恋愛シーンしかなかったから、ちゃんと覚えていない。甘ったるい台詞ばかりで鳥肌がずっと立ってて、音を消してプレイしたくらいだ。

 まぁ、今世の私も、今後、彼とはほとんど接点がないので、ほとんど会うことはないと思うけど。

 ただ、とりあえず、失礼になるだろうから、挨拶はしておこうと思う。挨拶をしない私のせいで、アウイナイト公爵家の子供は失礼と思われたくない。


「初めまして。ラピスラズリ・シトリン・アウイナイトと申します。王国の太陽であらせられる、アレキサンドライト第一王子殿下にご挨拶を申し上げます」


 左胸に手を当て、頭を下げて、挨拶をする。

 本当はここで微笑みたかったのだけど、私の顔は相変わらず仕事をしてくれなかった。

 というか、この口上、教養として習ったから言うけど、面倒臭くない?!

 顔には出さないが、言われた方はどう反応するんだろう。


「あ、お久し振りです。アメジスト・シェル・アウイナイトです。王国の太陽であらせられる、アレキサンドライト第一王子殿下にご挨拶を申し上げます」


 私が挨拶すると、アメジストも慌てて襟を正して、カーテシーをする。

 身内贔屓だが、アメジストのカーテシーは、とても綺麗なカーテシーだ。流石、元王女の母仕込み。

 お久し振りってことはアメジストは王子に会ったことがあるのかと知る。

 まぁ、私は会っても会わなくても、将来のスローライフの邪魔にならなければいいです。


「あ、ああ。俺はアレキサンドライト・ヘマタイト・トワイライトだ。挨拶ありがとう」


 何故か顔を赤くして、王子は頷いた。乙女ゲームではそんな素振りはなかったが、恥ずかしがり屋なのだろうか。


「ラピス、よく分かったね。アレキサンドライト殿下にはまだお会いしたことがないのに」


 まだって何だろう。凄く誤解を招くような言い方なんだけど。

 わざと会わそうとしなかったのかなと感じる。

 会わなくても私は全く問題ないけど。


「いえ、セルレ兄上が公爵邸の裏庭までわざわざお連れする方、となると気心の知れた方かなと。そうなるとよくお話されてる第一王子殿下かと……」 


 そう、最近、兄はこの王子の話をよく食事の時に話す。

 兄は、トワイライト王国の四大公爵家の一つで、筆頭貴族のアウイナイト公爵家の嫡子。所謂、次期当主なので、王子の側近候補の一人だ。

 重要なことはもちろん話さないが、それ以外の他愛ない、馬で遠乗りしたとか、剣の手合わせをしたとかそういった話をしている。

 話題に上る相手だし、何より乙女ゲームで見た王子の少年の姿なので。口が裂けても言えないけど。


「私の話を覚えていてくれたんだね。ラピスはよく覚えてるね」


 そう言いながら、セルレアイトが頭を撫でる。

 兄に撫でられる私を王子はじっと見ていることに気付き、そちらに目を向けると、彼は驚いた表情をする。

 さっきから何故、そんなに驚くのだろうか。


「……貴女は女性か?」


「いえ、男です」


 無表情で私は即答する。


「だが、髪が長い……」


「髪が長い男性もいらっしゃいますよね? 例えば、国王陛下とか」


 私は会ったことがないけど、両親から聞いたことがある。

 両親と考えた、私が女性では? と言われた時のための問答の一つだ。


「身体が細いのは……」


「たくさん食べても、なかなか太らないので困ってます」


 母が考えた答えだけど、自分で言っててどうかと思うけど、女性としては羨ましい悩みだな、おい。

 大人の女性に聞かれたら、敵に回るよ、これ。


「その、女性のような顔は」


「生まれつきで、母似です。流石に顔のことを仰るのでしたら、いくら第一王子殿下でも侮辱と取り、両親を通して国王陛下に訴えさせて頂きますが」


 無表情のまま伝えると王子は狼狽えた。

 それを兄と妹が驚いた様子で、私を見る。

 ちなみにこれは両親と考えた問答ではない。

 正直なところ、私は頭に来ている。

 王子にとって、私が男性だろうが、女性だろうがどちらに転んでも、どうでもいいはずだ。

 なのに、私の答えを信じずに失礼なことばかり聞いてくる。

 何度も思うが、無表情だが、私にも感情はある。

 これ以上王子が言うなら、不敬と言われようが、貴族としての地位――公爵家の次男という肩書きを剥奪されてもいいから一発殴るつもりだ。

 むしろ、剥奪されれば、公爵領の何処か人が少ないところでスローライフが出来るのでは? そうなってもいいとさえ思っている。

 その前に反逆罪とか言われて、処刑されるなら反撃するけど。

 私としては、たかが子供のパンチ一発で即処刑になるのなら、器の小さい王族だと思うけど。


「す、すまない……そんなつもりはなくて、その、貴女の顔がとても綺麗だったから」


 何かまだ貴女って言ってる。私は戸籍上は女性ではないぞ。実際は女性ですけどね!

 実際のところ合ってる分、否定しておかないとこれから先も会った時に絶対に聞いてくる。私は会う気がないけど。


「……ですから、私は男です。すみませんが、これ以上お話は続かないと思いますので、この場を辞させて頂きます。どうぞ、兄とごゆっくり」


 お辞儀をして、離れようとするとアメジストが私の右手を握る。一緒に帰ってくれるみたいだ。

 逆に、兄と王子が何故かショックを受けた顔をした。

 アメジストと一緒に帰ろうとした時、誰かに左手を掴まれた。

 振り返ると王子が私の左手を掴んでいた。


「待ってくれ。貴女のことが気に入った。俺の側妃にならないか?」


 は? こいつ、何言ってんの? 側妃?

 恋愛する気も結婚する気もない私のことは置いておくとして、普通、側妃つまり二番目の女にならないかって女性に言うか?

 女性はその人の一番になりたいと思う人が多い。

 しかも、このまま順調に行けば、王太子、国王になるヤツが正妃ではなく、側妃と言う。側妃にする理由が気に入ったから。

 気に入ったからという理由で、正妃にもすることが出来ない器の小さい男が、前世の推しを口説こうとするとはいい度胸だ。

 女性を舐めるなよ。


「お断り致します。私は男ですので。第一王子殿下、お話は以上でしょうか?」


 無表情が更に無表情になり、冷ややかな目で即答し、王子を見る。私の表情を見たらしい兄が顔を青くしている。

 王子に対して不敬だと思っているなら、この最低な男を止めるか、私と縁を切って無関係だと言うかどちらかにして欲しい。それぐらい私は最低な王子に怒っている。


「な、何故、断るんだ? 王族になれるのに」


 心底驚いた表情で、王子は私を見る。

 いや、本当にこいつ、何言ってんの?


「……誰しも王族になりたいと思っていないということです。それに、私達の母は王妹ですので、準王族です。だからと言って私は王族には興味はありません。どちらにしても、私は何度も言いますが男ですので、第一王子殿下の結婚相手にはなり得ません。どうぞ、王族になりたがっている素敵なご令嬢をお探し下さい。私はお門違いです。それと、不敬承知で申し上げますが、会って間もない人に対して側妃にならないかは、とても失礼です。最低です。同じ男として有り得ません」


 無表情で言い放つと、王子が信じられないといった顔をした。その横で、黒い笑顔になった兄が王子を見ている。


「……殿下、流石の私も聞き捨てなりませんね。私の大事な弟に側妃にならないかと言い、男の子なのにずっと女の子と言い続けるなんて、失礼極まりないですよ? 弟が怒るのも無理もないですね」


「え、怒る? あの子は怒ってるのか?」


 無表情だからね。分かりにくいよね。それはごめん。

 顔に出ない分、声に怒りを混ぜてるんだけど、流石に会って数分の王子だと分からないか。


「ええ。ここまで怒っているのは初めて見ましたね。正直、後で落ち着いてくれるのか不安でいっぱいです。ですので、殿下、とっとと帰りません?」


 セルレアイトの王子に対する言葉がだんだん投げ遣りになってきた。

 というか、王子の機嫌より、私の機嫌なんだ。流石、シスコン。


「初めて……。つまり、貴女は初めて怒ったのが、貴女の兄妹や家族ではなくて俺なんだな! やはり俺の側妃にならないか?!」


 王子は目を輝かせて、私を見てきた。

 何、その極言! 斜め上に前向きだな!

 この王子、私とは話が合わない。無理。


「何度言ったら分かって下さいますか? 私は男です。側妃を押し付けてくるのは失礼です。最低です」


「分かってるよ、美しい君。俺の側妃に……」


「なりません。なりたくありません。私が男ということを三度、側妃を押し付けてくるのは失礼、最低と二度言いましたが、それでも分からないということは第一王子殿下の頭は残念なのですか?」


 無表情が更にもっと無表情になっていく。冷ややかな目、冷ややかな声で、私の周りの空気が冷たくなっていく。きっと、魔力が漏れている。

 これでも我慢している。本当ならもっと辛辣な言葉を言いたい。けど、相手は王子。面倒臭いが家族のために抑えて言っているつもりだ。ついでに言うと、拳か蹴りかどちらかを喰らわせたい。


「俺は残念ではないぞ。これでも色々考えて、貴女を側妃にと言ってるんだ。本当は正妃にしたいところだ。だから、俺の気持ちを汲んで、側妃に……」


 ああ、つまり、正妃にすると利権や政略とか何かと面倒臭いことが起きるから、比較的自由な側妃の方が選びやすいってことね。

 本当に王子だけの気持ちを汲んでるね。こちら側の気持ちは全くなし。

 そんな話、誰か従うか!


「なりたくありませんと先程お伝えしましたが? それに何度も何度も言ってますが、私は男です。第一王子殿下も、私の気持ちを汲んで下さいませんか? 嫌だとお断りしているのが分かりませんか?」


「嫌よ嫌よも好きのうちという言葉がある。貴女は俺のことが」


「嫌いですが? 人の話を全く聞かない、通じない方など、私は男性であろうが、女性であろうが大嫌いです。これ以上、側妃側妃と仰るなら、国王陛下に直接抗議させて頂きます。二度と私には近付かないで下さい。それでは失礼致します」


 私が限界に来たので、引導を渡す。

 ここまで話が通じない人との会話はいつ振りだ。

 前世の時と合わせてもなかなかいない。

 この王子、今までどうやって育ってきたのだろう。何でも思う通りに過ごして来たのなら、私とラピスラズリには尚更合わない。

 掴まれた手を離そうとすると、意外にもすんなりと離せたので、これ幸いと思いこの場を離れた。

 アメジストも私に付いて来てくれた。






 そして、その夜、両親に今日の出来事を伝えると次の日の朝には、国王に話したようだ。

 昼の時点で、国王からお詫びの手紙と品物が届いた。対処が早いな。

 恐らく、私を大切にすると国の繁栄をもたらすそうなので、国から出られるのは困るのだろう。

 意外とそういう眉唾物の話を国王が信じているのが驚きだ。ジンクスとか信じそう。

 国王とは別に、王子からも謝罪の手紙と品物が届いた。

 手紙の中身は要約すると失礼なことを言って悪かった。女性ではなく男性だ。無理強いはしない等、謝罪の言葉が綴られていたが、あまり信用出来ない。

 というのも、お詫びの品物は女性用のドレス一式だった。


「……本当に人の話を聞いていない。しかも、ドレス一式を贈ってくるあたり、まだ私が女って思っているということじゃないか……」


 相変わらずの無表情で手紙を封筒に戻す。

 捨てようか悩むけど、何かの証拠になるかもしれないかもと思って躊躇する。


「そうですね……。しかも、ラピス様。こちらのドレス、ラズリ様のサイズにぴったりです」


 ルチルからとんでもない一言が飛んで来た。


「いらないから、送り返しておいて」


 無表情でルチルに伝えると、彼女も良い笑顔で頷き、ドレス一式が入った箱を持って行った。

 ちなみにルチルがドレスを送り返そうとしたら、何故か両親が送り返すと言い、送り返した次の日に国王からお詫びの手紙が届き、また王子から違うドレスが一式届いた。


「もう、絶対に王子には会わない」


 そう私は心に決めるのだった。

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