第4話

「ピピピッ!ピピピッ!」

純のスマホのアラームが鳴っている。純はその音と共に目を覚ました。

(んと今日の予定はっと)

純はタブレットを開いてスケジュールを確認した。今日のスケジュールは昨日とは違っていた。十二時からの会議の前に新たな項目が追加されていたのだ。

(ん?この十時から一階で幼児と触れ合いってなんだ?朽木さんが何か仕事を見つけてくれたのかな?)

純はそう思いながら、ここでの三日目の朝を迎えていた。流石に三日目になるともう慣れたもので、純はいつもの自分で決めたルーティンを淡々とこなしていった。

そしてスケジュールに載っている時間までに、準備を終えて部屋を出た。


純が一階に降りると、その廊下にはすでに唯がいた。唯は純を見かけると、

「おっはよ〜一之瀬さん。今日も早起きだね」

そう言って満面の笑顔で唯に挨拶した。それに対して純も、

「おはようございます渡辺さん。そんな早起きでもないですよ〜」と少し謙遜して返した。そんな純に対して唯は、

「さて、今日は私と一緒に幼児と触れ合ってもらうからね!」

意気揚々として純にそう告げた。その後で、慣れた手付きで幼児がいるところのガラス張りの壁の部分にそっと手を触れた。すると昨日と同じく、壁が横にスライドしてドアが開いた。

そしてその中に入ると、元気一杯の幼児が二人を出迎えてくれた。

「あーわたなべしゃんだ〜。わたなべしゃんおはようごじゃります」

胸にリキヤって名札に書いている男の子が唯にそうあいさつしてきた。そして

「わたなべさんおはようです」

今度は胸にノゾミって名札に書いている女の子があいさつした。更に、

「えっ?なになにきょうはわたなべさんくる日だったんだ。わーーーい」

その二人の子供の後ろから、顔のそっくりな双子の子供が、唯の顔を見て喜んでいる。その胸の名札にはユリとエリと書かれていた。

「はいはいみんな〜〜〜今日はね〜〜〜・・・じゃ〜〜んあたらしいみんなのナカマになったいちのせさん連れてきたよ〜〜〜みんな〜〜〜なかよくしてね〜〜〜」

唯は慣れた感じで手を何度か叩くと、集まった四人の児童に対して純を紹介した。

「えっとー・・・は、はじめまして〜〜〜いちのせで〜す。みんな〜〜なかよくしてね〜〜」

ちょっと不慣れな感じで、純も児童に挨拶した。そんな純に向かって、

「ハーーーーーーーーイ」四人の児童は元気良くあいさつした。そして、

「ねーーーねーーーあっちで遊ぼうよーーーー」そう言いながら純と結衣の周りに集まって手を引っ張った。

この部屋は子供の部屋といった感じだった。机が何個かはあるがタブレットはない。その代わりに絵本が置いている子供用の本棚があっただけだった。おそらく勉強を重視していないのであろう。その証拠に、ここの子供部屋にはいわゆる知育玩具と呼ばれる玩具が多数あった。更に子供が大好きなボールプールだったり、アスレチックスだったりとしたエリアが、だだっ広いフリースペースとは別にあった。そのアスレチックスのエリアは、ちょっとしたショッピングモールにある子供の遊び場そのものだった。

「ねーーーー早く早くーーーーよーーーしおにごっこだーーー」

五人はそう言って純と唯を半ば強引に鬼ごっこに誘った。

「よーーーしいちのせさんがおにだーーーみんなーーー逃げろーーーー」

「ワーーーーーキャーーーーーーーー」

こうして六人は楽しくおにごっこを始めた。


しばらくおにごっこをやった後で、はしゃぎ疲れた五人の子供達はおにごっこをおしまいにして、それぞれ思い思いに散り散りに散っていった。

「ハアーーッ・・・ハアーーーッ・・・ハアーーッ・・・」

純はヘトヘトだった。最近運動していないツケが一気に回って、息も切れ切れになってその場に倒れ込んだ。そんな純を見て唯が声を掛ける。

「フフフ子供って本当に元気だよね」

唯も少し疲れてはいたが、子供と遊ぶのに慣れているのか、純の様にへばってはいなかった。

そして唯が話を切り出した。

「あの子たちあんなに元気なのにそれぞれ訳ありなんだよ。やっぱこういう子供の姿見てると私達がやってきたことが報われる気持ちになれる・・・私はね・・・たまに今の仕事に疑問抱いたりするんだ・・・だから一週間に最低一回はこうやって子供達と触れ合う様にしてるの。そして思うんだ。あーー今この子供達が元気でいるのは、私達の仕事のおかげなんだってね」

唯は遠くを見つめながらそう言った。唯もまた純と同じく、この仕事に疑問を持ちながら続けていたのだった。その話しを聞いて純は少し気持ちが楽になる感じがした。そして唯は更に話を続けた。

「ちなみにさっき一緒に遊んだ子達いたでしょ?一人ずつ言っていくとリキヤさんが両親が蒸発。ノゾミさんが赤ちゃんポストね。そして双子のユリさんとエリさん。あの二人は母親が産後死亡して父親もまだ二人が小さい時に病死してるの」

そう少し辛い表情を浮かべながら、唯は純に子供達の生い立ちについて話し出した。そしてその後で、

「昨日小学生の部屋見たでしょ?実は幼児から小学校低学年までに受けた育児での出来事って、最もその子供の心に色濃く刻まれてしまうの。そしてここで受けた傷が原因で、心が壊れる子供ももちろんいるのよ。でももっと前、そう幼児になる前に受けた育児での傷って実はそこまで残らないものなのよ。おそらく、まだ何が起こっているか何も理解も出来ていない状態で受けているから、幸か不幸か心に深く刻み込まれないだけだからだと思うけど・・・だから比較的この部屋の子供達は明るいし元気なの。もちろん例外もいるけど・・・」

唯はそう言った後で、奥に一人ふさぎ込んでいる子供の方を見ると、

「あの女の子がそうね・・・シズカさん・・・親に完全に親権放棄されて、捨てられた子供なんだけど・・・なかなか心開かないわ・・・」そう言った。そしてその後で純を見て、

「実は今日一之瀬さんをここに連れて来たのは、あの子の心を取り戻して欲しいからなの。どうやらあの子は私には心開いてくれないみたいだからさ・・・お願い!」

そう言って唯は純にお願いをしてきた。

「エーーーー⁉︎ 無理無理無理無理ですよ〜〜〜・・・私は保育士でも何でもないんですから〜〜〜」

純は首も手も横に激しく振って、唯のお願いを断ろうとした。

「まーーこれも仕事だと思って。ね。ダメ元で。ね」

そう激しく断ってきた純に対して、唯は更にお願いをしてきた。

「・・・ま〜〜・・・ダメ元で・・・いいなら・・・」

そう言って純は、渋々唯の頼みを聞いた。そして一人ふさぎこんでいるシズカの元に寄って、

「えっとーーーシズカさん・・・ワタシとあそばない?」

そう純はシズカに声を掛けた。だがシズカは微動だにせず、塞ぎこんだままだった。純は諦めずに何度か色々呼び掛けてみたが、それでもシズカは動かない。純はもうお手上げ状態だった。そんな純に対して、

「お・・・姉ちゃん・・・?」

後ろからそう純を呼ぶ声が聞こえた。純が振り返るとそこには見たことがあるが別人の様な姿となった男の子がいた。純はその子を見るなり涙を流した。

「・・・う・・・うそ・・・あ・・・あの時の・・・男の子・・・こ・・・こんなに・・・元気になって・・・本当に・・・よかった・・・よかったよーーー」

その子のことを純は忘れたことが無かった。純にとって初めての仕事・・・いや人生で初めて遭遇した凄惨な映像として心に刻まれていた出来事。鎖に繋がれた少年・・・その少年が今、純の目の前にいたのだった。純はその子を見るやいなや飛びついてその子を抱き締めた。

「もう・・・ダメかと・・・思ってた・・・本当に・・・生きてて良かったね・・・」

そう言いながら、純はその少年を強く強く抱き締めた。

「お姉ちゃん痛いよもう」。少年は余りにも強く抱き締められて少し嫌がった。

「ゴ・・・ゴメン・・・」。純は泣きじゃくった顔の涙を拭いながら抱き締めてた手を離した。

「こら!お姉ちゃんじゃなくて一之瀬さんでしょ」

奥で声がした。純がその声のした方を振り向くと、そこには名札にカエデと書いている高学年ぐらいの女の子が立っている。

「ゴメーーン。まだボクなれてなくて」

そう言って少年は舌を出しながらカエデに軽く頭を下げた。

「カエデさんも来てたんだね。どうショウタさんの様子は?」

唯がそう言ってカエデに聞くと、

「大丈夫です渡辺さん。来た時は流石にどうなるかと思いましたが、食事を何日間か取ったらこの通り元気になりました。余程前の生活が辛かったんでしょうね。それが良かったのか何なのかはわかりませんが、驚く程この生活に馴染んでますよ」

そう言ってカエデが唯に答えた。そして少し話しをした後で純に、

「あっ!紹介するね彼女はカエデさん。六年生だからたまにここで幼児の相手してもらってるの」

「カエデです。ここと後は赤ちゃんなんかも見たりしてます。よろしくお願いします」

そう言って唯が純にカエデを紹介すると、カエデは深々と頭を下げて純に挨拶した。

「あっ・・・一之瀬です。こちらこそ宜しくです」

純は余りにも堂々とした大人の様な挨拶をするカエデに、少しだけ萎縮した。

(この子本当に小学生?ちょっとしっかりし過ぎじゃない?ここで育つだけでここまでになるもんなの?)

純はそんな軽い疑問を抱いた。そんな純の気持ちを知っているのか知っていないのかわからないショウタが、

「ねーーーいちのせさん。ここって本当にすごいんだよ。こんなにおもちゃいっぱーーーいあってそんでねいっぱーーーいはしりまわれるとこもあってそんでそんでね・・・」

ショウタの止まらない話しを遮るように純が切り出す。

「ちょ・・・ちょっとだけ待っててね・・・今このシズカさんとおはなししてるからね・・・」

そう申し訳なさそうに純が言うとショウタは、

「エーーーーだってその子ズーーーットそのままだよ?ボクが来てる時からもそうだもん・・・ヒナさんももはやあきらめてたよ」と言った。それに対してカエデが反応した。

「ヒナさん・・・アンタなに子供に言ってんのよーーー」

そう言って更に奥の方にいた少女を睨んだ。その少女はカエデと同じく高学年に見えて名札のところにヒナと書いていた。ヒナはその視線に気付き少しバツが悪そうに他の子供達と遊んでる。その様子を見て唯がカエデを嗜めるように、

「まーーまー・・・ほら、ヒナさんも別に悪気があって言ったんじゃないから・・・」

とカエデの肩を叩きながら言った。そんな一連のやり取りを見ていたショウタがシズカの顔を覗き込んで、

「ねーーーきみはなんでなにも言わないの?ここたのしくないの?」

そう無邪気な顔で言った。するとシズカは顔を上げて、

「う・・・うるさい・・・うるさーーーい!」と大声を荒げた。そして更に、

「あんたなんか・・・あんたなんかにワタシのキモチわかるわけない!パパとママにすてられたワタシのことなんか・・・」と言った。大人はそれに対してなにも言えないでいた。

だけど、そのシズカの言葉に対してショウタは、

「わからないよ・・・でもキミもボクのこと知らないよね・・・ボクしにかけたんだよ・・・それでたすけてもらってここにいるんだ。だからボクはここでみんなとすごすことにしたんだ・・・キミはどうなの?・・・」

そうシズカに投げかけた。シズカはまた顔を伏せている。その様子に堪らなくなった純がシズカをいきなり抱き締めた。そして戸惑うシズカに、

「今まで・・・辛かったもんね・・・私にはあなたの辛さ全て理解は出来ないけど・・・でもそれでも・・・ここで塞ぎ込んでるのは絶対違うよ・・・もっと前を見て。だってこんな素敵なお友達と一緒に生活出来るところは他にはないよ・・・もう・・・過去には戻れない・・・楽しかった過去にも辛かった過去にも・・・だからみんな前向くしか出来ないの・・・シズカさんも・・・もう前向こうよ・・・」

そう言いながら大粒の涙を流してシズカに呼びかけた。その純の声が遂にシズカに届いたのか、シズカの頬から一筋の涙がポツリと落ちた。

そして、その後シズカは無言のまま立ち上がりショウタの手を握って、

「ワタシと・・・あそんでくれる?」とか細い涙声でショウタに言った。ショウタは、

「うん。いっしょにあそぼ」と言いながらシズカの手を握り、奥にあるアスレチックスの方に手を繋いで歩いて行った。

そこにはもう塞ぎ込んでいたシズカはいなかった。

ショウタと一緒に楽しそうに遊ぶシズカがそこにはいた。

「よ・・・よかった・・・よかったね・・・」

純はまたも号泣した。そんな純を見て唯は肩を抱き締めて、

「凄いじゃん一之瀬さん。あのシズカさんの心開くなんて。凄い凄い」

と喜んで、純にジャンプしながら言った。そして、

「そっかー・・・私いつの間にか仕事してたから・・・だから開けなかったんだな・・・こんなんじゃ保育士失格だな・・・」とボソリと言った。

「保育士?」と純がその唯の小声に反応すると、

「ううん。何でもない」と唯が言った。そして、

「さーーーてそろそろ会議の時間かな・・・一之瀬さん戻りましょ」

そう言い、純に二階に戻ることを促した。

そして二人は子供達にさよならを言うと二階に戻って行った。


二階ではボサボサ頭の蔵馬が鬼の形相で待っていた。そして、

「遅い!全く何やってんだ!唯!お前が付いていながら何してんだ!」

そう言って、二人を怒鳴りつけた。

「申し訳ございません」と唯が平謝りしていると、

「何よ!あんただって髪ボサボサのまま仕事に来るんじゃないわよ!」

その横でいつもの様に純は蔵馬に反発している。

「何だとーーーー!!!」「何よーーーー!!!」

正に一触即発ムードの中で緑が間に割って入り、

「はいはい。蔵馬さん時間の無駄です。もう二人の言い争い見飽きました。会議始めましょ」

と言い二人を嗜めた。二人はお互い怒り収まらないまま会議室に向かうのだった。

その様子を見て少し笑いながら唯と舞と緑も会議室に入っていった。


「さてでは会議を始める。今回のターゲットはこいつだ!」

ターゲットがいつもの様にスクリーンに写し出された。そのターゲットを見た瞬間、唯の

顔色が強張った。どことなく怒りを抑えているように見えた。そのいつもと違う唯の様子に蔵馬が、

「唯?どうした?まさか知り合いなのか?」と尋ねると、

「いえ・・・何でも・・・ありません・・・続けて下さい」と唯が言った。

(間違いない・・・あの女だ・・・私を・・・地獄に落とした・・・女)

蔵馬は少し唯の態度を疑問に思いながらも話を進めた。

「近藤美奈代翔吾夫妻だ。この二人には弘大という年長の長男がいる。今回も少し厄介かもしれない。周りからは閑静な住宅街の一軒家に住む普通の夫婦と思われている。過去虐待も通報もない。ってよりかは子供に関心がそもそもない。そして今回影山のところに相談に来たのは付近の住民ではなく、なんと保育士さんだそうだ。それも珍しいことだな」

蔵馬の話しを聞きながら更に唯は怒りが込み上げているのが見てわかった。明らかに身体が震えていたからだ。更に蔵馬が話を進める。

「影山の話によると母親の方がいわゆるモンスターペアレントらしく何かあると決まって保育園に来て怒鳴り散らすらしい。それでその相談に来た保育士もとばっちりを喰らって園を追い出されたらしい。まー母親の父親がそこの有力者らしく、園長先生も逆らえないとのことだ。ただその関係で世間体だけは大事にしてるらしく、保育園では相当やっかまれているが地元住民とはとても仲がいい為、侵入するということは少しリスクを伴うかもしれないな。さてどうするか」

蔵馬はそう言いながら腕を組んで悩み出した。そして唯に、

「そう言えば唯。元保育士としてどうだ?何か気になることはあるか?」

と問いかけた。すると唯は急に立ち上がり、

「この母親は・・・正真正銘のクズです・・・こいつは・・・」

そう怒りを露わにして大きな声で罵った。そして、

「私はこの母親のことならよく知ってます・・・むしろこの機会を待ってたぐらいです」

唯は力強く、でも少し喜んでいる様な表情を浮かべてそう言った。そして蔵馬の顔を強く睨みつけて、

「蔵馬さん。この女です。私が保育士を辞めるきっかけを作ったのは・・・」

そう言って怒りに震えながら唯は自らの過去を語り出した。


― 唯の過去 回想 ―

忘れもしない・・・私が都内の保育園で保育士としての生活を送っていた三年目に、この母親の子供として弘大くんが入園してきました。私が勤めていた保育園は、年少と年中と年長でクラスがしっかりと分かれていて、特に違う年齢の子供は同じ部屋にいないという少し幼稚園に似た作りのところでした。私はその時、その子と同学年の子供達数人の面倒を見ていました。

そんなある日、弘大くんが同じ歳の子供を叩く事件がありました。しかもよくよく園児達の話しを聞くと、弘大くんがその時玩具で遊んでいた子供から玩具を取り上げて、その子が怒ってきたから叩いたっていうことだったんです。私は弘大くんを叱りました。そしてその時母親に電話したけど繋がらなくて父親に電話したんです。そしたら父親が迎えに来て、その時弘大くんを叱ってました。そしてその後でお詫びってことで食事に誘われたんです。私はやっぱり相手が保護者ってこともあって、食事の方は断らせてもらいました。」

その日はそれで事なきを得たんですが、翌朝その母親から話があると言われて、相談室に案内した直後に私は急にその母親に頬を叩かれたんです。そして、

「アンタ、一体どういうつもり?うちの子に勝手に説教なんかして!うちは何をしても怒らないで今までノビノビと育ててきたの!それを全て台無しにするつもりなの!」

そう激しい剣幕で怒って来たので、私は昨日のことを丁寧に説明しました。でも母親は何も聞く耳持たずに、

「アンタみたいなのが勝手に決めていいことじゃないの!アンタじゃ話にならないわ!園長先生呼んで頂戴」

って言い出したんです。私は渋々園長先生を呼んで来ました。そしたら園長先生は開口一番、

「近藤様此度は申し訳ありませんでした」

って土下座しながら言い出しました。私は最初意味がわかりませんでした。もちろん保護者に対してはまずは謝る姿勢を見せるのが園長先生の務めであることはわかっていましたが、その土下座はそういう意味では全くありませんでした。ただ有力者に対しての土下座。そういう感じでした。そしてその母親は紙とペンを持ち出すと、

「今度勝手にウチの子に説教なんかしたらアンタここ辞めてもらうから!だから一筆書きなさい。これは誓約書よ!」

と言って私に念書を書かせようとしました。私がそれを拒むと園長先生が、

「いいから書きなさい!」と私に怒りながら言って来ました。

私は渋々『今後弘大くんには説教はしません。もし破ったら保育士を辞めます』と書いて母印を押しました。ようやく納得したのか、その母親はその紙を持って帰って行きました。

それからの私のクラスは荒れに荒れました。弘大くんがワガママし放題だったからです。それで他の園児達も真似したりして・・・でも私はもう誰にも注意出来なくなっていました。

そんな私の変貌ぶりに他の保護者も驚いていました。私はそれまではよく然りもするけどでもきちんと園児に寄り添うそういう保育士だったからです。でもその一件で私はもう誰も叱れなくなってしまいました。弘大くんを叱れないで他の子供だけを叱るのは私のポリシーに反していたからです。そんな様子を見兼ねて、園長先生は私のクラスと当時年中クラスを受け持っていた先生の配置換えを提案してきました。その時、年中のクラスを受け持っていた保育士は若い男の先生でした。私はその先生と入れ替えで、年中のクラスになりました。私はやっと解放された嬉しさで一杯でした。そして今度は年中のクラスで、心機一転して以前の様に頑張っていくことにしました。そして私は以前の様に再び保育士として生き返ったんです。」

そんなある日でした。私はふと現在の状況が気になったので年少のクラスの方を見に行きました。同僚に私がやめた直後のことは少し聞いていて、その話によると少し年少クラスが落ち着いて来たという話しを聞いていたからです。私はそのことに半信半疑だったのですが、自分の精神もボロボロだったこともあり、その話しを聞いてからすぐにはその事を確認しに行けませんでした。その為、その話しを聞いてから数日後に、私は年少クラスを訪れました。

でもそこで私が目にした光景は想像を超えていました。若い保育士の先生が、その弘大くんの奴隷の様なことをしていたのです。そして他の子を必要以上に怒っていました。いや他の子には怒ることしかしていませんでした。弘大くんとは身分が違うことを示すかの様に。その光景は弘大くんを王としてそれ以外の子供はただの平民の様な。同じクラスなのに身分がまるで違う扱いを行っていました。そしてそれを保育園が容認していたのです。

私は、自分が見たその光景が、最初信じられませんでした。そして気付いたらその保育士に向かって、

「何やってるんですか!」って大きな声を出していました。

するとその若い男の保育士は振り返って私に向かって、

「お前こそ何なんだ!弘大様の前でそんな態度取って!それにこれは園長も認めてることなんだぞ!一介の保育士が口を挟んでいいことではないんだ!」

そう怒りながら言い返してきました。その保育士の眼は、今まで私が知っていた時の眼とは明らかに違っていました。以前は、穏やかな顔をしていて、優しい表情をしていたその保育士は、明らかに疲れ果てた顔をしていて、目の下には隈があり、身体もやつれ切っている感じでした。その変貌ぶりに私は驚きました。そして、

「ど・・・どうしたの?その顔・・・あなたとても疲れ切った顔しているよ・・・一体何があったの?」

私は恐る恐るその彼に聞きました。すると彼は、

「・・・何もかも・・・お前のせいだ・・・お前のせいで・・・」

そう私に向かって言ったのかと思ったら、急に弘大くんの頬を思いっきり殴ったのです。

その衝撃で弘大くんは吹っ飛びました。そしてボソリと、

「これで・・・何もかもから・・・解放される・・・何もかもから・・・」

その彼はそう不敵な笑みを浮かべて、呆然とそこに立ち尽くしていました。そしてその後、弘大くんは救急車で運ばれることになり、例の母親が保育園に怒鳴り込んで来ました。

そしてその保育士と園長先生と私とその母親での四人は相談室に入りました。でもその母親はなぜかその殴った保育士は責めずにまさかの一言を放ったのです。

「息子のことは息子のことで責めないといけないけど、あなたのことは責める気には慣れないわ。今まで色々してくれたもの。私の為に。だからこれでサヨナラは出来ないわ」

彼はその言葉を聞いて下を向いて震えていました。

そしてその様子を横目で見ながらその母親は、園長先生に向かって、

「園長先生。今回は誰が悪かったんでしょうか?私は最初に彼に向かって怒った人が原因と考えます。なので渡辺先生をクビにして下さい」って言ってきました。

私は最初耳を疑いました。そして、当然園長先生も今回は流石にそれは違うと言ってくれると思ってました。ところが園長先生は、

「わかりました」って言ってあっさり私をクビにしました。

私は最初全く意味がわかりませんでした。

でも正直この保育園には辟易していたので特に反論はしませんでした。

そうして私はその保育園を辞めました。私が受け持った子供達は泣いていました。

それからすぐに私は別の保育園で働き始めました。そこは一歳から年長さんまで部屋は違うけど一緒に集まって遊ぶという様な作りの所でした。私はそこで他の保育士さんと混じって一から頑張っていました。そうしてしばらく過ごしたある日のことでした。

近くの保育園で、若い男が刃物を持って暴れているという事件をテレビで見たんです。

その容疑者はすぐ逮捕されたのですが、私はその容疑者をテレビで見て驚きました。

その男こそ、あの日私の目の前で弘大くんを殴った保育士だったからです。

私は、なんでそんな事件を彼が起こしたのか、理解できませんでした。

だから、彼が収容されている刑務所まで面会に行きました。

彼はあの時よりもやつれていて眼もうつろでした。でも私を見るなり急に眼を見開き、

「お前・・・お前・・・お前のせいで・・・」と言いながら泣き出しました。

私は意味がわからなかったので彼に、

「一体・・・何があったの?・・・私のせいってどういうこと?」

そう尋ねました。すると彼は今まで何があったかその全てを話してくれました。

まずそもそも私があの母親から目を付けられたのは、実はあの父親との誘いを断ったことが原因でした。あそこの夫婦は二人共とてもプライドが高い為、お互いがお互い誘いを断る相手を許さないタイプでした。そして私が父親の誘いを断ったことが、あの母親のプライドを傷つけたのです。それであの母親は私を追い出す為にあろうことか弘大くんに、

「あの保育園では何をしても許されるから自由に遊んでおいで」って言っていたのです。

もちろん私がそんなことを許さないのはわかっていたのでしょう。

そうして私は罠に嵌められました。でも母親がしたことはそれだけではないのです。

あの母親は、今度は年少のクラスになったばかりの彼に言い寄りました。

でも彼は結婚したばかりだったのです。でもそれでもあの母親は、

「あの女みたいになりたいのかしら?私の誘いを断るってことはそういうことなんだけどな」、と言って半ば強引に関係を持たせたのです。

それもほとんど毎日の様に。当然、彼の奥様は夜な夜な帰って来るのが遅いことに浮気を疑い出して彼を問い詰めました。彼はこれで助かるならと思い、その母親との関係を自分の奥様に全て話しました。その話を聞いた彼の奥様は、後日その母親を呼び出して彼との関係を切る様に詰め寄りました。ところがその母親はその奥様に対して、

「で、いくら欲しいの?いくら渡せば認めてくれるのかしら?」って言って来たのです。

その奥様は耳を疑ったそうです。でもその母親はポンと一千万の束を目の前に置きました。そして、「これで別れて下さらないかしら」と言って来たのです。そして、

「そもそもあなた子供もいないんでしょ?なんでこの人に固執してるの?浮気されているのに」

そう言って二人の夜の関係の写真を見せて来たのです。そして、

「彼もまんざらでもなかったわよ。それに裁判しても今の司法で強制とはいえ男に罪が無かったなんてこと証明出来るかしら?仮に証明出来たとして、あなたにその裁判でそこまで頑張れる気力があるのかしら?そもそもあなた浮気した彼のこと許せるのかしら?」

そう言って来たんです。その奥様は何も言えなくなり、そこにあった一千万を手にするとそのまま店を出ました。そしてしばらくして彼と離婚しました。

彼にとってはそれがとてもショックだったのです。でも自分が犯したことだから仕方無いと思い働いていたのですが、そんな時に私に言われたことで思い出したのです。

『あーそう言えばクラスが変わらなければこんなことにならなかったんだ』って。

そしてあの日、自分の感情が爆発してしまい、あの事件を起こしたそうです。

ただ驚くことに、あの事件後も何もなかったかの様に、あの母親は関係を継続する様に要求して来たんだそうです。

彼は、むしろ罪悪感が生まれてしまったことで、もう断ることは出来なくなっていました。

それで彼はもう全て終わりにしたいって思って、他の保育園を襲うことにしたのだそうです。自分の保育園ではもう何をやっても許されてしまうと思って。

全てを話し終わった後、その彼の顔はとても清々しい顔でした。

私は彼から全てを聞いた後、その母親に対して、怒りを抑えることが出来ませんでした。

そして気づくと、私は自分をクビにした保育園の前に立っていました。保育園には多くの報道陣がいました。私はその報道陣達を無視して保育園の中に入りました。

保育園は閉園していましたが、そこには園長先生だけがいました。そして、

「終わりじゃ・・・もう終わりじゃ・・・」とずっと繰り返していました。

私はその狼狽している園長の肩をガッと掴み、

「園長先生。私です。以前世話になっていた保育士の唯です」

そう言って彼から聞いた話を全て園長先生に話しました。でも園長先生は、

「その話が全て本当じゃったとしても・・・もう遅い・・・この園はもう閉園する・・・元はと言えばワシも加害者だったのじゃ・・・だからもう・・・仕方無いのじゃ・・・」

そう言って涙を流しながらそこに座り込んでいました。

私はその憔悴し切った園長先生の姿を見て、茫然自失してしまいました。そして自分が保育士で無かったら、あそこに勤めていなかったら、そうずっと考える様になってしまったのです。そして自分を強く責める様になり、気付いたら私はもう保育士として働く気力を失ってしまい、自分が勤めていた保育園を辞めました。

その後、私は酒に溺れる日々を送っていました。

そんなある日、とあるバーで蔵馬さんに会ったんです。蔵馬さんは私を見て一言、

「あんたは何でそんなに酒に溺れているんだ?まだ若いだろ?やり直し聞くだろ?」

って声を掛けて来たんです。私は最初新手のナンパかと思い、

「アンタなんかに何がわかると言うんですか!」って言い返しました。

そうすると蔵馬さんは、

「あーー何もわからねえな。だから話してくれねえか?何があったか?」

そう言って来たんです。どうせこの男なんかに私のこと話しても何もわかるわけないって思いました。でも私も誰かに話したい気分だったので今までのこと全て話してしまいました。すると蔵馬さんが、

「そっか・・・それは可哀想だな・・・」って言って来たんです。

あー結局この男も同情して私とどうかなりたいだけなんだなって思いました。

ところが蔵馬さんはその後で、

「いやアンタじゃねえよ可哀想なのは。子供だよ。アンタが見て来た子供もそうだけどその母親の子供もな。それら全てお前は見捨てたんだよ。保育士なのによ。アンタ何やってんだ?」って言われました。私はもうその言葉にブチ切れて、

「アンタなんかに何がわかるのよ!」って言いました。すると蔵馬さんが、

「あーー何もわかんねえ。結局子供見捨てた保育士のことなんかよ。でもよアンタが優秀だったってのは聞いていてわかった。アンタは一人で立ち向かおうとしたんだよな。だってアンタには味方が誰もいなかったから。だから勝てなかった。もし、その時に他に味方がいたら・・・アンタはその母親に勝てたかもしれないな」、って私に向かって言いました。

私はその言葉に号泣して膝から崩れ落ちました。その様子を見ながら、蔵馬さんは私に向かって、

「俺と一緒にもう一度保育士として頑張ってみないか?丁度優秀な保育士を誠に頼んで探してたんだがいいのがいなくてさ。アンタなら俺が理想としている施設の保育士長として任せれそうだ」、って言ってくれました。

私は最初キョトンとしましたが、その時の蔵馬さんの熱心な眼を見て、もう一度保育士として再起することを誓いました。

そしてこのナイトフォレストで働くことにしました。


唯が自分の過去を話し終わると蔵馬が、

「そうか。あの時言っていた母親がこの女なんだ。良かったな」。と言った後で、

「でもこれは復讐ではなくて仕事だからな。私情の持ち込みは禁止だからな。そのことだけは忘れるなよ。大事なのは子供だからな」、と唯に向かって言った。すると唯は、

「もちろんわかっています。私はここの一員ですから。やることをただやるだけです」

そう力強く言い返した。その直後、緑が不意に切り出した。

「でも・・・渡辺さんの過去を聞いてわかったことがあります。この夫婦は恐らくどちらも保育士を狙う夫婦なんではないでしょうか?だからそこを起点に仕掛けたらいいと思います」。と言った後で更に、

「それと気になったのですが、好きな男が自分の息子を殴ったとして、果たして本当に許せるものでしょうか?母親は許せても、父親は許せないと思います。そのことからもこの夫婦は互いに無干渉で、更に子供にも無干渉だとは思うのですが、だとしても納得はいかないところがあります。何かそこに理由があるのではないでしょうか?例えば本当の子供ではないとか?」と言い出した。その緑からの問い掛けに対して蔵馬は、

「でも誠の報告書には、里親制度を使った子供とは書いてないぞ。どう言う意味だ?ただ確かに弘大くんへの二人の接し方は異常かもしれない。調査書によると一度も怒ったことがないそうだ。そんなこと普通はありえない。そして更にありえないのがそんな子供なのに、夜ご飯に好きなお菓子しか与えていないらしい。子供をのびのび育てる養育方法ってのは確かにあるが、その中でもこれは異常だと思う」、と言った。その後、純が切り出した。

「あのー・・・ちょっと私も気になったんですけど・・・なんて言うか弘大くんって今幸せなんでしょうか?私にはちょっとそうは思えなくて・・・もちろん自由に何でも出来ることって聞いている感じだととても羨ましい感じですが、でも自由ってことは誰も向き合ってないってことですよね?それって誰も弘大くんに本当の気持ちを話していないってことで・・・なんて言うか・・・それって幸せとは違うと思うんです・・・」

純のその言葉を聞いてしばらく皆黙り込んだ。するとその沈黙の中、蔵馬が切り出した。

「・・・もしかすると今お前が言った言葉が全てかもしれないぞ・・・」

そう純に向かって言った後で、

「みんな!恐らく今回の鍵は弘大くんだ。まずは弘大くんの確保をするぞ。そして弘大くんの出生を探る。もし思っている通りだとしたら、今回は父親母親子供三人揃ったところで事実を公表しよう。もしかするとお互い知っている様で知らないことがあるかもしれない。とりあえず各自別途指示出すまで待機していてくれ。今回は影山軍団を動かす」

と全員に力強く言った。その言葉の後で純以外の全員が、

「はい!」と言って会議は終了を迎えた。その後、みんなが思い思い散り散りになった。

(ん?・・・影山軍団・・・⁉︎)

純はその蔵馬の最後の聞き慣れない言葉に違和感を感じた。そしてそっと舞に小声で、

「あの〜・・・影山軍団って?」と聞いてみた。すると舞は、

「実は私もよく知らなくて・・・でも凄い軍団らしくて出来ないことは何もないってことらしいわよ」・。と純に小声で返した。


美奈代は、いつもの様に濃い化粧で高級バッグを手に高級車に乗り込み、弘大くんを保育園に迎えに行った。ただそれは、美奈代にとっては年下の若い浮気相手に会う為の、逢瀬の時間でもあった。

そんな浮かれ気分で保育園に辿り着いた美奈代は、その保育園の異変にすぐ気付いた。

時間は十八時前だというのに保育園の中が暗い。まるで閉園しているかの様だった。

美奈代は疑問に思いながらも、門が開いていたのでその門を開けて中に入った。

保育園の中も暗かった。いつもなら何人もの園児や保育士がそこにいるはずである。

それが誰一人としてそこにいなかったのだ。そして当然実の子供である弘大もいなかった。

美奈代はあまりのその異変に気付き、父親である翔吾に電話を掛けた。

でも電話には誰も出なかった。そんな暗がりの中で足音が聞こえる。

【コツコツコツ】

その声のする方向に美奈代は振り返った。そこには男が立っていた。蔵馬だ。

「ようやくわかったよ。あんたの行動の全ての意味が」

蔵馬は美奈代に対してそう言い放った。その言葉に美奈代が反応する。

「アンタ誰よ!私にこんなことしてタダで済むと思ってんの!」

そう逆上している美奈代に対して、蔵馬は一枚の紙を美奈代の前に落とした。

そして美奈代に対して、

「これはDNA鑑定の結果報告書だ。弘大くんと父親のな。アンタが今まで隠してきた真実の紙でもあるかな」。と言い放った。

美奈代はその紙を拾い上げると、その紙をくしゃくしゃにして、

「何よ!これ!アンタこれどっから⁉︎」と、とても怒りながら蔵馬に言い放った。

すると蔵馬は美奈代に向かって、

「どっからとかは関係ない。言えるのはこれが本当の証明書であり、あんたが昔作った偽物とは違うって真実だけだ」

そう言い放った。美奈代は何か言い返そうとしたが、その間に割って暗闇から声がした。

「どういうことだ?美奈代」

美奈代がその暗闇の方に目を向けると、そこには旦那である翔吾が立っていた。

美奈代は翔吾を見るやいなや、

「ち・・・違うのよ・・・これは・・・何かの間違いで・・・」

そう言う美奈代から翔吾はその紙を取り上げた。そしてその紙に書いていたことを黙読すると、その後怒りに震えた声で、

「これはどう言うことだ!説明しろ!」と美奈代に説明を求めて来た。

美奈代は黙り込んでいる。その紙にはこう書いていた。

【父親翔吾と長男弘大は親子関係にはありません】

父親はその事実にとても驚愕していた。するとその状況の中、暗闇の中から声がした。

「凄いですね。DNA鑑定書の偽造。中々出来ませんよ。どんな手口を使ったのか聞きたいぐらいです。もちろんこれは公文書偽造に当たりますので、依頼者は罪に問われることになりますが」。そう言いながら女が現れた。緑だ。そして緑が話を続ける。

「美奈代さん話しづらいなら私から話しましょうか?」

そう言って翔吾に真実を語り出した。

「翔吾さん。あなたはいつも遅くまで働いているビジネスマンです。年齢も若くなく五十代ですよね?美奈代さんとは確か街コンで出会ったんでしたっけ?そんな人を実は美奈代さんは探していたんですよ。家事もそこまでしなくてもいい、育児にも干渉しなそうな男を。自分のその時の不倫相手の隠れ相手として!」緑はそう言い放った後で、更に話を続けた。

「その当時、美奈代さんには本命の彼氏がいました。美奈代さんは彼との子供を作ろうと考えていました。ところがその彼はどう見ても育児をするタイプではなく、まだまだ遊び足りない二十代の若造という感じでした。恐らくこの彼に妊娠したと言っても、信じてもらえないどころか、堕胎しろとか、もう関係を終わりにするとか言われてしまう。でも彼は避妊具は付ける気はない。困ったあなたはここで究極の案を思い付きました。それが代理父親です。これなら彼にはバレない内に子供を作って、しかも後でこれをネタに関係の継続を迫れる。そう考えたあなたは街コンに出向き、とにかく家庭を顧みないけど結婚したい男を探していました。そうして出会ったのが翔吾さん。あなたです」

緑は、美奈代のとてつもない計画の暴露を始めた。そして更に、

「こうして、美奈代さんは本命彼氏との関係を継続しながら、あなたとの結婚生活を送るという不倫生活に入りました。そして子供を授かったのです。それが弘大くんです。美奈代さんは計画通りその子供を産みました。でもあなたはそのタイミングに違和感を感じたはずです。そこでDNA鑑定をしたと思いますが、実はそこまでは美奈代さんも想定していたのです。美奈代さんは、知り合いの医師に頼んで、貴方の血縁関係から採取していた物と、貴方のDNAを比較させたのです。もちろんその結果なら血縁関係になりますよね。そうやって貴方は翔吾さんの疑いを晴らしました。ところがその後で誤算が起こります。急にその当時の彼氏がいなくなったのです。貴方は焦ったと思います。急に連絡が取れなくなったのでは計画が台無しになるから。でも貴方がどう探しても彼氏は見つかりませんでした。理由は簡単です。死んだんです。事故で。貴方はこうして大好きだった人を失いました。恐らくその後ずっと浮気を繰り返していたのは、その寂しさからなのでしょう?」

緑は、美奈代の過去を全員にバラした。すると美奈代は急に怒りながら緑に向かって、

「アンタ・・・何でそこまで知ってるの⁉︎一体誰から聞いたの⁉︎」と言ってきた。

すると緑は、

「あー守秘義務があるんでそれは言えません」、とあっけらかんとした態度で答えた。

するとその緑の態度を見て、美奈代は急に笑い出した。そして、

「そうよ・・・全部アンタが言った通り・・・弘大はその時の彼氏の子供よ!」

と言い切った。そして更に話を続けた。

「アンタみたいな小娘になんかわからないわよね。大好きだった人の子供・・・でももう二度と会えないその人の子供・・・それを育てる事の苦悩が!似てくるのよ!少しずつ!でも違う!それにそもそもそういう目的で作った子供ではない!でもだからといって愛せるかどうかというと愛せるわけがない!そして私は家柄上酷いことも出来なければ世間から疑われるようなことは出来ない!・・・そんな私が行き着いた答えが、放任主義での育児なのよ。旦那にはこうやって育てるって言って納得してもらってたわ。って言うかそもそもこの人は育児自体に興味が無かったしね。だから好き勝手やらしてもらってたわ。だってこの人も私を浮気相手の隠れ蓑として使っていたからね」

そう言って最後に衝撃の事実を美奈代はそこにいた全員に告げた。

「・・・お・・・お前・・・何・・・何を・・・言ってんだ・・・?」

その美奈代の言葉に翔吾が慌て出した。

「あら?知らないと思ったの?あなたの浮気なんかすぐわかったわよ。でも黙ってた。だってそんなこと何も関係なかったから。私もこの生活をしないといけない理由があったからね。だから黙認してたわ」

美奈代は翔吾にそう言い切った。翔吾はその言葉に対して何も言い返せなくなってた。

「なるほどね・・・貴方達夫婦は仮面夫婦だったわけだ。それでお互いの利益の為だけに一緒にいたと・・・凄いね・・・子供の気持ちガン無視か・・・」

暗闇の中からまた女の声がした。舞だ。そして舞は更に話を切り出す。

「アンタ達は育児をしているようで育児をしていない・・・そんなアンタ達を見て弘大くんは育ってしまった・・・一番可哀想なのは弘大くんだと私は思うけどね」

そう吐き捨てる様に言い切った。そして更に、

「そしてそんなアンタ達のせいで苦しんだ人がいたのにアンタ達はそれにも知らん顔で過ごして来たわけだ・・・唯・・・こいつらホントにクズだな」

そう言うと今度は唯が暗闇から現れた。

「・・・本当・・・悲しくて・・・泣きたくなるよね・・・こんな人達のせいで・・・」

唯は、悲しみにも怒りにも似た声でそう呟いた。そして、

「でも・・・一番の被害者は弘大くんです。それを貴方達は理解しないといけない」

唯がそう言うと、暗闇から目の前の出来事に戸惑っている弘大くんが、純の手を握りながら現れた。美奈代はその弘大くんの顔を睨みながら、

「弘大・・・アンタいつからそこに?まさか・・・全部聞いていたの・・・⁉︎」

そう弘大くんにボソリと言った。弘大くんは今まで見たことがないママの姿に驚いている。蔵馬はそんな弘大くんの前に立って、

「弘大くん。君に聞きたいことがある」と言った。そして、

「君は今まで自由に振る舞ってきた。さぞ気持ち良かっただろう。でもその生活は君が自分で掴んだものではない。そしてその生活をしている限り、君にはいつまでも本当の友達は出来ない。それどころか、ずっと同じ歳の子供にも、大人にさえも本心をぶつけられない。もちろん本心を言われることが、必ずしもいいとは限らない。それが色々面倒で嫌だと思うことも当然起こる。でも、本心で話せない相手には、少なくとも自分も本心を話すことは出来ない。つまり君の心はいつまでも誰にも理解されないままだ」

「さて、じゃー君はどっちがいい?今のままずっと誰にも本心を言わない王様でいるのと、本心でぶつかり、いろいろ面倒で嫌だと思うことも感じながら、対等に生きる平民。もし、君が王様を選べば、今までと何も変わらない。しかし平民を選ぶと、君はパパとママとお別れをしないといけない。さてどうする?」

そう弘大くんに問い掛けた。また何てことを子供に聞いているんだと、純が言おうとした時に弘大くんが口を開いた。

「ボク・・・ボクは・・・今までおこられたこともたたかれたこともおうちではなかった・・・あの時・・・はじめてしかられた時・・・なんかうれしかった・・・そしてわけもわからずパンチされた時も・・・いたいけど・・・なんかうれしかった・・・おおさまの時は・・・そんな気持ちいちどもなかった・・・なんか・・・つらかった・・・おこってほしかった・・・」

その弘大くんの告白を聞いて、唯は思わず涙した。

自分がしたこと、保育士の彼がしたことは、全く無意味ではなかった。ちゃんと弘大くんの胸には響いていたんだと。この小さな身体で、この子はそういうことを考えていたんだと。その気持ちに涙が止まらなくなった。

そしてその弘大くんの告白に、別の意味で涙が止まらなくなったのが美奈代だった。

「弘大!アンタも私を捨てるの⁉︎」

美奈代が怒りに震えた涙で弘大くんにそう言った。すると弘大くんは、

「ボク・・・ママから愛されてないんでしょ?・・・ママはぼくがもうジャマだったんでしょ・・・パパなんか・・・ボクのパパでもないし・・・あそこはボクの家ではないってことよくわかったから・・・だからもう・・・みんなで自由になろうよ!」

弘大くんは実の母親にそこまで言い切った。そんな弘大くんに、

「偉いぞ!弘大くん!良く言った!」

そう言って蔵馬は弘大くんを抱き抱えた。そして、

「アンタ達は自由を履き違えたんだ。弘大くんは最後の最後でそれに気付いた。この子はとても偉い。アンタ達には勿体無い。こっから先はうちで面倒見させてもらう。もちろんタダでとは言わない」

そう言って目の前にいつもの様に百万円の札束を美奈代の前に落とした。すると美奈代が、

「こんなはした金なんかいらない!そしてそんな私の言うこと聞かない子もいらない!どこでも持っていって!」

そう怒りながら蔵馬に言い放ち、札束を蔵馬に投げつけ返した。蔵馬は少し戸惑ったが、

「そ・・・そうか・・・わかればいいんだ・・・それじゃーな・・・」

そう言って俯いたままの翔吾と美奈代の横から弘大くんを抱き抱えながら出て行った。

「バイバイ・・・パパ・・・ママ・・・」

最後に弘大くんがそう二人に告げた。美奈代と翔吾は無言で俯いていたが、その眼からは一筋の涙が流れていた。


外に出た蔵馬達を影山が出迎えた。

「お疲れ。健人」。影山が少しはにかんだ顔で蔵馬に話しかけた。

「おう。今回はありがとな。しかし相変わらず凄いなお前のところの軍団は」

そう言いながら蔵馬は影山の頭を撫で回した。

「やめろよ健人。それに軍団じゃなくて仲間達だから」

そう言って影山は嬉しそうな迷惑そうな顔で蔵馬に答えた。そこに割って純が会話に入ってきた。

「あの〜影山さん?私には全く意味がわからないんですけど・・・一体どんな魔法を使って全ての幼児と保育士と園長先生を移動したんですか?そもそもみんな今どこにいるんですか?」

そう言って自らの疑問を影山にぶつけた。すると影山は、

「そこまでのことはしてないですよ。まずあの保育園の電波をジャックして、近隣の保育園で不審者が出たって嘘の情報を流す。そして、同じ情報を一斉にその保護者のネットワークだけに流す。後はそこに刑事を使って避難を呼びかける。後はバスをチャーターして一時的にうちの仲間の施設に全員運べば、誰もいない保育園は簡単に完成します。それとDNA鑑定書の方ももうその偽造をした人間はわかってましたから、そいつを刑事を使って問い詰めればあっさり白状してくれましたよ」

影山は物凄くあっけらかんとして話してくれた。純は普通に意味がわからなかった。どう考えてもそんな簡単なことではないことを、影山がいとも簡単にやってのけたからだ。なのにそれを簡単なことの様に話す影山に、純は少し畏怖の念を抱いていた。そして、

「あの〜影山さん・・・貴方は一体何者なんですか?」

と恐る恐る尋ねた。そうすると影山は、

「私はただの健人の友達で児相の一職員ですよ」

と、これまた少しはにかんだ顔であっさりと答えた。その様子を見ていた蔵馬が、

「はい!終わり終わり!俺も詳しく聞いたことがないことをお前なんかに答えるわけがないだろ!お前はもう仕事終わったんだから帰った帰った!」

と純を追い出す様に言い放った。純は言い返そうと思ったが、何をどう言えばいいか言葉が見つからなかった。そんな純を見て舞が、

「一之瀬さん。ほらもう帰るよ」、と言った。するとそばにいた唯が、

「舞さん。今日は私に一之瀬さん送らせてもらえませんか?」と舞に言ってきた。舞は、

「まーいいけど・・・」と言って一人で車に乗って帰って行った。

「じゃー帰りましょうか」

そう言って、唯は純を自分の車まで誘導して、車に純を乗せた後、ゆっくりと車を発進させた。


純は少し戸惑っていた。それまでの唯は子供が大好きで面倒見のいい、女性から見ても可愛い感じの少し年上のお姉さんといった感じだったが、今日唯の口から壮絶な過去を聞いたことで、少した接し方に戸惑っていた。そんな純の様子を察したのか唯が口を開いた。

「今日はびっくりしたでしょ。ゴメンね。でもそんなに気楽に語れる過去でも無くてさ。今まで蔵馬さん以外には話したことなかったんだけど・・・ちょっと感情爆発しちゃってね・・・」

そう話し出した後で、

「でももしかしたら一之瀬さんが来たことで・・・気持ちが楽になったのかも・・・やっぱり舞さんも緑さんも色々背負ってるみたいでね・・・私の辛い過去・・・気楽に話せなくてさ・・・でも一之瀬さんにはなぜか話してもいっかなーって気持ちになってね」

そう少し照れながら純に話した。そして、

「もしかしたら一之瀬さんが来たことは必然だったのかもしれないわね。貴方が来たことでそれまでどこかよそよそしかったうちの空気が一変したわ。だって蔵馬さんにあそこまで言えるのは一之瀬さんしかいないもん。私もうそれがおかしくっておかしくって」

そう笑いながら純に話した。

「そんな〜・・・私なんか渡辺さんに比べたら全然です。何もわかってないただのひよっこです。蔵馬さんに強く出れるのは・・・その〜・・・なんて言うか・・・」

純は照れながら、身体をモジモジして、唯にそう答えた。

「ふふふ。本当不思議な子だね。でもありがと。会議の時、一之瀬さんは弘大くんについて考えてくれたでしょ?私にはそれが出来なかった・・・多分言葉でどう言っても、結局私は弘大くんのことは何も考えてなかった・・・むしろ加害者だと思ってた・・・でも一之瀬さんの言葉でハッとさせられたわ・・・私は自分でも気付かない内に、弘大くんに対して寄り添うことが出来なくなってたんだってね・・・でも、一之瀬さんの言葉を聞いたことで、そのことに気づけた。本当ありがとね。これでまた私保育士として更に頑張れそう。これからもよろしくね」

そう言って唯は自分の気持ちを赤裸々に語った後で、純に感謝の言葉を言った。

純は照れくさそうにしていた。そうこうしている内に車は施設に到着した。

そして車から降りた純に対して、唯が駆け寄って来て、

「あっ!それと今度から二人の時は私のことは唯って呼んで。私も純って呼ぶから。じゃー改めて純。これからもよろしくね」

そう言って唯は、純に握手を求めてきた。純も照れながらその求めてきた手を握り、

「こ・・・こちらこそ改めてよろしくです・・・えっと・・・唯・・・さん」、と言った。そんな純を見て、唯は少し笑っていた。その唯を見て純も笑い出した。

そして二人はお互い笑いながら施設の中に入っていった。


美代子と翔吾は自分達の家に帰って来ていた。そして美代子が切り出す。

「離婚しよう・・・」

翔吾は首を縦に振った。もう二人が一緒にいる理由は何もない。

その理由自体が無くなったのだから。


蔵馬と影山の元に涼子が現れた。

「健人。誠。お疲れ様」。そう言って二人を労った後で、

「しかし健人。よく我慢したわね。偉いよ。少し成長したんだね。うん。ここで何か問題起こしてたら私達の目的には辿り着けないものね」、と蔵馬に言った。

蔵馬は涼子の言葉の意味が全くわからなかったので、

「・・・涼子姉ちゃん・・・一体何のこと言ってんの?」と蔵馬が聞き返した。

すると涼子は、

「あれ?気付いてなかったの?今回のターゲットはあの藤原幹事長の三女だったんだけど・・・」とあっけらかんとして言った。

涼子が蔵馬にその話をしてしまったことに対して、影山は天を仰いだ。

そんな影山を見て、怒りを露わにした蔵馬が影山の胸ぐらを掴んで、

「どう言うことだ!誠!」と影山に怒鳴った。影山は少し溜息をついた後で涼子に、

「・・・涼子姉ちゃん・・・なんで言うかな〜・・・こうなるのわかってたんじゃんか・・・」

と嘆きの様な言葉を言った。その様子に蔵馬は、

「お前・・・知ってて黙ってやがったな!どう言うつもりだ!」

と更に影山に向かって怒鳴った。その蔵馬に対して影山は、

「健人。お前それ知ってたら今回の様な対応したか?してないよな?忘れるなよ。俺と涼子姉ちゃんは別にお前みたいに復讐だけが目的ではないってこと。俺達はあくまでお互いの目的の為に、全員で危ない橋を渡り続けていることを!」そう言い放った。

影山のその言葉を聞いて、蔵馬は少し冷静さを取り戻し、胸ぐらを掴んでいた手を離し、

「・・・わかってるよ・・・全ての子供の幸せ・・・だろ・・・忘れてねえよ・・・」

そう小声で影山に言った後で、影山に対して背を向けた。そんな二人を見ながら涼子が、

「しかしいずれにしてもこれで間違いなく藤原副総理にはここの存在バレるわね。これからはちょっと私も、健人も、誠も、今までみたいに会うことは避けた方がいいかもしれないわね」。そう神妙な面持ちで二人に言った。二人もそれに頷いた。


「弘大がいなくなった・・・美代子どういうことだ?」

美代子は誰かに電話をして今日のことを話している。そして、

「なるほど・・・そういうことか・・・わかった・・・後のことは任せておきなさい・・・」

そして電話の相手は電話を切った。

(何者かは知らないが・・・この私に逆らう者がいるということは確かだな・・・愚かなネズミ共め・・・いずれ全員まとめて退治してやろう・・・)

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