第3話 賢者の首(だんまり)

貴族たちがもっともらしく語るところ曰く、コスティルゾ公爵家に愚君なし。

なぜ歴代当主が賢公ばかりであったのか、その理由は僕が当主となった時に知らされた。


「大宰相カフヴェルの首……?」

不勉強な僕でも、さすがにその名前は知っていた。

偉大なる宰相カフヴェル。時の王の第三王子として生まれながら、あまりの賢さとうつくしさ、その人柄の良さにいらぬ騒ぎの種となることを恐れ、臣籍降下されたという人物だ。

彼は臣下として、兄王の治世を長く支えた……ゆえに偉大なる宰相と呼ばれることさえある。


「賢者カフヴェルの助言をもとに、代々の当主は執務を行ってきた……それゆえ、コスティルゾに愚君なしと、言われる」

「助言……、叔父上、この首、喋るのですか?」

「ああ」

「なんだか寝てるみたいですけど」

大宰相の首は先ほどからずっと目を閉じていて、微動だにしない。羨む気も失せるような素晴らしく整った顔立ちの美男だけに、かつて生きていた人間の首というより彫刻のようにも見えた。


「必要があれば、必ずやお前に助言を与える。お前の父上の時も、そうだった。だからそういうものなのだ」

叔父がそう言ったから、僕は信じた。

そして、四十年の月日が経った。


「結局ひとことも喋らなかったね、この首は。本当に、必要な時に助言をくれるの? 担がれたんじゃなく?」

「あなたには必要ないでしょう。旦那様、歴代コスティルゾ公爵のなかでも最高のご当主様。かつてないほどのこの家は富み、栄えておりますわ。それもすべて、賢者の首の助言なく、あなたが自力で成し遂げたこと。あなたの先見の明の確かさゆえですわ」

微笑む妻に、僕は笑いかけることができなかった。

「そうかな。……そうだと、いいけれど」



公爵家の歴史ある屋敷に足を踏み入れた時、少女は母を亡くしたばかりで喪の黒衣をまとっていた。

あれから五年が経ち、少女は成長して、そのうつくしさは匂い立つほど。しかし、かつての少女はまだ喪服をまとっていた。この五年で彼女が亡くしたのは、父親、ふたりの妹、三人の弟、数え切れないほどの叔父叔母いとこたち。彼女が喪服を脱ぐ暇などなかった。


――王宮では、知らぬ者はない。母親を亡くした王女は世継ぎ争いから脱落し、母妃の生家である公爵家の跡を継がせるということで引き取られた。だがそれから五年、王位継承権保持者たちは次々と不自然な死を遂げ、いまでは王宮を追われた王女だけが生き残っていること。

誰もが薄々気づいている。だが、何も言えない。

いまとなっては王女が唯一の世継ぎ候補であり、そしていま――玉座の主もまた原因不明の病に倒れているのだから。


「ねえ、美男の賢者様」

若くうつくしいコスティルゾ女公爵は、大宰相の髪に指をからめてつぶやいた。

「あなたが何も言わないものだから、すっかり皆が信じてしまったわ。わたくしの行ないは善なるものだと、正しいのだと。賢者が助言は不要だと見なしたのはその証、と」

彼女はくすくすと笑い、賢者の髪を引っ張った。

「早くわたくしを止めてみせて。でなければ、わたくし、何をしでかすかわからなくてよ」



「まったく、呪いは俺の専門外なんですよ。なんだってこんな役目を俺が……」


ぞろりと黒いローブの裾を引きずりながら、猫背を一層丸めてひとりの男が宝物庫の棚の間を歩いてゆく。

「呪い、呪いねえ。流血女王が愛した呪いの首って、そんなものを下っ端に任せないでくださいよ。俺が扱いを間違えたらどうするつもりなんですかね、本当」

男はぶつぶつ呟いていたが、とある棚の前で足を止め、眉間にしわを寄せた。

「あった、けど……これ? 呪いどころか魔力の残滓もない」

顔を近づけてみて、やっぱりそうだ、と男は言う。

「元々大した魔法もかけられてないな、この程度なら首を切ってからせいぜい五十年保てばいい方じゃないかな。ふぅん」


男は元の距離まで顔を戻して、変なの、と呟く。

「それじゃ何百年も、腐らないだけで喋りもしない首の置物を、公爵家では宝物扱いしてたってことですか? お貴族様の考えることは、わからないなあ」

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