第8話

 木も建物も光も、暑くも寒くもない空間へ、僕と沙月さんは踏み入った。

 ただ荒れ果てている世界。まるでゲームに出てくる異次元みたいだ。紫色の空に、何にもない大地。

 だけど、何かの気配はする。というより、おびただしい殺気ばかりを感じて仕方がない。


「ここは『マガノ』。マガツキが住む、私達がいる世界の裏側に位置する世界」


「マガノ……まさかいきなり実戦しろってことですか⁉︎」


「違う違う、ただどういう風に戦闘するかを見てもらいたいだけ」


「それなら良いですけど……」


 右も左も分からないのに戦闘なんかさせられたら、たまったもんじゃない。まあそんな死と隣り合わせのオーダーをしてくるような人じゃないか。


「見える? あそこの空」


「見えます……? あそこだけ光が?」


 ただ紫色をしたモヤに包まれているだけの空の中に、一筋の光が差し込んでいる。

 まるで雲間から差し込む光のようだ。


「あの光の向こうは、私達が暮らす世界に繋がっているの。なにより厄介なのは、あの光は私達の世界からあらゆる念を送り込んでいること」


「あらゆる念って?」


「喜びから悲しみ。更には誰かを恨んだり妬んだりする心まで。マガツキは負の感情を得て強くなっていく」


 じゃあ、あの光がある限りはマガツキはずっと強化され続けるってわけか。


「でも、マガツキがいくら強くなっても、この世界からは出られないはずじゃ?」


「言ったでしょ? 私達の世界に繋がってるって。力をある程度持ったマガツキは、その光の先を追うに決まってるじゃない。もっと美味しいご馳走が待ってるわけなんだから」


 言われてみればそうだ。自分にとってのご馳走が流れて続けてくるわけなんだから、その先を目指すのが本能かもしれない。


「あの光の管理こそが、私達陰陽師の役目なの」


「だったら消せば良いだけなんじゃ……」


「バカ、そんな簡単な問題だと思うの?」


「で、ですよねぇ……」


 僕みたいなやつにでも思いつく答えが、正解なわけないか。


「まあ消せたら良いんだろうけどね。消せないの、あれは」


「消せない……かぁ」


「行くよ。止まってたらそれこそ危険だからね」


 マガノの危険性、何も知らないからなぁ。そう言われても危機感持てないよ。


「大翔くん。君の家を壊したマガツキだけど……多分、この世界にいると思う。私が深傷を負わせて、逃げていったから」


「そう、ですか。でも、どうして今それを?」


「あのマガツキは、大翔くんの顔を覚えているはず。それに大翔くんの中にいるマガツキの力を取り込めば最強になれるからね。良い獲物ってことだよ」


 僕にとって、これ以上にない恐ろしいことを、沙月さんはスッパリと言い切った。


「じゃあ、僕は来ないほうが!」


「ううん。マガツキの呪縛から逃れて、自分の物のように操れるようになる方法があるんだ。それをやってほしいの」


「そんな方法が……? でも危険なことに変わりないんですよね」


 ハッキリ言って、僕はあのときの炎やら悲鳴やらが忘れられない。ただただ怖くて、ひたすら瑞稀と走って。何もできない自分を、あれほど憎んだこともなかった。


「大丈夫。そのお守りがあれば、害はないから。ほら、時間が惜しいし行くよ!」


「え、ちょ!」


 沙月さんは僕の右手を引いて、歩き始める。遠慮知らずの彼女の手が強く僕の右手を握る。

 それだけで、僕は脱力していた。僕の身体を、完全に沙月さんに委ねていた。


 沙月さんに引かれて、どのくらい走っただろう。だけど不思議と疲れとかは感じない。


 そうして辿り着いたのは、さっきと同じ一筋の光が、たくさん降り注ぐ大地だった。


「え……こんなにたくさん⁉︎」


「そう。ここが私達陰陽師の守るべき場所。さっきの光は陰陽師の力を合わせて作った、いわゆる囮おとり」


「囮……それって、僕達の世界への影響は?」


「……特にないから気にしなくて良いよ」


 すぐに言葉を返さなかった沙月さんを気にかけようとした、まさにその時だった。


『ミヅゲダァァァ!』


 背後から狂ったような声がした。日本語のようにも聞こえるけど……もしかして。


『ジュリョク……ウマイ』


 そこにいたのは一匹の小さな怪物。

 額に角を持った存在がいた。


「なんだ、生まれて間もない小鬼じゃない。ビックリして損した」


「で、でもマガツキってことに変わりないですよ!」


「そうだけど、これくらいのやつなら生かしておいて問題ないと思うよ? まだ何もしてないわけだし」


「いやいやいや! これから害になるんですよ⁉︎」


 たしかに、まだ何もしてないだろうけど、だからってマガツキってことに変わりはない。


 それなのに生かしておこうって、何考えてんだこの人。臭いものには蓋をしろって、昔から言われてるのに。


「じゃあ聞くけど、人を殺した親を持つ子供は殺す?」


「そ、そういう問題じゃなくて! 僕達の世界で言えば、ここはスズメバチの巣の中! コイツは幼虫! 分かりますよね?」


「そうかもだけど、スズメバチは縄張り意識が強いだけで、手出ししなきゃ有害じゃないでしょ?」


 それもそう。だけど、マガツキは違う、見境なく人を殺すようになる。なんで通じないんだ?


「良い? ただマガツキを殺すだけが陰陽師の役目じゃないの。均衡を保つことが、本当の陰陽師の役目。マガツキにとっての役目は、呪力を得て、人間を襲うこと。その繰り返しを保つのが、陰陽師。ただ殺すだけじゃ、私達もマガツキと同じになるけど?」


 淡々と説明する沙月さんの言葉に、何一つ曇りはなかった。それで、ようやく僕は納得した。

 それに、このマガツキは光を浴びるだけで何もする気はない。あぁ、小鬼程度なら可愛いもんだな。


『ウマカッタ、カエル』


「ね? 無害でしょ」


「そうみたいですね。でも……なんか気に食わないというか……」


「最初はそうかもね。人を襲うマガツキを滅することなく、人間との関係を保つ。私も、最初は気に入らなかった。でも、もう慣れちゃった」


 そっか、なんだかんだ言っても沙月さんだって人間なんだ。悩んでも、慣れちゃうものなんだな。

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