第3話 戦闘開始

 既に各地で吸血鬼と腐鬼が暴れている。その対応に全国の聖童師が動き、三芸貞がその場をまとめている。

 質より量の吸血鬼側に対し量より質の聖童師。優勢なのは聖童師である。

 童質によって量では覆すことが出来ない壁がある。それによってなんとか聖童師が各地を制している。




 富士の樹海。昨日戦闘が起きた地面と木々が抉れた森に三体の吸血鬼が到着した。

 スーツに身を包んだ七三眼鏡、嫉妬の棚橋。

 同じくスーツを着て首に赤いチョーカーを着けてるさっぱりとした男、強欲の橋本。

 白いタンクトップに小麦色のナイスマッスル、色欲の下柳。

 三体はそれぞれ、異質なオーラを漂わせている。近くにいる生物たちは死を覚悟してその場から素早く立ち去る。

 夜に光る六つの赤い眼光は何者も近づけさせない。


 「来ますよ」

 棚橋の言葉に場が引き締まり、緊張感がはしる。


(すとん)

 ポロシャツで腰に刀を差す浄静司。

 ピチピチインナーシャツで手ぶらの向ヶ先。

 着物姿に扇子を構える蓮華桜。


 両陣営、役者が揃った。

 殺気が充満していて、ヒシヒシと空気が肌に刺さる。ここから先、気を抜いた者から死んでいく。そういう気配が漂っている。


「揃ったようなので始めましょうか。ルール無用のデスゲーム。

 みなさんには人類家畜化計画の礎となってもらいます」

(すとんっ)

 今回も先陣を切ったのは浄静司。橋本を巻き込んで森の中に消えていく。

 それを合図に残った四者も動き出す。


 向ヶ先の相手は棚橋で蓮華桜の相手は下柳。

 開始早々激しい火花が散る。



「今回は本気でやってくれるんだよな」

「当然だ。昨日の借りもきっちり返すぜ。三十年分の利子を付けてな!」

「待ちわびたぜ!橋本ぉ!」

 飛び出した橋本は簡単に浄静司の間合いに侵入する。

 浄静司は腰を落として両足の母指球に体重を乗せて戦闘の構えをとる。

 両者聖気を迸(ほとばし)らせ、攻防へと移る。

(ズドオォォン!!)

 一瞬の交差。拳同士がぶつかり合い、大気を揺らす。続く橋本の蹴りを宙に飛んで避ける。

 そこから繰り出されるかかと落としは頭の上でクロスさせた両腕に阻まれる。

「ぐっ!」

 足首を掴まれて地面に叩きつけられる浄静司だが、見切ったのか両手で地面を掴んでから体を捻って橋本の体を飛ばす。

「どらぁ!」

 なんてことはないがこれで離れることに成功した。

 体外に纏う聖気を増やして、感覚を研ぎ澄ます。目の前のことだけに没頭して、いらない情報は捨てる。

 両者、さらに深まる集中は周囲の音を消した。


 聖気の纏う量を増やしたことで単純に身体能力の向上を図った。瞬きをすれば状況は一変する。打撃音が至る所から聞こえてくる。


 浄静司の拳は空気を裂くが、いくら鋭くても当たらなくては意味が無い。

 橋本の脚力は力を込めすぎて地面を容易く抉ってしまい、半歩遅れる。いままでこんなに全力を出したことがなかった橋本はこの状況に困惑する。

 全力を出さなければ浄静司の攻撃に対処出来ない。しかし、全力を出せば地面が持たない。


 防御一辺倒になる橋本。幸いにも浄静司の体術は常識の範囲内であったため、凌ぐことができていた。


 不利な状況を嫌って橋本は童質を使い始めた。だが、昨日の戦いで自分の能力が簡単に捌かれるのを知っている。



 寝ずに考えた。己を曲げて勝つか。己を貫いて負けるか。

 当然負けるのは嫌だ。しかし、己を曲げるのもやっぱり嫌だ。

 傲慢としてどっちが正しいのだろうか。

 一向に決まらない問題に頭を抱えた。


 気分転換に行った近くの銭湯でのことがきっかけで、その迷いは消えた。たまたま居合わせたおじいさんに相談した。


(正しいことなんて誰にも分からない。挑戦は成功への第一歩。できるできないじゃない、やるかやらないか)

(俺は勝つ。そのためだったらプライドなんてクソ喰らえ!持てるパワーのありったけを!技術を、経験を、俺の螺旋に乗せてお前を倒す!)


(俺は直線道を歩きたいんじゃない。俺が歩いた道が直線道なんだ。

 暴論?だったら俺を殺して証明してみせろ!)


(銭湯で出会ったおじいさんの「極楽ぅ〜」という言葉を聞いて頭にかかった霧が晴れた。)


(いつだってそうだった。俺を支えてたのはいつだって…欲だった。我儘に行くぜ!)


「螺旋」

 昨日と全く同じ凡庸な螺旋は浄静司に近づくと小さくなり通り抜けていった。

(やっぱり…勝機はある!)


 乱れろ。荒れ狂え。

「踊れ踊れ。乱調螺旋 円舞(えんぶ)」

 五つの螺旋が橋本の腕と胴、脚を包む。

 滑らかな体重移動による接近が浄静司の反応を遅らせる。

 体の回転から繰り出される掌打の連撃は浄静司の体にダメージを負わせるほどのものだった。

 浄静司を中心に、自身も回転しながらの攻撃。さながら太陽の周りを回る地球のように。

 橋本は知らない。暇つぶしで始めた社交ダンスがこの戦闘スタイルの元になっていることに。無意識のうちに掴んだ、自分にとって動きやすい最前の動き、修練の末に身につけた橋本独自の戦闘法。

 そこに螺旋が加わることで歪な攻撃となる。



 そこから浄静司はすぐに立て直すも橋本の独特なリズムに翻弄され、反撃への糸口が掴めない。

 未知というのは恐怖である。経験したことがない終わりの見えない攻撃に心身ともに削れていく。

 防御に専念するため纏う聖気を増やす。これにより、防御が攻撃となる。矛盾対決。

 橋本の攻撃を大きく弾けた時がチャンス。しぶとく守りを固める。




 抉られた森。

 相対するのは向ヶ先と嫉妬の棚橋。

 十分な距離をとってお互いを牽制する。

「私、戦闘は苦手なんですよ。二人と違って私は頭脳派なので」

「ほう。それはちょうどいいな。俺も頭脳派だ」

「?それは無理がありますよ。あなたの戦闘スタイルは調査済みです。それに見るからに頭悪そうですから」

「なるほど。俺はもう何年も本気の戦いをしてない。調査されたところで不利にはならねえ。煽って判断を鈍らせる作戦か。確かに頭脳派だ。面白い」

「いえ、今のはただの率直な感想です」

「それじゃあ、頭脳戦といこうか!」

「まあ、それでいいですよ。あなたの頭脳はたかが知れてますから」

 浄静司たちとは変わって穏やかに戦闘が始まる。


 両者十分に聖気を纏って肉弾戦へと移る。

 だが、予想した展開は訪れず、棚橋が一撃を与えた直後、向ヶ先のカウンターにより大きく吹き飛ばされることになった。

(グガッ!!)


 吹き飛ばされながらも棚橋の脳内は正常に事態の収集を図ろうと迅速に働き導き出す。

 しっかりと腕で受けたはずなのになぜここまで吹き飛ばされたのか。それからしっかりと聖気を十分に纏って受けたにも関わらず、腕に残る確実な痛み。

 そして、向ヶ先を見ると確実なパンチを喰らったはずなのに焦燥やダメージが一切見られない。

 そこで一つの結論に到る。

 向ヶ先の童質。一連の流れの中に必ず向ヶ先の童質が働いていたはず。

 そのためこの理不尽な状況が生まれた。

 与えたはずのダメージは一切無く。その攻撃は防御越しにも大きく吹き飛ばすほどに高威力。

 とにかく向ヶ先の童質を見極めなければ勝ち筋は見えてこない。

 慎重に攻めるためにも童質を使って様子を見る。


 棚橋の右側に全く同じ姿の棚橋が現れ、さらに左側にも現れた。

 三対一と数的有利のアドバンテージで向ヶ先の童質を看破する。

 

 言うが早いか、三体同時攻撃。

 向ヶ先が近距離タイプなのは間違い無い。この状態でも一切の動揺を感じない。


 正面、左右からの同時攻撃。先に届いたのは左の棚橋。左ストレートが脇腹に入る。

「グッ…」

そして苦痛に歪む表情を棚橋はしっかりと確認した。

(効いてますね!)

 遅れることコンマ数秒、右の棚橋の右フックは向ヶ先の右腕にガードされ、ほぼ同時に飛び出す向ヶ先の左ストレートが棚橋の顔面にめり込む。

(パアアァァン!!)

 それは、発砲音と間違うほど高威力なエネルギーの音を響かせた。到底人の頭を殴った時に出る音では無い。

 吹き飛ばされた棚橋はすごい勢いで飛んでいき、バウンドするも何とか木にぶつかることで止まることが出来た。


 正面の棚橋はそれを見るや否や、拳を振り上げながらも、即距離をとるために無理やり後ろに飛んだ。

 さっきの反応速度なら殴られててもおかしくなかった。奇跡の生還と英断。


 木にめり込んだ棚橋を消すと左手の棚橋も向ヶ先から離れてそばにくる。


 このまま進めば敗色濃厚。

 何故向ヶ先は追撃をしなかったのか。一回目は素直に受けて二回目は防御しながらのカウンター。それもさっきよりも凄まじい威力。本体だったら一溜りもなかった。


 それからコピーを使った攻撃が続く。


「おいおい、ビビったか?ちっとも手応えが無えなあ!」

「うるさいですよ。集中しないと私のコピーにやられますよ」

「はっ!何体いたって結果は変わんねぇよ!」

 向ヶ先は苛立ちを隠せない。向ヶ先自身、童質がバレると不利になるのはわかってる。それ故に早く戦闘を終わらせたい。

「そうですか?あなたみたいな単純な人はこういうのが嫌いだと思いますけどね」

 そして、ある程度向ヶ先の童質を絞り込めた棚橋はコピーで向ヶ先の癖を見る。


(カウンターなのは確定ですね。一度目も二度目も攻撃はカウンター。条件は恐らく時間。受けた攻撃からコンマ数秒以内でのカウンターの場合、その時の攻撃で受けたダメージをパンチに上乗せすることができる。そんなところだと。そして向ヶ先が受けたダメージが無くなってる。

 癖を見るために煽りは必要)



 向ヶ先 六助 童質は返拳受罪(へんけんじゅざい)

 受けた攻撃からコンマ五秒以内のカウンターが決まると強制的にその時受けたダメージが上乗せされる。

 相手の攻撃がコンマ五秒以内の連撃ならばそれは蓄積され、後に一つの拳にダメージ分が集約される。

 カウンターの速度は容易に人の反応速度を大きく上回る。故に選択の余地無し、常避のカウンター。迷えばそれが命取りになる。


(俺は五貞唯一のクレバーな男。クレバーって知ってるか?いついかなる時も冷静にその場で迅速に感情的にならず、最適な判断を下すことができるやつのことを言う。

 冷静でクール、頭が良くてスマート、それが俺。

 俺が五貞になれた理由もそこだ。クレバー要因として五貞に入った。

 なんせ俺の童質は計算が必要だからな。いかにクレバーか分かるだろ?本質からしてクレバーなんだ。生まれながらのクレバーな男。

 つまり何が言いたいかって?

 俺に揺さぶりは効かない)


「もう、向ヶ先さんの分析は終わりました。ふふ、単純で助かりましたよ。私の思う通りに動いてくれました。

 やはりあなたは頭脳派では無いですね。ただの脳筋です」


(ふっ、俺に煽りは効かない!!)

「ハッタリだな。だがまあ…ぶっ殺す!!俺は頭脳派だ!!」


 鬼の形相となる向ヶ先をよそに普段と変わらないスカした態度の棚橋。


 三体同時攻撃に出る。最初と同様、一体目の攻撃を受け、二体目の攻撃に合わせてカウンターが飛び出してくる。

 予め予想してた通りのためここで、棚橋が仕掛ける。閃光のカウンターが当たる寸前、左の棚橋が突如消える。

 向ヶ先の拳は空を切り、思いっきり体勢を崩す。そして向ヶ先の体には一体目(右の棚橋)が与えたダメージが残ってる。

 そこに本体の棚橋の普段以上に纏った聖気による全力の拳が向ヶ先の鳩尾に深く入り込む。

「グハッ!!」

 向ヶ先の体は大きくくの字に折れ曲がり、戦闘開始から十数分、ついに大ダメージを受けた。


 体が飛んでしまい、カウンターなんてできるはずもなく、だがかろうじて残ってる意識の中で受け身をとる。

「はぁ…はぁ。冷静さを失ってたな。これじゃあ相手の手玉に取られて当たり前だ。

 そんじゃまあ、気を取り直してぶち殺しますか」

 途端、纏う聖気が跳ね上がる。

 そして棚橋の僅かな動揺。その一瞬の隙を向ヶ先は見逃さない。迫る拳を何とか避ける。

 追従。今までになかった戦い方に判断が遅れる棚橋。避ける避ける。一向に攻めに転じられず防戦一方となる。


「俺の真髄を見せてやろう」

そして、今までとは違って攻めに転じる向ヶ先。迸る聖気を纏った拳の一撃は容易く命を刈り取る凶器となる。

 棚橋はとにかく凌ぐ。凌ぐ。凌ぐ。


「俺は元々カチコミ派だあ!」

 これこそが向ヶ先本来の戦闘スタイル。

 たとえ、不意の一撃を貰っても即座に返すことが出来る向ヶ先にとって攻撃こそ最強の防御。


 あっさりと主導権を握られた棚橋。現時点では為す術が無い。

 コピーの二体すらも後手に回らざるおえない。手数では勝っているのに、勢いに押されて攻める気力が刈り取られていく。無駄に当たると高威力のカウンターを喰らう。

 会心の一撃はことごとくカウンターで倍以上に返されてしまう。


 なんとも呆気ないものか。棚橋は徐々に命の終わりを意識し始める。

 吸血鬼に寿命は無い。日々戦闘に身を置いていても自分が死ぬことなんて一切考えない。理由は単純で強いから。

 自分よりも強い吸血鬼が死んだのを目にしたことがある。それでも実感なんて湧かない。

 今、自分が死に瀕したことで初めて、死の恐怖に直面する。

 死とは何か。死んだらどうなるのか。頭の中を目まぐるしく巡る答えの無い問題。

 沈んでいく心。抜けていく力。


 これが決定打となり、渾身のパンチを無防備で喰らう。

「ズゴオォォン!!」

 死に際で考える。これで良かったのか。

 目的の達成の為に、自分を偽って周りに集まる吸血鬼達に優しく振る舞う。駒となって動く吸血鬼を増やし続けた。昔はどうだったか、丁寧な口調になってから感情が昂ることは無くなった。

 そもそも目的が変わったから、自分を主張していくことを辞めた。限界は既に迎えていた。大罪の中でも特に強くないことを知って諦めた。


 そうじゃねぇだろ!!私は…俺はまだ死ねねぇ!!

「嫉妬の棚橋。俺には夢があった!!誰よりも強くなってこの世を支配する!!そんな夢が俺にはあった!!

 今一度、諦めてしまった夢をもう一度!そしてアイツの未来の為に俺は少しでも強く!!」

「いいじゃねぇか!受けて立つ。こっからが本番だ!どっちが本当の頭脳派が決めようぜ!!」

「俺はただ、アイツのために限界を超える。己の為じゃない。アイツの希望の光を絶やさないために!!」

 髪も乱れ眼鏡もいつの間にか外れている。スーツはボロボロになりピンを失ったネクタイが棚橋の凄まじい気迫に踊り出す。


 一段階スピードのギアを上げる棚橋。

 立ち向かう向ヶ先の口角は比例して吊り上がる。



 だが、気迫だけで押し切れるほど弱くは無い。終わりは無情に訪れる。

 避けきれないパンチが続き、気迫とありったけの聖気と力を乗せた最後のパンチは向ヶ先のカウンターにあまりにも呆気なく消し飛ばされる。


 吸血鬼は死体を残さない。


 体は散り散りになり、空へと消えていく。


 棚橋は思った。最期に思い出せて良かったと。

 頂点に立つ。吸血鬼として生まれた時に強く心を支配してたのはその事だった。


 死の間際に頭を過ぎったのは一つの無骨な棺。

(起きろ。これからはお前の時代だ、暴れて来い。

 お前は生まれ持った才能が大きすぎた故に不自由な生活しか送れなかった。だから棺に封印して機会を待った。俺が死ねば封印は解ける。このチャンス、掴めよ絶対。お前ならやれる、進化の時だ。目を覚ませ。少しは力になれたかな…。

 

 そしてごめん。橋本、下柳。俺の勝手でわがままな計画に巻き込んでしまって。次の世代の礎にしてしまって。まだ生きてるか?もし次があるなら俺はお前たちにこの恩を返すよ。俺についてきてくれてありがとう。

 さよならだ…いつかまた会おう…)





 続く橋本の攻撃をただ静かに耐え忍ぶ。みるみる削り取られていく体力と聖気。

 螺旋を纏った打撃は容易に服を削り取る。腕でガードしてるため必然的にタンクトップ状態だ。薄皮一枚、聖気でなんとか守っている。

(このままじゃダメだな。仕方ねぇ、やるか。

 あんまし使いたくなかったんだけどな)

「知ってるか?」

「あ?」

「俺は靴下が嫌いなんだ。だからいつも靴下は履かない」

「あ?それがどうした。なにもやらせねぇぞ」

「触れたもののサイズを自在に変えることが出来る。それは当然、足も然り」

「っ!!」

 橋本が頭で理解した時には遅かった。一瞬にして巨大化した靴に弾き飛ばされる。


 木に激突するも螺旋で抉ってしまい勢いは止まらず飛んでいく。

 そしてついに、浄静司は毘沙羅紗を鞘から抜いた。白く輝き月の光を反射する、刃こぼれ一切無しの美しい刀身が現れた。


 橋本は聖気の消耗が激しいため螺旋の鎧を解く。

 再び向かい合う両者。

 十分な距離をとり、浄静司は毘沙羅紗を振り上げる。


(あ?ノーモーションからの斬り付け。

 確かに動きは速いが避けられない程じゃない。見誤ったか?たとえ速さで上回ってもその距離からじゃあ、明らかに射程外で届くはずがない。距離…

 そうか、やばい!動けっ!!)

(ぶしゅんっ!)

 すんでのところで橋本は刀の振り下ろしから逃れる。睨んだとおり、刀身は伸びた。だが予想外にそこから加速しズボンの裾を掠めた。振り下ろしのタイミングで伸ばすことで重さも加わりその分速さが増した。

 振り終わると地面に刺さる前に元のサイズに戻る。

「こっから一瞬でも気を抜くなよ?その一瞬で斬るからな」

「舐めるなよ。

 もっと激しく…乱調螺旋 軽颯激(けいそうげき)」

 今までとは比べ物にならならほどに荒れ狂う螺旋が橋本を包み込む。

 一歩目は思わず目を奪われるほどに流麗で、しかしそこからは螺旋同様、空気を潰していくかのような踏み込みと回転で距離を一瞬で詰める。


 そして攻撃の瞬間はまたも流れるような体運びで殺気を感じさせない緩やかな拳は振るわれる。

 インパクトの瞬間、拳の螺旋が激情を表すかのように空気を揺らし、圧倒的なエネルギーを生み出した。

 浄静司は一瞬の判断でその拳を捌くのをやめて後方に飛んだ。その判断は正しい。恐らくこれほどの螺旋を捌くには技術が足りず手が持っていかれてただろう。ミリ単位の制御を要求される。少しでもズレてれば螺旋に飲み込まれて手はぐちゃぐちゃになるだろう。


 またも防戦一方、とにかく距離を取って凌ぐ。橋本の緩急に図らずも脳の反応が遅れてしまう。

(くそっ!螺旋は斬れない)


「啄殺(ちくさつ)螺旋(らせん)」

 橋本が拳を振り抜くと螺旋が放たれた。嘴のような形を形成し、真っ直ぐ飛んでくる。


(これならやれる)

 螺旋を見て、浄静司はそう判断して手を前に出した。橋本の動きに注意しながら螺旋に指先を当てる。

「グガァッ!!」

 浄静司の右肩が螺旋に貫かれた。

 うずくまる浄静司に橋本がトドメを刺しに近づく。


 浄静司はこの時、痛みよりも状況の整理に頭を使う。


 そして、浄静司は纏っていた聖気を解いた。

「キュゥゥゥン!!」

 閃貫。

 うずくまっていた浄静司から突如伸びてきた刀は最短距離で橋本の胸を貫いた。

「螺旋の鎧には隙間があった。だが普段は意図的か知らないが走っている体勢の時、他の螺旋がうまく覆い被さっていた。

 だから視点を変える必要があった。正面からでは無く下から攻撃するために。期せずしてチャンス到来。さっきはなんで螺旋に貫かれたか分からないがちょうど良かった」

(カチコチカチ…)

 橋本の体は貫かれた胸から徐々に凍りついていく。

「舐めんな!!」

「バキィィン!!」

 橋本は拳を刀に叩きつけた。そして刀はちょうど真ん中辺りで真っ二つにされてしまった。

 縮む毘沙羅紗。本来よりも半分以上短くなってしまった。子供のおもちゃサイズの毘沙羅紗。


 そして橋本は刀を力任せに引き抜いた。凍らされたおかげで出血は少ない。


「お前の弱点はわかったぜ。

 こっからは俺のターンだ!螺旋地獄 止雨烈非(しうれび)」

 数十、数百の螺旋が浄静司を襲う。

(くそっ!!気づいてたのか。いや、さっきのはそれか!

 俺の縮尺調法は直接触れたものだけが対象になる。さっきは螺旋の中にもう一つ螺旋を隠してたのか)

「クソッタレがぁ!!」

 連打。連打。連打。押し寄せる螺旋をとにかく連打。触れた螺旋を片っ端からから小さくして避ける。

(手数勝負は俺が一番嫌いなんだ!だからこそ燃えるがな!)

「うおぉぉぉ!!」

 漲(みなぎ)る闘志に高鳴る鼓動。

 さらに服はボロボロ、至る所に切り傷を負う。

(止まない雨は無いって?いつまで続くんだこの野郎!!)

 回れ回れ!もっと回れ!ちぎれるくらい腕を回せ!!


 前回の呼吸から既に三分経過。無酸素状態の限界は極限に迫る。

 筋肉は軋み悲鳴を上げる。視界がボヤけて物がはっきりと視えなくなる。既に数千のパンチを出してる。

(オラオラオラオラオラオラオラオラオラァッ!!)

 思考は止まり、筋肉はちぎれ、意識が離れていく。


(あぁ、俺が見える。なんだぁ、体が軽い。まるで空を飛んでるような。いや、この視界…なんで俺の光り輝く頭が見えてるんだ。

 それにこれは…空になんで透明なブロックが置いてあるんだ?もう訳わかんねぇ)


 浄静司 定俊。思考停止により、極限の集中状態へと至る。

 肉体は限界を超えたのか軽やかに動き続け、頭はクリアに。

 それは神の視点か。はたまた悪魔の視点か。

 空間に透明なブロックが敷きつめられている。


 ふと、目の前のそのブロックに触れてみた。そこにはあるはずもないのだが、しっかりと重さを感じた。そしてそのブロックは小さくなる。すると視界には真っ黒な空間が現れた。


 そこから先は理解しがたく、迫り来る螺旋はその黒い空間を避けるように進んでいく。すると必然的に螺旋は体の横を通り過ぎていく。



 理解出来ないが理解した。そこからは流れるように透明なブロックに触れていき黒い空間を増やしていく。そして螺旋はあらぬ方向へと飛んでいき、螺旋の驚異から逃れた。

「ハハッ!」

 前進するも自らの体もその黒い空間を避けるようにして前に進んだ。そのおかげか一瞬で橋本との距離を詰めた。

 恐怖に染まった橋本の表情とは反対に愉悦の表情を浮かべる浄静司。

「ハハッ!」





 橋本は……逃げた。







 蓮華桜と色欲の下柳は場所を移して、開けた場所で向かい合う。


 好戦的な蓮華桜はほんのり笑顔を浮かべる。

「棺の用意は済ませたか?」

「…」

「してないのか。こんな静かな場所で死ぬのは寂しいよな。なら、弔いは派手にいこうか!」 

 扇子を広げて派手に舞う。

 すると周囲に炎が立ち上り、瞬く間に炎の闘技場が出来上がった。


 意表をつかれた下柳。そこに一切の情け容赦なく蓮華桜の扇子が振り下ろされ、下柳の腕をするりと、切り落とす。

「…」

 着物の袖と裾をなびかせながら美しく舞う蓮華桜は下柳の肉体を切り落とすのに一切の抵抗がない。蓮華桜はただ舞いながら、定められた運命のように、さながらマグロの解体ショーのように澱みなく手足がするりと切り落とされていく。


 下柳の表情は一瞬にして絶望へと変わり果て、いくら暴れても手足を振り回しても予定通りに切られているような、否応のない抗うことすら許されない、終わりを悟った下柳は自然と蓮華桜を見つめる。

 次第に下柳の表情は明るくなる。いつしか蓮華桜から目が離せなくなっていた下柳はその感情の答えを知る。


 魅了。

 生まれて初めて自分以外に魅了された。

 これは数十年吸血鬼として生きてきて、他者に対して芽生えなかった感情。いつでも自分の肉体に勝るものは無いと思ってた。

 強きものに心を奪われる。生物として至極当然のことなのかもしれない。

 自分を殺した相手に惚れたのだ。



 刻は来て、下柳の首が飛ばされた。

 地面に落ちた下柳の顔はこれ以上ないほどの笑顔で満ちていた。

 この時ばかりは合理主義な下柳も運命の巡り合わせを信じずにはいられなかった。

「あなたにであえて…よかった……ぁ」

 最初で最後の感謝をあなたに。


 下柳を見る蓮華桜の表情に変化は無い。

 戦闘時間からおよそ一分。

 決着。





「ペチペチッ!」

「おい、起きろよ。いつまで寝てんだ?起きろって」

「ん、んむぁあ。空か」

「んむぁあ。じゃねぇよ、戦場のど真ん中でいつまでも寝てんじゃねぇよ」

「はっ!?橋本は!!」

「逃げたぞ」

「なにっ!なんでだ!」

「お前にビビったからだろ」

「俺に?俺はずっと押されてたんだが」

「覚えてないのか?最後は凄かったぞ」

「なんにも覚えてない。殴って殴って殴って螺旋を必死に殴ってた時の記憶しか無い」

「あれは凄かったな。もしかしたら私もやられるかもな」

「マジか…俺がお前を?」

「そんくらい凄かった。白目が真っ黒だったしな。あれは鳥肌が立ったな、気持ち悪くて」

「おいっ!ってマジかよ。他は?」

「橋本は逃亡、下柳は私が殺した。あとは助だけだな」

「そうか。体動かねぇ」

「ったく。仕方ないからお姉さんが抱き抱えてやるよ」

「や、やめろよ!お前だけはやめてくれぇ!」

「なんだよ、失礼なやつだな」




 数分後。

「っと。終わったぞ」

「おかえり」

「勝てたか?」

「もち!」

「二勝一敗か」

「えっ、お前負けたの?」

「いや、逃げられたらしい」

「らしい?」

「最後のほうは覚えてないんだ。空が見てたんだって」

「へ〜。それにしてもあの橋本が逃げるとはね」

「とりあえず一件落着だな」

「他がどうなってるか気になるね」

「一旦戻るか。それと俺と空は状況次第で吸血鬼狩りだな」




 万寿監獄管制室。

「お疲れ様です。皆様」

「美咲ちゃんおつかれー。見事勝利致しました!浄静司は橋本を逃がしたみたいだけどね」

「おい、そろそろ下ろしてくれ。部下に見られるのはさすがに恥ずかしい」

「いいじゃん。せっかく私が体を貸してやってるのにさ」

「それはありがたいけど椅子に座らせてくれよ」

「浄静司様、こちらをどうぞ」

「さすが満島。助かる」

「それよりも大丈夫なのでしょうか」

「まあ心配は無い。橋本もそんなにすぐ暴れるほど体力残ってないだろ」

「いえ、そちらの事では無く」

「ああ、俺の体?全然平気。寝れば治る」

「そうでしたか」

「みっちゃんを心配させるなよ!」

「そうだぞ。美咲ちゃんに謝れ」

「なんでだよ!」


「とりあえず俺たちは行くからここは任せたぞ」

「はいはい」

「御意。九州の方が少し押されてるそうです」

「おっけー。ひとっ走り行こうか」

「了解。ちゃんと明日までには終わるよねぇ」

「俺たちで終わらせればいいだろ」

「それもそっか。みっちゃんここは任せた!」

「行ってきまーす」



「浄静司様とりあえず休みましょうか」

「頼む」

「御意」

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