第9話 遊園地(第二部) 3 変電所

 変電所の正門は開け放たれたままであった。通常、こんなことは無い筈だが変電所の職員は停電事故への対応で混乱しているのかもしれない。建物の前まで車を乗り入れる。井口はジャのミッチーに一緒に来てくれるよう頼み、江梨子も付いていくと車を降りた。この変電所は変圧器や遮断器など主要な設備が外に設置されている屋外式となっていて、目の前の建物は機器の監視、制御を行う制御所と思われた。

 入口のドアを拳で強く叩いてみる。しばらくして変電所の職員らしき男が顔を出したが、正装の外国人に驚いた様子で何も言わずドアを閉めようとした。ジャのミッチーがすかさず、こちらは国王庁の方から来られた電力技術者の方です、と頼んだ通りの口上をモナカ語で述べてくれた、筈だ。詐欺まがいの言葉は気が引けるが止むを得ないだろう。早くしないと六時には間に合わない可能性があるのだ。

 その職員はドアを半開きにしたまま、それでという顔をした。

「今夜はカワ王子殿下のご誕生パーティが予定されています。どのような状況になっているのでしょうか?」

 井口の言葉をジャのミッチーが通訳してくれる。すると、国王庁の関係者と信じたのか、三人を招き入れるように大きくドアを開けた。

「公社本部から何をしているのだと矢のような催促で困っていたのです。北の大国の技術者は未だ来ていません。私たちだけでは直せそうにないのです」

「分かりました。まず、制御盤室に案内して下さい」

 井口は職員の案内で廊下を進み、右側の部屋に入って制御盤を確認する。制御盤の構成が井口たちのそれとは違っていたが、この変電所で問題が発生していることは間違いないようだ。井口は外に出て機器のチェックを始める。もう四時になろうとしていた。一次側、即ち変電所に電力が入ってくる側の遮断器が切れていたため、逸(はや)る気持ち抑えながらその周辺の機器を調査する。ようやく原因が判明した。一次側の電圧を計測するところに異常が起きて漏電したようだ。機器の取り換えを行うため新たな電圧メーターなど必要なものを取り寄せてもらったが届くのに時間が掛かり、加えてこれまで井口が扱っていたものとは異なっていたため作業が捗(はかど)らない。額や手に汗がにじんでくる。大丈夫だ、落ち着けと自分に言い聞かせながら復旧を進める。変電所の職員の協力も得て、何とか六時二十分前に終えることが出来た。

(間に合った)

 久し振りの電力の仕事に達成感を覚えると同時に肩の荷が下りたような気分になった。一旦、制御盤室に戻り、正常に作動していることを確認する。

「お陰で助かりました」

 職員たちが握手を求めてきた。しかし、ここに長居をするのは落ち着かない。井口は江梨子とジャのミッチーを連れ、外に向う。

 車の軋む音がしたかと思うと入口のドアが勢いよく開けられ、二人の大男が入ってきた。北の大国の技術者がやっと到着したようだ。井口たちを見咎めた彼らは変電所の職員と言葉を交わした後、こちらに近づいてきた。何と挨拶すればいいのか戸惑っている井口の左腕をいきなり掴み、井口の身体を反転させながら背中に捩じ上げた。

「痛いわ。やめて!」

 江梨子の悲鳴だ。彼女も同様の目に遭っていた。大国の男は井口たちの捻じった腕をぐいぐい押して制御所の奥の方へと歩ませていく。変電所の職員が困っているから手助けしただけなのに。彼らに断りなく作業したことに腹を立てているとしたら申し訳ないが、いくら何でもこれはやり過ぎだろう。我々を監禁しようとでもしているのだろうか。

 突然、背後から怒鳴り声が聞こえ、腕が自由になった。振り返ると、大国の男たちが入口、ジャのミッチーの方を向いている。彼が叫んだようだった。そのミッチーが駆けだした。助走をつけ高く跳び上がった彼は両足を前に突き出し、左右の足をそれぞれ二人の男の胸にぶつけるように飛び込んでいった。堪らず仰向けに倒れていく彼らの胸の上に足を載せたままミッチーは上体を起こしていき、最後は男たちが床に倒れ込む寸前、その胸からぴょんと跳んで見事、着地した。一瞬の出来事であったが映画のワンシーンを見ているように感じ、見惚れていた井口はミッチーの、急ぐです、の声に現実に戻った。男たちはすぐには起き上がれそうになかった。変電所の職員がミッチーに近寄る。問題ありません、あとは私たちが何とかしますから任せておいて下さい、とのことであった。その言葉に甘え、井口たちは車へと向かう。走りながら、このミッチェルは小太りにも拘らず先ほどのジャンプ技が得意なので、『ジャのミッチー』と呼ばれているに違いないと思った。

 車に駆け寄り、月組長に、

「早くここを立ち去りたいのです。モナカグランドホテルまで送ってくれませんか」と願い出る。

 車はラシット通りから片側二車線の王宮前広場の通りに入った。左側に国王庁の建物が見え、王宮前広場を通り過ぎる。王宮は明々と輝いていた。

(停電のせいで遊園地の回答を訊くのを忘れていた。明日、総務課を訪ねてみよう。カワ王子の誕生パーティは無事に開催されているだろうか)

 ふと気配を感じ、右側を見るとグレーのステーションワゴンがすっと横に並んできた。北の大国の男たちが乗っている。

「あいつらだ!」

 井口が叫ぶのと同時であった。ワゴンはその前部をいきなりこちらの車にぶつけてきた。不意を突かれた車は、はずみで左に押し出され対向車線に入ってしまった。正面から乗用車が来る。クラクションが激しく鳴らされ、目の前に迫ってきた。「キャー」江梨子が悲鳴を上げる。右に戻るのかと思ったら、月組長はハンドルを左に切り、更に左の車線に入ってしまった。咄嗟の場合、これまでの左側通行の癖が出て左に逃げることになるのかもしれない。今度は大型バスが向かってきた。右隣の車線にも車が来ていて逃げるところは無い。映画などでは車体を斜めに立ち上げ、片輪走行をして二台の車の間をすり抜けるというのもあるが、それは無理なことだ。この車線の左側は車道ではなく歩道で、大きな街路樹も植わっている。江梨子は悲鳴を上げ続けていて、ジャのミッチーは腹が据わっているのか、鈍感なのか分からないが一言も発することなく助手席に座っている。月組長はスピードを落とさず再び左に切った。(街路樹にぶつかる!)観念して目を閉じる。衝撃は思ったほどではなかった。車は歩道を走っていた。車道との段差のせいでガクンときただけで、街路樹の間をうまくすり抜けたようだ。だが、その向こうに立ち話をしている人が見えた。 月組長は右に急ハンドルを切った。鈍い音を立てて右側のドアミラーが吹っ飛ぶ。街路樹に少し接触したものの、何とか車道に戻ることが出来た。と、今度は左から自転車が飛び出してきた。路地があったのだ。車に気が付いた自転車は、バランスを崩してひっくり返ってしまった。井口は言葉も出ず、ただ前を見詰める。次の瞬間、キキキキーと甲高い音を立てて車はほぼ直角に曲がり、車一台がやっと通れるその狭い路地に進入していった。自転車にはかすりもしなかった。後輪をスライドさせるドリフトと呼ばれる走行テクニックのようであった。

「凄いい!」

 声を上げたのは江梨子で、井口はまだ心臓がバクバクしていた。月組長のハンドル捌きは、まさに『運の月』の面目躍如といったところであった。路地を少し行くと広い道路に出た。相手のステーションワゴンがどこへ行ったのかは不明だが、ほっとした空気が車内に流れる。しばらくホテルとは反対の方向に走行する。

「井口さん、どういうことですか? あいつら、とおっしゃっていましたが」

 月組長が首を後ろに向ける。

 迷惑を掛けたと謝罪した井口は変電所での出来事を説明した。

「本当ですか? 勝手なことをされたと言っても彼らはやり過ぎですよね。それに車までぶつけてくるなんて」

「イグチさん。何か見たですか?」

 ジャのミッチーが前を向いたまま訊いてきた。

「えっ? 私がですか?」

「彼らの秘密、知ったですか?」

「おい、どういうことだ」月組長が割り込んでくる。

「秘密?」井口は変電所での経過を振り返る。「何もないと思うけど……」

「よく考えるです」

「ええ――ひょっとして」

 遮断器の脇に黒い金属製のボックス、言わばブラックボックスだが、あったことを思い出した。井口が知っている限り変電所の設備の一部とは考えにくいものであり、一方で秘密の何かとも思えないものであった。そのように答え、どうしてそう考えるのかを訊ねると、ジャのミッチーは思い掛けない言葉を口にした。

「蛇の道は蛇、です」

「今更そんなこと言わなくても分かっているよ」

 分かっていない月組長が呆れたように言う。

 怪しい仕事をしている者には怪しいと分かるということらしい。ジャのミッチーにとっては危険な発言だが、このような事態となったので敢えて彼の考えを話したのだろう。それにしてもジャのミッチーから『蛇の道』発言が飛び出すとは。

 車は二度、左折してホテルに向かう。

 バックミラーをちらちらと見上げていた月組長が突如、加速した。

「奴らだ!」

「嘘!」

 江梨子が振り向き、井口も後ろを見る。ヘッドライトが眩しかったが、例のステーションワゴンがぴったりとくっ付いてきていた。しつこい奴らだ。月組長はスピードを上げ交差点に進入する。直進するのかと思ったら左に急ハンドルを切った。タイヤの軋む音が響き、身体が右に振られる。ブレーキを掛けた対向車線の車はけたたましい音を立ててスピンした。ワゴンは遅れずついてくる。

「畜生!」

 月組長は舌打ちをした。片側一車線の道路に入り、二台の車は連なるように二つの交差点を通り抜ける。次の交差点が迫ってきた。信号が赤に替わっている。月組長はかまわず突っ込んだ。左側から進行してくる車の前を抜け、右側からの一台目と二台目の車の間をすり抜けようとしているのだ。井口は前の座席の肩を強く握りしめる。一台目の乗用車が目の前を過ぎていくが、スローモーションのような動きにしか見えない。ぶつかる! しかし、そのときには乗用車を掠めるようにその後ろに入り込んでいた。右側から二台目のトラックが迫ってくる。月組長は左に切りながら加速する。文字通り、間一髪のところで二台の車の間を通り抜けた。後方から鋭いブレーキ音がしたかと思うと派手な衝突音が轟いた。

「やったあ!」

 後ろを向いて江梨子が叫ぶ。

「トラックは大丈夫かな?」と井口。

「荷台にぶつかったようだから運転手は大丈夫だ。」

 月組長が面倒くさそうに答える。

「大丈夫」ジャのミッチーがぼそっと言った。「もう、やってこないです」

 それは、単にワゴンがもう追ってこないという意味だろうか。それとも、我々をつけ狙うこと自体をあきらめたという意味なのだろうか。後者だといい、と井口は切に願った。

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