第7話 遊園地(第二部) 1 招待状
会社設立から一周年となる十月中旬、いよいよ各国に招待状を出す時期となった。井口は工事施工計画をチェックしながら、花組長と江梨子の遣り取りを聞いていた。
「綾瀬さん、発送の準備は整った? 招待は来年の春だけど準備の関係もあるから」
花組長が江梨子のデスクを覗き込んでいる。「モナカ王国への招待状はちゃんと入っているだろうな。社長が気にされているんだ」
「二度確認しました。でも、社長はどうして南洋の小さな国に拘っているのかしら。何かご存知ですか?」
「知らないけど、そこは王様のいる国なんだろう」
花組長が当たり前のことを言っている。
そこへ内藤が口を出した。
「モナカ王国には『トンガリコーン』という一角獣のモデルとなった珍しい動物がいるんです」
英語を教えてくれと頼みにくるなど、内藤が進学を目指して頑張っているみたいと江梨子から聞かされていたが、興味を持った事柄も積極的に勉強しているようでモナカ王国についても調べてみたのだろう。
「どんな動物なの?」と江梨子。
「馬に似ているんだけどポニーなんかよりも小さくて、それで額の真ん中には尖った角が一本生えているんだ。絶滅危惧種で確かワシントン条約の対象になっていたと思うけど」
「ワシントン条約?」
そのとき社長室から江梨子を呼ぶ声がした。首領は仕事がてきぱきできる彼女をよく使っている。
「はぁい」と返事をし、「まただわ」と迷惑そうに呟いたが、それほど嫌がっているようには見えない。経営に関する書籍のコピーを頼まれたようだ。このところ首領は以前にも増して熱心に経営の勉強に取り組んでいるらしく、江梨子は、見直したわと感心していた。全密連及びMZリクリエーションのトップとしての意識が高まってきているのかもしれない。先日も井口は花組長とともに社長室に呼ばれ、資金繰りの状況や最終的な建設費の見込みなどを訊かれたところだった。コピーを届けた江梨子が戻ってきて内藤が条約の説明を始めた。
「絶滅の恐れのある野生動植物を保護するために国際的な取引を規制する条約で、ワシントンで採択されたのでそう呼ばれているんだ。例えばゴリラは商業目的では輸入できないし、象牙彫刻品などの加工製品も規制対象となっているんだ。トンガリコーンも研究目的以外では輸入できない筈だよ」
「トンガリコーンはそんなに数が少なくなってきてるの?」
江梨子の質問が続く。
「よくは知らないけど角の成分に特殊な効果があって、それで乱獲されたんだ」
「あっちの方にも効くのかな」花組長がニンマリしている。
「それと最近、モナカでハイテク機器に不可欠な貴重な鉱物資源、レアアースが大量に発見されたって話題になってた。我が国では不足しているんだけど輸出してくれないみたい」
「内藤君、詳しいのね。でも社長さんの拘りと何か関係しているのかしら?」
江梨子は小首を傾げる。
「そんなこと社長に聞くしかないだろう。それより招待状は明日、発送でいいな。報告してくるから」
花組長が社長室に入っていく。十五分ほどしてようやく出てきた。
「大変なことになった。所長のところへ行ってくるぞ。俺もまだまだ若いから本部まで一っ走りだ」
そう言うなり事務所を飛び出していった。井口は何故か気になり、閉まったドアに目を遣る。
「わぁ~」叫び声とともに階段を転げ落ちる音が響いてきた。
*
花組長が足を引き摺りながら所長室に入ってくる。
「首領から大変な話が」と言うとへたり込んでしまった。本人が一番大変なようだ。
「まあ、座り給え。先ほど首領様から電話があり詳しいことは君にということだった。月組長にも来てもらっている。まずは傷の手当てでもしたらどうだ」
勘左衛門は気遣ったが花組長は、いいえ、と断り、なんとか椅子に腰掛けて首領の指示を明らかにした。
それはトンガリコーンの角で作られた酒盃の密輸であった。その盃で飲めば酒の味やアルコール分はそのままでありながら、いくら飲んでも健康を害することは無いとされている。酒を禁止されている首領にとっては喉だけでなく、五臓六腑からも手が出るほど欲しいものに違いないと組長は話す。しかし、ワシントン条約の対象となっており通常の手段で入手することは不可能である。そこで遊園地を使った密輸の際に、モナカ王国から酒盃を持ち込むようにしてくれというのだ。
「本当なのか。酒を禁止されているというのは」
勘左衛門は驚き、花組長に確認した。
「以前、会社の事務所で話題になったときはおられなかったのですね。所長が全密連に来られる前のことです。もともと酒が好きだったのですが、全密連を継ぐかどうかで悩まれた時期があったようで飲み過ぎたのでしょうか、体を壊されたのです」
勘左衛門も酒をやめていたため首領が飲まないことに気が付かなかった。首領の健康は大切だが、面倒なことになったと思った。前々から酒盃を入手しようと考えていて遊園地計画に乗ったのだろうから予期せぬ物の密輸は難しいと言えば、工事は進んでいても建設を中止すると言いだすかもしれない。
「月組長、何とかならないのか」
「それは初めてのブツですし、モナカ王国とはこれまで取引をしたことが無いので――」
「首領様の依頼だ。何とか話の出来る相手を見つけてくれ。蛇の道は蛇だ」
「分かりました。首領の命令であればやりますが、ジャのミッチーはヘビーだ、って、そのミッチーって奴は太ってるんですか?」
「ミッチーのことはいいから。モナカと取引のある他の組織を通じて早急に調べてくれ」
*
招待状が発送されて一ヶ月が過ぎ、各国からの返信が届き始めた。井口はその内容が気になり花組長に訊ねたところ大半は招待を受諾するというものであったが、肝心のモナカ王国からはまだ到着していないとのことだった。首領は日に何度もまだか、まだかと訊いていて、江梨子は、社長がビルの入り口に立って郵便屋さんを待っていればいいのに、とぼやいている。井口はこのところ江梨子の元気がないように思えて気になっていた。まだ夫とうまくいっていないのだろうか。心配だがこちらから訊くのはためらわれた。
それから一週間、十一月末にようやく待ちに待ったモナカ王国からの返信が届き、花組長がその封書を社長室に持っていった。井口が固唾を呑んで見守っていると、首領が一枚の紙を持って飛び出してきた。
「おお、所長も来ていたか。英語で書いてある。誰か、英語の分かる者は居ないか?」
全員が江梨子を見る。それに気付いた首領が、
「綾瀬さんは英語が出来るの? 訳してみて」と少し驚いた様子で便箋を手渡した。
文面を見詰める江梨子を皆が取り囲む。
「オーケーか? 何と書いてある?」
「ご丁寧なるご招待であるが、貴国の如何なる機関からの招待にも応じることは出来ない、と書いてあります」
江梨子は顔を上げずに答える。
「そんな馬鹿な。読み間違いではないのか? 何か、ほかには書いていないのか?」
首領が矢継ぎ早に問い掛ける。
「間違いありません。ほかには何も書いていません」
「どうしてなのだ……。何とかならないのか」
首領は見るからに意気消沈してしまった。
重苦しい空気を何とかしようと井口は口を開いた。
「如何なる機関からの招待も受けない、ということはMZレクリエーションだから駄目だということではないのでしょう」
「そう言えば、モナカ王国と我が国の関係は良くないと言っていたな」
花組長が内藤に確かめる。
「週刊誌の記事ですから当てにはなりませんけど」と内籐がその内容を説明した。
二年ほど前、当時の我が国の首相が外国メディアのインタビューを受けた際、嫌いな食べ物の一つとして最中を挙げたことがあったのだそうだ。その『もなか』という言葉がそのまま国際放送で流され、その場面をモナカの国王が見てしまったというのだ。それ以来、モナカが嫌いな首相の居る国は嫌いだとなってしまったらしい。
「国交はあるのだからちゃんと説明すれば誤解は解けるのではないのか」
井口には首領を慮っての勘左衛門の発言と思われたが内藤がすぐに否定してしまった。
「週刊誌によると、在モナカ大使が説明に行ったけど駄目だったそうです。それとモナカ王国は我が国が同盟関係を結んでいる国々と対立する国からの支援を受けているので、そっちもあるんじゃないですか。『もなか』の件はうまく使われているだけで。レアアースのことも含め、もっと外交的努力が必要だと思うけど」
「難しい情勢のようだが何とか招待を受けてくれる方法を考え出さないと。酒杯の方は月鐘部長が動いてくれていますので、その状況も踏まえて本部で打ち合わせをすることにしたら如何でしょうか?」
勘左衛門の提案に首領は来客があるかもしれないこの場所でこれ以上の議論は好ましくないと考えたのだろう。
「そうだな。改めて本部で行うことにしよう。但し、年末までには見込みを立ててくれ」と応じ、その場は解散となった。
もう年末か、と呟いた井口はやにわに妻を呼ばなければならないことを思い出した。忘れていた訳ではないが、忙しさにかまけて何となくずるずる来てしまった。現在はトラブルもなく工事は順調に進んでいる。モナカ王国の件はややこしそうだが自分とは関係がない。この際、十二月中には来てもらうことにしよう。井口は、『遅くなったが、仕事も一段落したので年内にこっちに来ないか』とメールすることにした。
その後、モナカ王国の組織と連絡が取れ、首領室で会議が開かれることになった。井口も呼ばれて舟形の会議用テーブルに着いた。
最初に相手組織との電話での遣り取りを月組長が説明する。
「お互い初めてということもあってスムーズに行かなかったのですが、トンガリコーンですか、数が減ってきて国王が飼っていると言っていました。密猟が困難なのでそれに関連したブツは表は勿論、裏の世界でも入手が困難だそうです。それからトンガリコーンの密輸がばれたら首が転がるって」
「国王自らではなく、例えば王宮がその動物を管理しているということなのだろうが、そう簡単には行かないということだな」
勘左衛門はうつむき加減に腕を組む。
「金の問題ではないのか、月組長」
首領は酒盃の価格を引き上げるためにそう言っているのではと考えたようだ。
「ブツの値段は張るかもしれませんが、それ以前の問題かと」
「何とか手に入れたいのだ。方法はないのか」
「首領が何としても欲しいとおっしゃるのなら分かりました。モナカ王国とやらに乗り込んで直談判してきます」
月組長が胸を叩く。
「そうか、行ってくれるか」首領は声を弾ませた。
「では、早速」
仕事となるとやる気十分で、今すぐにでも出掛ける勢いだ。
「待て、待て。直談判と言っても君はモナカ語を喋れるのか?」
そこで勘左衛門は思い当ったらしく、
「電話で相手と話をしたということだが」
「任せてください」
「喋れるのか?」
「いえ、相手がです」
皆がずっこけた。
「こっちの言葉を話せる奴が電話に出てきたのです」
「やはりな。そうなると現地での遣り取りは月組長に任せるとして、但し、無理はするでないぞ。首領の物だけに出来るだけ穏便な方法での入手が望ましいからな。それでよろしいでしょうか?」
「少々の無理ぐらいはいいのではないか。それと、どうせ行くのなら遊園地への招待も直接、王国にお願いしてきたらどうだ」
首領の提案に月組長は戸惑っているようだ。
「私がやるのですか?」
「心配するな。行くとすればMZレクリエーションの者でないといけない。如何いたしますか?」
勘左衛門の問い掛けに首領が即座に答えた。
「私が行く」
「首領が行かれるのが良いのかもしれませんが、万が一、入出国審査などで何かあったら全密連は大変なことになります。ここは我慢して頂いて」
「万が一はないと思うが誰か他にいるのか?」
「私が行きましょうか。モナカ語は話せませんが」
井口は自ら手を挙げた。容易に行くとは思えず不安はあるが花組長は招待や開業に向けた準備があり、自分が行くしかないと考えたのだ。
「よく言ってくれた。新1号、頼んだぞ。モナカ王国にどのようにお願いするのかしっかり検討してくれ。それから新2号に同行してもらうことにします。女性がいれば相手の警戒心も和らぐでしょうし、英語が出来れば何とかなるでしょうから」
勘左衛門が速攻で派遣メンバー決定宣言を行った。
「えっ! 新2号も行くのか」
首領は我慢するんじゃなかったと言いたげだったが、
「すぐにでも出発してくれるか」と井口に顔を向けた。
「モナカ王国については知らないことが多く準備に時間が必要です。急ぐようにしますが年が明けてからで如何でしょうか」
「来年では駄目だ。準備は分かるが出来るだけ早くしてくれ」
議論の結果、十二月十九日の土曜日から四泊五日の予定で出発することになった。四泊といってもモナカ王国への発着便がある空港まで四時間はかかるため前泊が必要で、帰りは機中泊となることから現地は二泊となる。短い期間で本当に大丈夫かと思うが、これで何とかやってきてくれと言われてしまった。
その夜、アパートに帰った井口のもとに妻からのメールが届いた。再来週の土、日、十九、二十日に来るとの返信だった。やばい! モナカに行くことになってしまった。こっちから呼んでおいて何と間が悪いことか。すぐに携帯に手を伸ばした。
「俺だ。申し訳ないことになった」
「何よ。どうしたのよ?」
「メールしたあとに急に海外出張が入ったんだ。十九日からモナカ王国に行かなければならなくなった。」
「日程は変えられないの?」
「無理だよ。それと短期間で準備しないといけないので出発までも忙しい。だから」
「折角、予定を立てたのにまた来るなって言うの?」
「そうじゃなくて来るんだったらこっちのおいしい店にも連れていくから、年明けに」
「どなたか代わりに行ってくれる人はいないの?」
「俺から行くと言ってしまったんだ」
「あなた、どういうことよ。来いと言っておきながら自分から行くことにするなんて。最初から呼ぶ気なんかなかったんでしょう。やはり私が行くと困ることがあるのね。分かったわ」
電話は切られてしまった。
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