第10話 溺死液

「偽札だって!?」

 宇宙空間まで飛んで事情をきいている内に、俺は素っ頓狂な声を上げた。ペーパーレスの宇宙で現金にまつわる犯罪を耳にすることは、古いゲームの中なら兎も角、現実では初めてだった。

 インコ女モモは、贋作がんさくを専門に油絵を描いて暮らしていた絵描きだった。

 贋作を示すサインを描かなければ本物と見分けのつかない腕の良さを、バニルシア・ギャングのファミリーのドン・バニルシアに買われたことにより、偽札の原盤のデザイン書きとして雇われることになった。

 モモや偽札作りの名人らは心血を注いだが、紙幣をつくるのに3年の月日が必要だったという。

 その間に、モモはバニルシアファミリーの一人である鷲男マッテオと出会い、二人は恋に落ちたのだそうだ。

 政府公認の紙幣と寸分たがわぬバニルシア紙幣が完成した時、バニルシアはマッテオたちに一つの命令を下した。


 偽札に関わっていた美術家の口を封じろ。

 そう言ったらしい。

 

 美術家の一人がバニルシア紙幣のことをどこか外に漏らしたらしく、紙幣の偽造を首謀したものは死刑になるため、刑を恐れたドン・バニルシアは原盤以外の証拠を消し去ろうとしたのだ。

 忠臣だったマッテオは一番の汚れ仕事である美術家の皆殺しを任された。

 マッテオは命令をこなし、最後にモモを殺そうとした。

「その時気づいたんだ。俺にはドンの命令や、自分の命より大事なことがあると。それがモモだ!」

「ダーリン。」

「僕のテゾーロ(宝物)。」

 くちばしに見える鳥人型の口は、硬くなった唇だ。カツッカツッとキスし合う二人に俺はげんなりし、クロコは目を輝かせた。パニは…真っ赤になって顔をそらしている。

「えっちぃ〜。ヒューウ。」

 ピー助がそういって水を飲んだ。

「それで、ふたり手に手をとって逃亡してた所で、俺に会ったと。」

「ああ、そうなる。」

 チュパっと唇を外したマッテオが真顔でそう言った。

「ティマに行くのはどうしてだ?ティマに行くあてはあるのか?」

「俺の親友のカルロスに匿ってもらうつもりだ。あいつなら俺達を受け入れてくれるはずだ。」

 ん?

 俺は確認したくなった。

「家族とか、親戚とかでなく?」

「ああ。俺は身寄りがなくてな。」

「もしかしてだが、カルロスはファミリーの一員、とかないよな?」

「いや、かつては仲間だったが、引退して漁師として真っ当な生活をしているよ。」

 …駄目だ、こいつ。

「今は真っ当でもギャングだった奴じゃないか!ゲームなら殺されるフラグがビンビン立ってるよ。駄目じゃーん。」

 うざ絡みみたいになるかも知れないが、送りました殺されましたは目覚めが悪い。

「いや、カルロスに限って俺をファミリーに突き出したりはしないはずだ。」

「突き出すより銃を向けてくるよ。いいか?ファミリー関係の厄介事がやってきて、恐ろしいドンとやらが殺れと脅してきたら、親友でも誰でも屈して殺っちゃったりするもんなの。誰でも平穏な生活をとるって、それは。」

「ならどうしろと!」

 俺は激昂するマッテオを手を上げて制した。

「今からティマでなく、別の全く関わりのない惑星まで逃げた方がいい。生まれ変わるくらいのことしないと。まぁ、数十年も時が経てば偽札なんてヤバいもの製造してるドンが逮捕されたりするだろうから、死ぬまで逃げ切るつもりで二人で生きるべきだと俺は思う。」

「てめ…、ニートのくせに…。親にぬくぬく食わせて貰ってるくせに…。」

 てめえと言おうとして言葉を噛み殺し、ブツブツいうマッテオを無視して、俺はモモを向いた。

「金なら貰ったから、ティマでも別の所でも行くよ?おすすめは…ミタスフーレとかかな。」

 高速で宇宙の周辺マップを検索しながら、鳥人型でも目立たないだろう惑星の名前を挙げる。

「私は、私はスレードから出たことがないからわからないわ。」

「皆初めはそんなもんだ。でも、過去の因縁のある所は全てギャングの手がまわってると思ったほうがいい。」

「お金もないし。」

 俺は躊躇ったが、カツカツでもお節介をやいた。

「なら、こうしよう。前払いで俺は運賃を貰った。後払いのやつは、あんたらの将来の結婚とか出産とか、そういうときの俺からのご祝儀代わりってことで、どうだ?」

 俺はウインクした。

 それは、前世からの癖ってやつだ。

「あんた…。」

 マッテオが目を見開く。

「デカいのは腹だけじゃないんだな。」

 そういうと感激した顔で俺に手を差し出した。

「心もでかく。ま、もし細マッチョのイケメンがこんな台詞言ってたら幾らでもさまになるんだけどな。」

 俺は出ている腹を叩くと、マッテオに握手した。


 マッテオが全く知らない惑星の名前からランダムに選んで、ティマでなく惑星サリバンへ向かう。

 原始生物と森が多い星だ。恒星系をまたいでまではギャングが追跡しないだろう。

 燃料と空気からいって結構ギリギリだ。なので、サリバンで補給を受けるか、近くの宇宙ステーションに必ず寄るという算段をつけた。


 こうなるとは思ってなかったので食料を切り詰め栄養的に足りない食事をした後、俺は気取ってトランプを出したが、ポーカーをやりたがるマッテオの顔に、前世ギャンブル依存症だった俺の影をみたため、金賭けなしの花札で遊んだ。

 花札は博打に使われているのだが、金も賭けずチップも用意せずに遊べる。カードも綺麗で、花札を見たことがなくてもウケが良かった。

 モモがせめてもの恩と言い出して、タブレットペーパーを広げ、デジタル絵画を描いて俺にプレゼントしてくれた。

 クロード・モネの睡蓮。その贋作がモモの迷いのない手でサラサラとタブレットに描かれていく。

 俺は検索して元の絵を知ったが、電脳にしていない彼女は写真の様に絵を覚えているらしい。サリバンの近くまで来た時に、油絵風の絵が出来上がっていた。

「ありがとう。」

「こちらこそ。スペースニート。」

 俺は作品を電子媒体で受け取ると、脳のチップの画像ファイルに大事におさめた。


 サリバン宇宙港から外に降りると、蒸し暑い熱帯の空気がした。

 宇宙服をクーラーモードにしつつ、上から灰色のパーカーを羽織った俺は深呼吸をした。

 クロコが伸びをして、パニがあくびをする。マッテオとモモは新天地に期待し、恒星からの光を浴びていた。


 希望。そういうものに満ちていた。


「感謝するよ。スペースニート。あんたがいなかったら、ここまで来れなかった。」

鬼灯博ほおずきひろしだ。それが俺の本名さ。」

 笑顔のマッテオとモモに、俺は笑って応えた。

「貴方のこと、忘れないわ。」

「宇宙海賊よりヤバいアウトローがいたと記憶しといてくれ。二人共お元気で。」

「ええ。貴方もお元気で。」


 俺たちは宙港で別れた。

 港で燃料と食料を頼んだ他、腹が減った俺達は港で飯を食った。

 ここでは主食はバナナで、何というか南国の食べ物といった感じだった。

 クロコとパニがパイナップルが沢山入ったハンバーグを食べる隣で、俺は極彩色の魚の煮付けみたいな食べ物を箸で四苦八苦して食べながら、ピー助にバナナを与えていた。

「あまくない!バナナがぜんぜんあまくないわ!」

「文句言うなよ。」

「私のパイナップルあげる。」

「くろこはかみ〜。」

 腹が膨れた辺りで、俺はクリナシュへ向かうことを提案した。

「ムーランドでも良くないですか?」

 クロコの言葉に、俺は複雑な気分になる。

「カーン派の連中は、ムーランドに俺達が寄ることがベタなくらいわかっているだろうから、敢えて別の惑星に行こうと思ったんだ。」

 俺はふと自分に郵送されてきた所謂メール欄を見るのを忘れていた。宇宙旅行で埋め込んだだけのチップの少ない容量を空けるため、メールやメッセージの整理をする。

 迷惑メールや詐欺メールに混じって、親からのメールが届いていた。


 バカ息子が引っ越しと称して行方不明になった上、宇宙で犯罪に関わってるとなれば、心配していますどこにいるのか連絡下さいとくるのが普通だ。

 俺はサリバンの真夏の恒星を浴びながら、手紙としてメールを書いた。内容はこうだ。


 前略

 俺は宇宙を旅することを決意し、ハイアースとは別の惑星にいる。

 宇宙を旅している内に犯罪に巻き込まれたが、俺は誓って人身売買や人攫ひとさらいなどやっていない。逆に、自前の宇宙船で人を乗せたり人の命を助けることをやっている。

 しかし、宇宙を旅するうちに海賊やトンコル政府などに命を狙われることになった。彼らは家族であるお父様お母様を狙うかもしれず、それだけが俺の心配だ。

 警察に相談して警護や巡回を受けてくれ。警備を雇ってもいい。兎に角、身辺に気をつけてくれ。

 俺は自力で生きていくつもりなので、大丈夫だ。

 このアドレスは変えるつもりだ。

 ふたりとも身体にはくれぐれも気をつけて。

 草々


 実際には俺でなく私と書き、ですます調でもっと丁寧に長々と書いた。

 それを父親と母親両方にそれぞれ送信し、使っているアドレスとは別に通信アドレスを変更して、メール通信でも逆探知を防ぐことにした。



 ま、サリバンなんて星に俺がいるなんて、俺でも思ってもみないことだ。


「やぁ。スペースニート御一行様。」

 前言撤回。

 俺はびっくりして声の主を見た。

 全身黒いタールの様な粘性の液体に覆われた、ゾルともゲルともつかない不可思議な流体人間が、銀色のウェーブ銃を手に俺達の前に姿を見せていた。

「海賊同盟の奴!」

溺死液ドロウンリキッドと呼んでもらおうか。スペースニート。お互い通り名は大事にしないとな。」

 溺死液ドロウンリキッドに気づいた観光客の女性が、銃を見て叫び声をあげた。

 無関係な人間たちが机の下に頭をぶつけながら潜り込んで隠れる中、俺は精神を集中させて、時の女神の鎌こと自在鎌スウィングサイスの準備を完了させた。

「お日様が一杯のサリバンでバカンスに来たって訳ではなさそうだな。」

「日差しが強いと俺の身体が熱を持つ上に乾きやすくてね。逆に健康に悪いんだ。俺の質問に答えたら、さっさと殺されてくれないか?」

 俺の口調に溺死液が体の表面を波立たせて笑った。

「その坊主はコルプ・ボダーブルに間違いないか?」

 パニの顔が凍った。

「それを君が知ってどうするつもりなわけ?狙うのは俺だろ。」

「いや、狙うのは二人だ。お前とその坊主。偽皇帝カーンの再来の芽は摘まないとな。そこのダッチワイフはどうでもいい。」

 銃口がサッとクロコの方を向いた瞬間、俺の自在鎌の刃が溺死液の腕を切り落とした。

 ビュン!

 引き金が引かれたが、ウェーブ銃の光弾が地面をえぐった。

 俺はガンマンの前世で銃を抜くと、ブラックマンバの銃口を溺死液に向けた。

「逆転だ。このままサヨナラ勝ちさせて貰うぜ。」

 俺は溺死液の眉間に光弾を叩き込んだ。溺死液は黒い液体を撒き散らしながら、煙を上げて倒れる。

「逃げるぞ!」

 俺達は椅子から立ち上がると、宇宙港へと急いだ。


 ドサクサにまぎれて無銭飲食した俺達だったが、宇宙港の船に全速力で帰ると、しばらく肩で息して喘いだ。俺は吐くようなオッサン咳をしながら冷たいお茶にありつく。

 空になっていた船の燃料は、まだ満タンにはなっていなかった。

 クロコとパニは出発すべきだと言い、俺は満タンになるまで待つべきだと言った。

 宇宙港には港自治みなとじち権という言葉があり、港独自の掟に従って港内での暴力や発砲、出発前の密輸や密航などを独自に取り締まることが出来る。

 要するに、警察権があるのだ。それも国の法律よりも港の法律の方が強い。港内で事を起こす海賊はいないし、宇宙港でテロを起こして宇宙レベルの警察を敵に回す奴もいない。

 問題は宇宙に出てから襲われることで、港で襲われる可能性はないといって過言ではない。

 俺はそういって、二人と一羽を説得した。


 だが、船の外部カメラから、こちらに接近してくる相手をみてビビった。

 それは右手を落とされ頭に穴をあけたはずの、溺死液ドロウンリキッドことソーン・スワンプだった。

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