直き木に曲がる枝

三鹿ショート

直き木に曲がる枝

 彼女には、弱点や欠点というものが存在していなかった。

 周囲に人気が無ければ襤褸を出すのではないかと思い、尾行したこともあったが、迷子や老人に手を差し伸べる姿ばかりを目にすることになり、彼女の素晴らしさを強める結果となってしまった。

 だが、私は諦めることなく、彼女に対する調査を続けた。

 理由は、至極単純なものである。

 完璧な人間が存在していては、己がどれほど無能な人間であるのかを自覚しなければならなくなってしまうからだ。

 だからこそ、弱みの一つでも知ることができれば、誰もが欠点を持っているということになり、彼女もまた、一人の人間だということの証左と化すのだ。

 そうでなければ、彼女以外の人間の全てが可哀想ではないか。


***


 常に微笑を浮かべ、丁寧な言動であり、優秀だが謙遜な様子を見せる彼女に対して悪感情を抱く人間など、私以外には存在していないだろう。

 人々は、彼女の姿を目にすることで、己の矮小さに苛立ちを覚えることはないのだろうか。

 私の問いに、友人は首肯を返した。

「自分との能力に遜色が無ければ嫉妬もするだろうが、天と地ほどの差異が存在しているのならば、思うことは何も無い。追いつくことができないと分かっているものに対して競争心を抱くなど、時間の無駄である」

 おそらく、多くの人間が眼前の友人と同じような思考を抱いているのだろう。

 現実的な思考だが、諦めて良いものなのだろうか。

 彼女が人間として完成された姿ならば、彼女以外の人間を人間と呼ぶことは出来ないということになる。

 しかし、大多数の人間が何かしらの欠点を有している。

 それならば、大多数の人間こそが正しいのであり、完璧である彼女の方こそ、人間と呼ぶことができないのではないか。

 私が意地を張って彼女の欠点を見つけ出そうとしているのは、彼女のような素晴らしい存在でも弱みを有しているということを自分たちの慰めとするという目的だけではない。

 優秀ゆえに人間という枠から彼女が追い出されることがないようにするためでもあるのだ。

 私のためでもあり、彼女のためでもある行動なのである。

 だからこそ、私は彼女の弱みを知る必要があったのだ。


***


 学生という身分を失ってからも、彼女について調べ続けたが、弱点や欠点などというものを発見することができなかった。

 欠点が存在していないことが欠点などと言うつもりはない。

 それでも、これほどまでに何の欠点も存在していないのならば、彼女が人間ではないという可能性もあるのではないか。

 彼女という完璧な存在を人間たちの手本とするべく、何者かが世に送り出した機械なのではないか。

 そのように考えた自分を、私は嘲笑した。

 私は、自身が惨めであることから逃れるために、彼女を貶めようとしているだけだった。

 そろそろ、認めなければならない。

 同じ人間の手によるものなのかと疑ってしまうほどの作品を生み出した芸術家たちのように、世の中には信じられないような人間が存在しているのだ。

 たとえ、同じ人間であることが恥ずかしくなるようなことがあったとしても、能力に途轍もない差異が存在していることを、認めなければならないのである。

 そのように考えた瞬間、私は憑き物が落ちたような感覚と化した。

 これまで彼女に対して抱いていた黒い感情が消え、同時に、己の無力さを笑って語ることができるようになった気がした。

 其処で私は、彼女に謝罪をしようと決めた。

 事情を知らないために、私の突然の行為に彼女は面食らうだろうが、そうしなければ私の気が済まないのである。


***


「誰がやってきたのか」

「同じ学校に通っていた男性です。理由は不明ですが、謝罪をしにやってきたということでした」

「何故、そのような真似をする。喧嘩別れをした恋人ならば、きみが許したとしても、私が許すことはない」

「話が飛躍しています。そのような関係ではありません。理由は不明だと言ったでしょう。そもそも、これまで私に恋人が出来たことは一度も無いことなど、あなたが最も理解しているはずですが」

「それもそうだ。醜い感情による失言だった。許してほしい」

「気分を害されたわけではありませんから、謝罪の必要はありません。それでもあなたの気が済まないということならば、常よりも私のことを可愛がってくれれば、それで良しとしましょう」

「きみのためならば、喜んでそうしようではないか。だが、先ほどやってきた男性もそうだが、きみのことを知っている人間たちからすれば、我々の関係は信じられないだろうな。きみのような、何処に出しても恥ずかしくない娘が、父親と毎日のように愛を確かめ合っていることなど」

「だからこそ、私が本気であることが分かるのでしょう」

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