2-2
大学一年生のころだ。夏休みを使い、友人とドイツ旅行を計画した。ドイツ語どころか、英語すら危うい私たちはもちろんツアー旅行を申し込んだ。
降り立った都市はフランクフルトだった気がする。統一感のある都市の風景に私は目を輝かせる。高い建物に石畳、大きな広場に集まる市場は、私の心を捕らえた。
私はあまりに模範的な観光客と化し、シャッターを何枚も何枚も切る。気づけば友人とはぐれていた。
見慣れない土地は私に方向感覚を失わせた。地図すら役に立たない。目に涙を浮かべた私に、酒臭い男性たちが寄ってくる。何か言われているが、異国の言葉で意味が分からない。あまりの恐怖に、私は逃げることもできず、パニックに陥った。
頭が真っ白になった私の手首を誰かが掴んだ。思わず身体が跳ねる。
「行こう」
日本人の青年が、私をその場から引き離す。後ろから男性たちのはやし立てるような声が聞こえた。彼はそれを無視し、私を連れ、前へ前へと歩いていく。
しばらくそうしただろう。彼が私から手を放す。
「大丈夫?」
聞きなれた日本語にひどく安心して、涙が止まらなくなった。取り乱した彼に、私は何とかお礼の言葉を絞り出す。
こぼしていた嗚咽が引き、呼吸が整って、気づいた。彼は私と同じツアーに参加している青年だった。友人や家族同士での客が多い中、彼は一人だったから、少し浮いて見えたのだ。
「怖かったね」
私は反射的に謝る。彼を巻き込んでしまったことがひどく申し訳なかった。だけど、それに対して、彼はなぜか胸を張り、こう言った。
「大丈夫。僕も怖かったから」
あまりのしたり顔に私は思わず笑ってしまった。
どうやら、中心地から離れた場所へ来てしまったようだ。彼とともにスマホをにらみながら、元居た場所への道を探る。
人のざわめきが聞こえ、私たちは顔を見合わせる。中心地近くまで戻ってきたようだ。彼が手を出したので、私は小さくハイタッチをした。
微笑んでいた彼が、突然声を上げた。私は驚き、びくりと身体を震わせる。
「すごいものを見つけたよ」
彼は下手なウインクを見せ、私に目配せをした。彼の視線を追うと、そこには赤い屋根の露店があった。
彼は小走りにかけていき、あっという間にプレッツェルを二つ買ってくる。
「あのお店、テレビで見たんだ。知る人ぞ知る名店って」
その一つを私に手渡そうとする彼を制する。
「いくらでした?」
「いいよ、僕のおごり」
「いくらでした?」
その問答を三回続けて、ようやく彼は折れてくれた。私はウエストポーチから財布を取り出し、彼にお金を払う。
「かっこよくおごらせてくれたらいいのに」
「そういうわけにはいきません」
買い取ったプレッツェルを私は受け取る。二人で、いただきます、と笑いあい、私たちはそれを口にした。
あたたかくて、塩気がきいていて、とても、おいしかった。
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