第三話:遊園地
3-1
マーケットを抜けると、広々とした駐車場に出る。
灰色のコンクリート上に引かれた白い仕切り線が、来ることのない車を待っている。この街に車が走ることはないだろう。
ビニール傘や、フリルのついた傘まで、色とりどりのそれが、広い敷地の向こうへ吸い込まれていく。私たちもそちらに向かう。
大きな看板が見えてくる。そこに記されているはずの文字は霞んで見えない。ただ、にぎやかな装飾が、ここは遊園地だと主張する。
「今年は緑が当たればいいね」
私は頷き、券売機にお金を入れる。深呼吸し、大人一人のボタンを押した。出てきたのはピンク色の傘の形をした券だった。
傘を模した遊園地の入場券は愛らしい。彼にしてはセンスがいい。
私は緑の券が欲しい。私が愛用している傘のデザインだからだ。だが、もう四度挑戦しているが、一度も当たったためしがない。
彼が私の手の中のそれを覗き込む。
「今年も駄目だったね」
「今年も駄目でした」
私は肩を落とす。彼が券売機のボタンを押した。出てきたのは青色の券だった。
「僕も駄目だった」
「次の楽しみにしましょう」
気持ちを切り替えるように言うと、彼の顔が私に向いた。その白く何も映らない仮面で、私を見ている。
静けさの後、彼は一言、そうだね、と言った。密やかな声だった。
パステルカラーのレインコートを着た白い仮面たちが、入場券を切る。彼らは何も言わず、私たち来場者に手を振った。
遊園地に一歩踏み込むと、そのまばゆさに目がくらむ。ジェットコースター、回転ブランコ、メリーゴーランド。そのすべてが電飾に彩られている。
視線を遠くにやると、海が見える。だが、それは海ではない。限りなくそれに似た何か、だそうだ。彼が松明から作り出すものはすべてそうだ。似て非なる何かであり、それではない。食べ物や飲み物は安全だ、と彼は言い張るが、きっとそれも根拠はない。
にぎやかな音楽が流れる中、人の話し声はほとんど聞こえない。
梅雨の街にやってくるのは、無作為に選ばれた人々だ。家族や友人同士で来ることができる場所ではない。そのため、単独行動の人ばかりだ。
一人でめぐる遊園地とは、あまりに切ない響きだ。だが、案外そうではないらしい。
園内に張り巡らされた鉄のレールを走るジェットコースターからは、楽しそうな悲鳴が上がる。メリーゴーランドに乗る客はどこか恥ずかしそうだが、満ち足りた顔をしていた。
急流すべりが人々の叫び声を測定する。
「いい記録だね」
彼の言葉に微笑んだ私に、大きな水しぶきが飛んでくる。私は、わっ、と声を上げるが、時すでに遅し。左半身が濡れていた。
スカーフは水を吸って、不快な重さで私の首を絞める。
「服、作ろうか?」
彼が松明に手を伸ばすが、私は首を横に振った。
「これもまた醍醐味でしょう?」
「君がそう言うなら」
彼がポケットからハンカチを取り出し、私に手渡した。レインコートの中にあったそれは、少し湿っていて、それでも、どこか彼のぬくもりを秘めていた。
私たちはこの遊園地最大の見どころである観覧車に向かう。様々なパターンを持って色を変えるそれは、見ているだけでも楽しい。虹色の光をまとい、雨の中、静かに回るそれの中心には、デジタル時計が備え付けられている。
文字盤には「03:44」という数字が示されていた。その文字列は私だけに見える。
「あと何時間だった?」
「あと三時間でした」
時計に示されるのは、客に残された時間だ。
数字がゼロになると、私たちは元の世界に戻らなければならない。
与えられる時間は、人によって、また、その時々によって違う。
初めて私がここを訪れたときはたったの一時間だった。二度目はたっぷり二十四時間、三度目は三時間だった。今回は五時間といったところか。まだ、いい方だろう。
時間は刻一刻と過ぎていく。カウントダウンが終われば、光が迎えに来る。
その光が、彼に訪れることはない。
雨に紛れ、ぼんやりと光を放つメリーゴーランドの横を通り過ぎたあたりから、彼の歩調は遅くなる。前に出た私が振り返ると、彼の足が止まった。
「やっぱり乗るの?」
「やっぱり乗りたいです」
彼は仮面越しに頭を押さえる。
「君は意地悪だなぁ」
「あの日、乗ろう、と誘ってくれたのはあなたじゃないですか」
「君は意地悪だ」
私はその言葉に応えて、意地の悪い笑みを作り、前を歩き出す。小走りにかけてきた彼が、私の横に並んだ。
乗り場へ続く鉄の階段が、私たちの足音を拾う。
並んでいた客は数人で、あっという間に私たちの順番が回ってきた。蛍光色のレインコートを着た仮面が私たちをゴンドラへいざなう。
私は軽い足取りでそこへ踏み込む。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫だと思いたいね」
固い声でそう言うと、彼はこわごわと足を踏み出した。彼の重みでゴンドラが揺れる。小さく悲鳴を上げた彼は、ゆっくり、ゆっくりと席に着いた。胸をなでおろす彼を見ながら、私はその正面に腰を下ろす。
「スカーフ、取ればいいのに」
彼の言葉で、私は濡れて重くなったスカーフを無意識に触っていたことに気づく。無邪気な彼の言葉に、私は曖昧に笑って見せた。
観覧車の窓に雨粒が伝う。外の様子はぼんやりとにじみ、頼りない。
私の前で彼は小さく震えている。余程怖いのだろう。
手を握り、背を撫でたい。
私は席を移し、彼に手を伸ばす。彼が首を横に振る。
「駄目だよ」
「駄目ですか」
「うん。駄目なんだよ」
私はおとなしく手を引いた。
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