第二話:マーケット

2-1

 展望台を降りると、そこはマーケットエリアだ。

 ヨーロッパを思わせる赤茶色で統一された世界の地面は石畳でできていて、雨に濡れたそれは光を反射し、ぼんやりと明るい。

 雨の中、野外テントを張った露店が並んでいる。その屋根は赤、黄、青、と様々な彩りを見せ、目を楽しませてくれる。

 露店の店主もそうだ。色のついたレインコートを羽織っている。彼と同じ白い仮面をかぶったそれらは、表情もなく、客から無言でお金を受け取り、無言でものを渡している。

 あたりを見渡すと、賑わい、というほどでもないが、それなりに人がいる。

「お客さんの数、増えましたね」

「その方が、寂しくないだろう」

 それは、彼のためか、私のためか。おそらく後者なのだろう。

 私は何も言えずに頷く。それに触れることなく、彼は明るい声で、大げさに手を広げて見せる。

「もう知ってるかな? 新しいパン屋を作ったんだ。お客さんにも大人気! どうかな?」

「いつものところで」

 遠慮がちに言うと、彼は肩を落とす。

「やっぱり、プレッツェル?」

「やっぱり、プレッツェルです」

 答えは変わらないというのに、彼は次々と私が好きといったものをこの街に生み出していく。それはきっと、新しいものが好きだった私を喜ばせるためだろう。そんな自惚れが私を満たしていく。

「じゃあ、行こうか」

 彼はあっけらかんと言った。私たちは横並びに歩き出す。

 マーケットには様々なものが売っている。多くは食べ物で、サンドイッチ、ケバブ、ジェラートなど、どれもおいしそうだ。

「ねえ、あのぬいぐるみ可愛くない?」

 彼が指さしたのは、毒々しい色をした妙にリアルな蛙のぬいぐるみだった。

 私は眉をひそめる。

「あまりセンスがいいとは言えませんね」

「うわ、やっぱりそうなんだ。売れないと思ったよ」

「あっちの方がお土産として嬉しいです」

 私は、ガラス球に閉じ込められた街を指さす。それは梅雨の街を模したスノードームのようなもので、中には雨が降っている。きらきら、と輝くそれは幻想的で、いつまでも眺めていられそうだ。

 彼は顎に手をやる。

「あれはお客さんの提案だ」

「そうだと思いました」

「それはどういう意味かな?」

 私は笑う。彼は不服そうに唸った。

 一つ、また、一つ、傘の数が減っていく。露店も少なくなり、赤茶色の景色を彩るのは私の薄緑の傘だけになった。

 レンガ造りの高架橋が見えてくる。その向こうにある、赤いテントのプレッツェル屋が私たちの目的地だ。

 薄暗い橋の下を抜けると、赤いレインコートを着た仮面が私たちに視線を移す。それは、保温ケースに入ったプレッツェルを二つ包み始めた。

 私はポシェットから財布を取り出す。

「僕が払うよ」

「私の分は私が払います」

「仕方ないな」

 彼はあっさりと身を引く。

「ここで君が折れないことは僕が一番知ってるよ」

 互いに一つずつプレッツェルを買った。それを受け取る彼に、私は傘をかける。陰った視界に気づいたのか、彼が私を振り返る。

「レインコート、着てるから大丈夫だよ」

「プレッツェルが濡れちゃいます」

「それはそうだ」

 彼はプレッツェルを私に預け、左手に松明、右手に私の傘を握った。

 私たちは一つの傘の下、肩を並べて高架橋の下に潜る。名残惜しさに、わざと歩調を緩めた。

 橋が雨を遮る。

「ありがとう」

 彼は傘をたたみ、壁際に立てかけた。

 私たちは、いただきます、と声をそろえ、紙に包まれたプレッツェルを取り出す。雨音を聞きながら、私たちは黙々とプレッツェルを食べた。それはあの日のように、おいしかった。

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