1-2
光が薄らいでいく。
地に足が付く感触とともに、くらんだ目がさえていく。
私は門の前に立っている。
人ひとり分の幅の門、それは水から構成されている。打ち付ける雨に波紋を広げ、輪郭を揺らす。私はそれをくぐり、街に足を踏み入れる。
僅か五メートル四方の空間がこの街の入口だ。そこにあるのはいくつもの水たまりと、小さなあずま屋だけ。
彼はいつも通り、あずま屋の元、木製の椅子に座っていた。
ひざ丈の黒いレインコートに袖を通し、顔には真っ白な仮面をつけている。目鼻口の存在しない、白く塗りつぶされた仮面だ。そして、彼の左手には鮮やかな赤い炎が灯る松明が握られている。
「こんにちは。松明さん」
私の呼びかけに、彼は立ち上がり、レインコートのフードをかぶる。
「その呼び方、ガイドブックにでも載ってたの?」
「その通り」
「道理で最近、そう呼ばれるわけだよ」
彼はくすくす、と笑いながら、あずま屋から顔を出す。
彼の手に握られた松明は、雨の中でも揺らぐことなく燃え盛っている。
「素敵なスカーフだね」
「ありがとうございます」
私は首元のそれに触れ、笑って見せる。展望台から見える景色に目を移した。
「新しいエリアを作ったらしいですね」
「うん。図書館エリア。いかにも君が好きそうだろう?」
「さすが。よく分かってますね」
「行く?」
彼がわざとらしく小首をかしげる。可愛らしいその仕草に小さく吹き出しながら、私はその誘いを断る。
「いつもの場所で」
「分かったよ」
彼はやれやれ、といった風に手を広げてみせた。
展望台から、一つ目のエリアに向かうには階段を下るしかない。百段あるその階段を降りるのはなかなかに骨が折れる。だけど、私は嫌いではなかった。
その階段は石造りで、中に鉱石が入っている。それが雨に濡れ、独特の光を放つのだ。
「見とれてると踏み外すよ」
彼の言葉に私は口をとがらせる。
「三年前みたいにですか?」
「三年前みたいにですよ」
彼は楽しそうだ。だが、それを伝えるのは声と動きだけ。彼の表情は仮面に隠されて見ることができない。
「まあ、だけど、階段が不便って声はお客さんから、上がってるんだよね」
「そうでしょうね」
「よし、エレベーター作っちゃおうか」
彼はひらめいたとでもいうように声を上げ、松明の火をひとかけらつまんだ。そして、それを口に含み、ふっと吐き出す。
湿った空の下、赤い炎が広がる。それは瞬く間にエレベーターを思わせる四角い箱に変わった。
松明の火は彼の願いを叶える。
「さあ、乗って」
それはどこかの空港で見たような上下左右透明の箱だった。
私が足を踏み入れると、さざ波が起きる。柔らかな感触だ。門と同じように、水でできているらしい。
「綺麗ですね」
「そうだろう」
彼が長靴で踏み込むと、さらに大きな波が立った。
中は雨の匂いに満たされている。その湿った匂いはこの街にいることを強く感じさせた。
彼が、控えめに設置された青いボタンに触れる。ポーン、とピアノの単音が響き、エレベーターが動き始めた。
透明の箱が地上に向かって降りていく。
私は街を見渡す。ずいぶん大きくなったものだ。美しい世界、それでいて、とても歪な世界だ。
「満足かな?」
彼の問いに、私は大きく頷く。
「満足です」
「嬉しいな」
彼は照れたように頭に手をやった。感じた軋みを忘れるために、私は彼に意地悪をしてみる。
「一緒に街を見ませんか?」
「……。僕はいいかな」
彼のくぐもった苦笑が仮面の下から聞こえた。高いところが苦手なのは昔から変わらない。
ポーン、と再び音が響き、エレベーターが止まる。
「行こうか」
彼がエレベーターの扉を押さえ、私を外へ導いた。
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