第46話 氷雪の摩天楼とおまけ

 その週の土曜日。俺は牧野さんに乗せられて新井田課長の住んでる家の近くまで来ていた。牧野さんにはバレないように死角に停めてもらって。


 九月の末ともなるとちょっと涼しくなってくる。でも新井田課長は汗だくだった。そういえば会社でも空調が暑いと文句を言っていたしな。


「新井田課長」


 声をかけて、ぎょっとする。新井田課長の巨体に隠れて見えなかったが、その後ろから野々花が顔を覗かせたのだ。新井田課長は野々花に完全にデレデレしており、こっちを向かない。


「可愛いお嬢ちゃん、これから俺とご飯に……」


「おじさーん! こっちこっち!」


「野々花! お前、どうしてここが……」


「ふふん。野々花はおじさんのことならなんだってわかっちゃうんだから!」


「なにっ! 長岡、お前この美少女と知り合いか! 紹介しろ!」


 新井田課長、もうちょっとオブラートに包んだほうが下半身に直結してると思われなくていいと思いますよ。もう遅いけど。


 にしてもどうして野々花がここにいるんだ? 配信機器も一緒だ。お弁当らしきバスケットも持ってきている。ダンジョンに入ることがわかっていたのか? どこまで野々花の手の内なのかわからなくて、ちょっとだけ恐怖を覚える。


 野々花は新井田課長の言葉に気分を一瞬害したような表情をしたが、すぐに笑顔に戻って新井田課長に笑顔を向ける。


「新井田おじさん。今日はダンジョンに行くんだよね? 野々花も行きたいなあ」


「こ、こんなか弱そうな子が行くところじゃない! 一階の中ボスですら俺は苦戦したんだ。それをこんな少女が……」


「新井田課長、知らないんですか? その子、一千万登録者を持つ人気ライバーですよ」


「なにいいいい!? 人は見かけによらないというが、まさにこのことだ。いいだろう! おじさんの胸を借りてどーんと構えていなさい!」


「わー、新井田おじさんありがとー!」


 半分棒読みに感じるが、気のせいだろう。また厄ネタ持ってきてるな、この子は本当にもう、俺に対して過保護すぎる。いい大人が少女に守られてるなんて情けなさすぎだろ。もっとしっかりしないと。


 だが、俺だけでは新井田課長を社会的抹殺に持っていけるか怪しいのも事実。今回だけ、いやまたも野々花に甘えよう。今日はどんなネタを持ってきているんだろうな。


 出発の時間になり、それぞれ配信を始める。新井田課長のチャンネルを覗いたら、登録者は三百二十四人。ド底辺もいいところだ。新井田課長も同じことを思ったようで、俺のスマホを覗きこんでくる。


「ちょっと、課長。近いです」


「長岡のくせして生意気だぞ。お前のチャンネルを教えろ」


「神憑きチャンネルです」


「神憑きチャンネルぅ? ふっ、まったく伸びてなさそうなチャンネル名だな。どれどれ……ぶっ!?」


 新井田課長が俺に対して唾を飛ばす。俺はそれをハンカチでふき取っていると、わなわなと震えだした。


「登録者数二百七十万人……? 嘘だろう、お前が? メンバーもこんなにたくさんいて……。本当にお前なのか? 誰かからチャンネルを買ったんじゃないのか?」


「俺の給料を考えてくださいよ、そんなこと不可能です。それは新井田課長が一番わかっていることでは?」


 痛いところを突かれて、新井田課長はぐぬぬ、と唸った。すると野々花が配信を始めたらしく、オープニングトークが始まる。


「みんなー! 元気かな? 今日はこの前みたいに突発配信していくよ! え? またおじさんとかって? おじさんは野々花の大事な仲間だもん! この前もアキラとか玲奈ちゃんとかとコラボしてたでしょ? それと同じ! 今回はゲストもいるよー! 新井田おじさん、笑ってー!」


「あ、ああ……。おほん。諸君、ごきげんよう。新井田悟だ。この少女と今回はダンジョン探索をしていく。長岡とかいうおまけもいるが、ぜひこの少女の相棒として……」


「はい、コメントありがとうございましたー! え? 長岡逸見いつみ? それは……」


「野々花、もういいんだ」


「おじさん」


 俺は野々花の言葉を遮って深呼吸する。これが、俺の富岡商事に対する最後の復讐になる。だったら、いつまでも名前を隠しておくのはフェアじゃない。同接は休日だからかすでに六十万人をいっている。


「そう、俺の名前は長岡逸見。神憑きのおじさんはそんな名前」


《長岡逸見……富岡商事でも聞いたことないぞ》


《そりゃ底辺窓際族だからだろ。そう見積もると何年も窓際族やってたことになる。じゃないと誰かが名前くらい聞いたことがあるはずだ》


《じゃあ、本当に底辺窓際族だったんだ……。それが、いきなりダンジョンで覚醒して? 頭がおかしくなってきそうだ》


 混乱する視聴者に、俺はなおも言葉を続ける。


「俺はもう名前を隠さない。だから好きなように読んでくれ」


《おっさん、覚悟決めたな》


《もうお前は底辺じゃないよ。立派なライバーだ》


《おっさん、かっこいいところもあるじゃんか》


 もっと辛辣な言葉をぶつけられるかと思ったが、そういうコメントはちらほらと見えるだけで大部分が俺を歓迎してくれるコメントばかりだった。


「みんなありがとう。今回のダンジョン名は氷雪の摩天楼っていうらしい。みんなのために精一杯頑張るから、見届けてくれ」


《なんだよおっさん、いきなり消えるみたいに》


《俺たちはおっさんに野々花たんを救われてるんだ。最初はいけ好かないやつだと思ってたけど、この前の配信で気持ち変わったしな》


《必ず戻って来いよ。お前は俺たちのヒーローだ》


 野々花ファンにもついに認められるようになって、俺は成長を感じていた。今までやってきたことは、無駄じゃなかった。


 いい話でまとまりそうなところを、新井田課長が割って入ってくる。


「お前ら騙されるなよ。長岡はなあ、使えないんだ。ちょっと量の多い書類を一分でコピーを取ってこれないような無能なんだよ。そんなやつを褒めちゃだめだ。厳しく、いたぶってやらないと」


《なにこのおっさん。きも》


《しかもデブだし。性格までひん曲がってるとか人間終わってんな。おっさんと野々花たんの配信に出られるだけでもありがたく思えよ、カスが》


「んなぁっ!?」


 ああ、俺も最初はああだったなあ。この五か月間、長いようで短かったけど、人はちゃんとやれば評価される。たまたま俺が富岡商事に向いていなかっただけなのだ。


「ほら、おじさんたちも配信あるなら始めて? 中に入るよー」


「あ、うん! 急ぐ!」


「ふっ。あんなことを言われたが、俺の実力を見ればみんな態度を改めるはずだ」


 そんなことをぶつぶつ言いながら配信を始めた新井田課長を見て、過去を重ねていた。俺が変わればみんな認めてくれるはず。


 そんなふうにして働いてきたのに一番最初に裏切ったのは新井田課長だ。俺は、この人には並々ならぬ恨みがある。今日はとことん追い詰めさせてもらうからな。


 そんな恨みを胸に、先にダンジョンに入った野々花の後を追って、俺もダンジョンに入った。

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