第45話 野々花の贅沢な家

 野々花がカードを自動セキュリティの機械にかざすと、ようやく自動ドアが開く。二人は慣れているのかすんなり入っていくのを見て呆然としていると、カードを鞄にしまった野々花がまた腕を組んでくる。


「いこっ! おじさん!」


「あ、ああ」


 中は広々としたエントランスになっており、花や絵画が飾ってある廊下を進んでやっと玄関が見えてきた。二人はもう中に入っているようで、半分ドアが開いている。


「……まあ! 長岡さんも来てるの!?」


「そうっすね……。あ、来た来た。野々花ー、紹介よろしくー」


「お母さん! この人が長岡逸見いつみさん! 野々花の命の恩人!」


 野々花がぐいぐい玄関まで俺を引っ張っていくと、中から出てきたお母さんはとんでもない美人だった。野々花にそっくりだ。成長した野々花、と言っても過言ではない。


 実際の年齢は四十代くらいだろうが、全然三十代前半に見える。俺が見とれてしまうと、野々花が俺の頬をつねった。


「いてて!」


「もう! お母さんに見とれてないで!」


「あ、そうだった。初めまして、長岡逸見と申します。こちら名刺になります」


「あら、ご丁寧にありがとうございます。……富岡商事。最近悪い噂しか聞かないところね。大変でしたでしょうに」


「いえ、慣れてますから」


 実際そうだ。仕事を任されなくなってから早五年。即戦力を求められる会社には立候補することができず、ずるずるここまできてしまった。俺の悪いところであり、情けないところでもある。


「どうした。長岡くんが来たのか」


「ええ、あなた。ちょっとくたびれているけど、いい人そうよ」


「どれ。……ふむ」


「あ、初めまして。長岡逸見と申します。恐縮ですが、こちら私の名刺です」


「受け取っておこう」


 数々の会社を束ねるトップとなると威厳が違う。うちの社長なんてちっぽけに見えるほどオーラのある人だった。少し白髪が混じった髪を撫でつけて、髭も適度に生やしているその様は俺の理想とする男そのものだった。


「富岡商事……。最近うちの子会社でも契約を打ち切ったところだ。ところで、君は一体なんの仕事をしているんだ?」


「えっと、窓際族です……」


「え?」


「……窓際族です……」


 二回目は消え入りそうな声になってしまった。だって情けなくて。ダンジョンでは勝てても、現実では情けないおっさんなのだ。きっと、野々花のお父さんだって俺を鼻で笑うはず──。


「そうか。屈辱を耐えてきたのだな。そのうえで勇気を出してうちの大事な愛娘を助けてくれた。君は勇気ある人間だ。窓際族程度で見下したりはしない」


 俺はその言葉に弾かれたように顔を上げた。お父さんは笑ってはいないが、優しい目をしていた。認めて、もらえた……?


 それを優しい目で見つめていたお母さんが動く。


「ほらほら、玄関先で話をするのもいいけど、ご飯の準備してるからあがって。今日はみんなでパーティーなんですから」


「やった! 野々花のかーちゃんのグラタンうまいんだよなー!」


「アキラさん、はしたないですよ」


「ふふふ。高校生はこうじゃなきゃ! ほらほら、上がって上がって。手洗いをしてきたら、リビングにきてちょうだいね! 大きなテーブルと人数分の椅子が用意してあるから!」


「はーい!」


 高校生三人はぱたぱたと家の中に入っていく。お母さんも料理の支度があるのか中に入っていった。お父さんと俺、二人だけになってしまう。何を切り出したらいいのかわからないでいると、お父さんのほうから声をかけてきてくれる。


「君は、野々花が好きなのか?」


「いっ、いえ! いや、その……。友達? としては好きですが、下劣な感情はこれっぽっちも……」


「ははは、それを聞いて安心したよ。うちの娘は家に帰って晩飯になると君の話ばかりするんだ。ダンジョン攻略、頑張っているらしいね。野々花が憧れの探索者だと言っていた。ぜひうちの野々花を大事にしてやってほしい」


「はい、それは重々……!」


「引き留めてすまないね。うちの家内の料理は美味しいぞ。もう少しで出来上がるから、酒を交えて語り合おうじゃないか」


「は、はひ……」


 お父さんのオーラに呑まれて、俺は情けない声をあげることしかできなかった。


 野々花に洗面台に案内されて手を洗い、リビングに案内されて、その広さにびっくりする。俺の部屋の約四倍はある。大きなテーブルには料理が並び始めていて、いい匂いにうっかり腹が鳴ってしまう。


「あ、あう」


「もう、おじさん子供みたい。かわいい!」


「か、かわ……!」


「おじちゃん、腹減ってるなら俺の分分けてやろうか?」


「アキラはからかうなよ!」


 俺が声を張り上げると、アキラはにしし、と笑ってテーブルのほうを向いた。キッチンから運ばれてくる料理はどれも美味しそうなものばかりで、目移りしてしまう。


 特に肉なんかは最近やっと食えるようになってきたからよだれを飲みこむので必死だ。隣に座った野々花が両手で頬杖をついて嬉しそうにこちらを見ているのがさらに恥ずかしい。


「さ、メインディッシュのステーキで終わり! 冷めないうちにいただきましょう!」


「ゴチになります!」


「いただきます!」


「もう、お二人とも子供みたいですよ」


 玲奈ちゃんがくすくすと上品に笑う。なんだか、仲間の輪にようやく入ったような、そんな心地だ。この三人とダンジョンを攻略してわかった。この三人は、信用してもいい。


 お母さんがふふふ、と笑うと、手を合わせた。


「いただきます!」


「あ、いただきます!」


 俺もみんなに慌てて合わせて手を合わせる。そしてその場の全員が欲しいものを取り始めた中、俺はから揚げに視線を向けて唾を飲みこむ。そして一つ取って取り皿に乗せて、一口かぶりつく。


 柔らかい。どこの部位を使っているとかは全然わからないが、とにかく柔らかくてジューシーでおいしい。下味も濃すぎず薄すぎずちょうどいい。絶品の唐揚げだ。これならお金を払ってもいいくらい。


 そこにごはんを一口。そうするともう口の中が天国だった。肉はやっぱりいくつになってもいい。胃もたれしない程度にだが、俺は他の野菜やお刺身なんかを挟みながらから揚げを食べ進める。


「おじさん言い食べっぷりだね! お腹空いてた?」


「むぐ。ごめん、がっついてしまった」


「いいんですよ。そのためにお呼びしたんですから。そのほうが作ったかいがありますもの。あ、ご飯おかわりします?」


「すみません、お願いします」


「はい。よいしょっと」


 お母さんは立ち上がり、俺の茶わんを受け取るとキッチンに入っていった。


 その後お父さんと酒の話で盛り上がり、俺はいけないとわかっていつつも課長のことを話してほどよく酔っぱらっていた。家に帰ったら熟睡コースだな。


「逸見くん。今日は楽しい酒を飲めた。ありがとう」


「こちらこそ、晩酌を共にしていただいてありがとうございます」


「いいや、それはこっちの台詞だ」


「あはは……。あ、もう九時か……」


 当然明日も仕事だ。そrそろお暇して風呂に入って寝なければ起きられない。


「おじさん、そろそろ帰らなくて大丈夫?」


「明日も仕事だから帰らなきゃかな。お母さん、ごちそうをありがとうございました」


「いいえ、お粗末さまでした。玄関先まで送りますね」


 俺が立ち上がると、お母さんとお父さんもまた立ち上がった。野々花も。玄関で新調した革靴を横向きで履いて、三人にお辞儀をする。


「今日はありがとうございました。楽しかったです」


「こちらこそ。今度は泊っていってもいいんだぞ。客室はいくらでもある」


「ありがとうございます!」


 玄関のドアのガラスから車が見える。牧野さんだ。


「牧野も来たみたいね。それじゃあ、お気をつけて」


「はい。また今度」


「おじさん」


 俺が玄関から出ようとすると、野々花が追ってきた。そして囁く。


「これでもう『家族』だね」


「……っ! じゃあな、野々花。風邪ひくなよ」


「うん!」


 その言葉を最後に、俺は玄関から出て牧野さんが待つ車の中に乗りこんだ。背後で野々花がスマホを取り出していじっているのも知らないまま。

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