新井田課長編

第44話 プライドの高いデブなおっさん

 増田の逮捕は会社に大打撃を与えた。株価は暴落し、そもそも株主が数を減らし、会社は傾き始めていた。


 そうなると退職する人間も多くなってきて、いよいよ俺への当たりが本格的に強くなってくる。紙くずを投げつけられたり、脅迫されたり、様々だ。すべて録音しているが。


 それでも俺は底辺窓際族であり続けた。そのうちに何人かが野々花の配信を見ていた俺を知ったという輩が出てきて、いよいよ特定の流れになったのである。


 現在の俺のチャンネル登録者数は二百七十万人。特定を公開するなら今まで録音した暴言などを労基に提出すると脅すとみなおとなしくなった。


 最初からこうしていればよかったかもしれないが、あのときは気力も元気も尽き果ててそれどころではなかったのだ。逆に悔しいけど俺のファンになったという人間もちらほら出始めて、俺は底辺ではなくなりつつある。


 それを見て面白くないのは、もちろん新井田課長だ。今まで散々俺をバカにし、脅迫し、ときに暴力に訴え出たのは奴である。


 この会社の諸悪の根源ではないが、役職クラスの人間が逮捕またはスキャンダルが出れば大騒ぎ。最後には会社は倒産するだろう。


 しかし、俺は新井田課長から声をかけられるまで待った。俺から誘ったのでは言い訳ができてしまう。それを消すために、ポケットサイズの録音機を使ってずっとタイミングが来るのを待ち続けていた。


 配信で食えるようになってまだ一か月。それでも俺にとってはありがたいことだ。これで、後腐れなくこの会社を潰せる。


「長岡」


「はい、課長」


「なんだその生意気な目は」


「してませんけど……」


「最近のお前はなんだか生き生きしていて気に食わん。神憑き、だったか。嘘をついて会社の人間を味方につけようなどとしおって」


(やっと食いついたか)


 この一か月、待ちくたびれた。転職を有利にするためにどうしても新井田課長からの暴言や過失がほしかったのだ。パワハラ、モラハラ。労基に提出すれば、時間はかかっても俺は解放される。


「いえ、そんなことは……」


「そんなことはある! そうやって社員をたぶらかしおって、長岡のくせに! だいいち神憑きとはなんだ!? お前の作った造語だろう!」


「都市伝説だそうですよ。俺も最初に知ったときは驚きました」


「なんだその口の利き方は」


「え……」


「長岡はもっとビクビクして怯えてなくちゃいかん! じゃないといじめがいがないだろうが! 都市伝説になったからどうした。ダンジョンでいきがってるだけで、会社では何もできないクズだろうがぁ!」


 新井田課長が俺の机を拳で強く叩く。その剣幕たるや恐ろしく、自信がついてきた俺でも恐怖を感じるほどだ。そう、この人が怖くて、俺はろくに仕事ができなかった部分もある。なんでも頭ごなしに部下のせいにするからだ。


 でも、この発言は使える。帰ったらPCにデータ移して保存しておかなければ。


 にしてもこの男、録音されている可能性は今まで考慮していなかったんだろうか。格下を相手にしか怒鳴れないのに、ボイスレコーダーを使われたら終わりだという認識がないのかもしれない。


 むしろ、助かっているけどね。あとは新井田課長が決定的な言葉を出してくれれば……。


「ふん、その神憑きとやらも大したことないんだろう。俺が直々に稽古をつけてやる。つい最近俺の家の近くにできたダンジョンに来い。名付けて氷雪の摩天楼。塔をひたすら上っていくだけの単純な構造だが、中にいる敵は強い。せいぜいしなないようにするんだな。まあ、骨くらいは拾ってやる」


「ありがとうございます」


「くっ……! 指定は今週の土曜日、朝九時だ! お前が帰るときに俺の住所を書いたメモをやる! そこに必ず来るんだぞ!」


 どすどすと前よりも豊かになった体を慣らして課長は席に戻っていった。俺のこの会社への復讐は、終盤を迎えつつあった。




◇◇◇◇




 今日も牧野さんが迎えに来てくれている。一か月前のあの日から俺専属の運転手となった牧野さんとは関係は良好だ。お互い使われる立場というのもあるし、牧野さんが優しいから話を振ってくれて間が持つというのもあった。


 牧野さんは愛妻家で、帰りが遅くなる時は必ず奥さんにプレゼントを買って帰っていた。俺にもこんな甲斐性があったら、彼女の一人でもできたのかな。


『私が愛してるのはおじさんだけ』


 その言葉を思い出して首を振る。あれからも野々花から連絡がきているが、それらしいそぶりもないし。増田を絶望させるために言ったのだろう。


 牧野さんの車に近づいていくと誰かが運転手脇の席と後部座席に乗っている。自動でドアが開き、中から野々花が出てきて手を握ってくる。


「おじさん! 待ってたよ!」


「の、野々花!? それに、みんなも……!?」


 後部座席には奥に玲奈ちゃんが、運転手脇の座席にはアキラが乗っていた。これはいったいどういうことだろう。というか、道行く人の視線が痛いからそろそろ車に乗りたいのだが。


「見て、あれ野々花たんじゃない?」


「本当だ。一緒にいるやつは誰だ? どっかで見たことあるような……?」


 げっ、野々花のリスナーこんなところにもいるのかよ。とにかく、早く車に乗らないと。


「野々花、俺も会えて嬉しいけど今はバレちゃいけないんだ。車に早く乗せてくれるかな? ごめん」


「あっ、ごめん! おじさんが謝らなくていいんだよ! 早く車に乗ろ!」


 野々花に手を引かれて車に乗りこむ。いかつい牧野さんに美形ども。ううん、なかなかハードな見た目だ。


「長岡様、お帰りなさいませ」


「あ、牧野さん。お世話になります。でも、これは一体……?」


「野々花お嬢様たっての希望で、この度長岡様をお嬢様のお屋敷に案内することになりました」


「や、屋敷に!?」


「うん。アキラと玲奈ちゃんを呼んでるのにおじさんだけ呼ばないなんて不公平だなって! それとも、嫌だった?」


 さも当然の権利のように腕を組んで無意識だろうが胸を押し当ててくる。だから、大きいんだってば!


「嫌じゃないけど、若い人たちの集いについていけるかどうか心配だよ……」


「おっさん大丈夫。だいたい学校の話かダンジョンの話しかしてないから。俺ら恋愛にはあんま興味ないからな」


「そ、そうなのか?」


「そ。だから安心してよ。野々花のお父さん、おっさんに会いたがってたぞ? 命の恩人にいまだにお礼もできてないって」


 いやいや、牧野さんの送迎だけでも十分助かってるのに。これ以上のお返しなんて受け取れないよ。


「いやいや、人として当然のことをしたまでで……」


「野々花が招待したいの!」


「う……」


 そう言われると弱い。しなだれかかってくる野々花からはいい匂いがするし、他の二人が微笑ましくその光景を見ているから、いたたまれなくなって俺は真っ赤になりつつ牧野さんに出発をお願いした。


 車が動き出す。一時間半ほど車を走らせると、高級住宅街にやってくる。車から降りた俺を出迎えたのは、これでもかというほどでかいコンクリートの塀で囲まれた自動セキュリティつきの屋敷だった。

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