第35話 毒沼の園

 毒沼の園の名前にたがわず、入って一つ息を吸っただけで灰が腐り落ちそうなほど濃厚な毒を感じる。俺はすぐさま毒耐性の魔法を全員にかけた。これでなんとか進めるはずだ。


 あたり一面、毒沼が所狭しと広がっている。常に夜なのかあたりは暗く、俺はジュエルドラゴンのピアスを取り出して発動し光源を確保する。


 足を踏み入れればたちまち毒に侵されるだろう。増田さんは息が苦しくなくなったのが不思議なようで、玲奈ちゃんにお礼を言っていた。


「玲奈ちゃんだよね? 毒をなんとかしてくれたの。ありがとう」


「いえ、この魔力はおじ様かと」


「ふん、毒を消したくらいで調子に乗らないでよね。野々花ちゃんも、こんな男考え直したほうがいいよ」


「余計なお世話。それより、配信開始するよ。ちなみにおじさん、登録者百五十万人の人気ライバーだから。一万人のお姉さんが失礼なことするとたちまち炎上するよ」


「うそ……!? こんな冴えない男が!?」


 悪かったな、冴えなくて。生まれてこのかた彼女もできたことがない魔法使いですよ。それのなにが悪いってんだ。


 そこまで言われてないことまで考えて、今回は俺は置き場所がないという理由からスマホをポケットに入れてサウンドオンリーの配信で。その代わり野々花が映像を映してくれることになり、非常に助かる。


 リスナーも最初はブーイングをしていたが、みんな野々花のほうの配信に向かった。元は野々花のリスナーと兼任してるやつのほうが多いんだ、あっちのほうが馴染み深いだろう。


「みんなー! 野々花だよー! 一週間ぶり! 今日はご存じの通りおじさんと玲奈ちゃんとゲストとの配信だよ! それじゃ、ゲストさん挨拶よろしくー!」


「お前らいつも野々花ちゃんに色目使いすぎなんだよ。女の子は女の子と仲良くすべきなの。わかる? コラボできたということは野々花ちゃんは私のもの……」


「はーい。元気なコメントありがとうございましたー! みんな何も聞いてないよね? ……うんうん。みんないい子で助かるなあ。……特定した? 早いなあ。チャンネルとリアル潰さないようにしてよ?」


 野々花はわかってやっている。リスナーにヘイトを溜めさせて潰す気だ。現に玲奈ちゃんに異様に近づいてボディタッチに余念がない。玲奈ちゃんがちょっと嫌がっているので止めに入ろうとすると、シュバってきて睨みつけられる。


「玲奈ちゃんは渡さないわよ」


「いや、ボディタッチしすぎて玲奈ちゃんが嫌がってるから……」


「嫌がってなんかないわよ! ね、玲奈ちゃん。野々花ちゃんも入れて三人でダンジョンデートしようね!」


「は、はあ……」


 誰のおかげで今こうして息ができていると思っているのやら。増田さんの毒耐性だけ解除してもいいんだぞ。


「はーい、喧嘩しない! あと野々花は誰のものでもないから。そこ勘違いしないでね。……おじさん、その光る玉は?」


「あ、ああ。発狂ジュエルドラゴンを倒して手に入ったレアドロップ品。刺すのが怖いから持ち歩いてるんだ」


「ふうん。野々花が刺してあげよっか?」


 思ってもない申し出だった。ピアスを明けるのが怖いのもあったし、会社ではそんなもの付けていられないしで困っていたところだ。野々花ならピアスも開け慣れていそうだし、お願いするのも一つの手か。


 そう思ってジュエルドラゴンのピアスを野々花に手渡そうとした瞬間、増田さんがシュバってきてピアスを取り上げる。そしてとろけた顔をして野々花に迫る。


「野々花ちゃん、こんな男より私のほうが似合うと思わない? それにピアス開けてもらうなんて名誉がこの男には無駄。ね、誓いあおう? これから仲間になって一緒にダンジョン攻略するって」


 腰まで振り出しそうなほど欲望丸出しな増田さんの態度に、野々花はため息をついた。


「さっき言ったよね? おじさんは野々花のヒーローだって。何を誓いあうのか知らないけど、お断りするよ」


「なんで? 私綺麗だよ? そんな小汚いおっさんなんて……ぐっ!?」


「それ以上おじさんの悪口を言わないで」


 増田さんのことを野々花が睨む。ひっ、と増田さんは小さい悲鳴をあげた。野々花を恐怖の対象と見たらしい。


「……野々花ちゃんのこと、諦めないから」


「好きにすれば。……おじさん、じっとしててね。開けたら自分に治癒をかけて」


「う、うん」


 野々花が増田さんの首から手を離しピアスを取り返すと、壊れものを扱うように俺の耳たぶに触れる。そして次の瞬間、ぷつっという痛みが走ったので治癒をかける。


 少し血がにじんだ程度のピアス穴は治癒によって丸い穴になり、ピアスの鋭い金属を受け入れている。自分で触ってみても痛くない。しゃら、と小さく宝石が揺れる音が聞こえる。


「うん。おじさん、似合ってるよ」


「ありがとう。自分で開けるの怖いから助かったよ」


「なんで……。なんであんたなんかが野々花ちゃんに……」


「さあ。人徳の違いじゃない? 女が好きなのかもしれないけど、欲望だだ洩れとか野々花大っ嫌いだから」


「私が好きにさせてあげる」


「言ってれば」


 今までの野々花とは知らない一面を見て、内心怖くなる。俺も自信をつけて胸を張るようになったら、野々花に見捨てられるんじゃないか。野々花は俺の手を握って嬉しそうに笑う。


「さ、行こっか。向こうからポイズンゾンビの群れも来てるし」


「噛まれたり引っかかれたりしたらおしまいです。お気をつけて」


「ふふん。私の実力を見せて、野々花ちゃんと玲奈ちゃんのハートをわしづかみにしちゃうよー!」


「はは、心強いです。じゃあ、迎え撃ちましょうか」


「私は囲まれたら終わりだから、後衛組頼むよ。お姉さんはどうするのか知らないけど」


「任せてください」


 もう目前まで迫ってきているポイズンゾンビの群れに、玲奈ちゃんは一言呟いた。


妖精の猛火フェアリーバーン


 玲奈ちゃんの周りに炎が舞い、その炎がゾンビの群れの先頭を焼き尽くす。だがそれでは足りない。玲奈ちゃんがもう一度魔法を唱えようとしたのを、片手で制止して俺は唱えた。


炎神の怒りイラプション


 ポイズンゾンビたちの足元からマグマが吹き出し、爆発する。俺は毒を浴びないように同時に絶対防御プロテクションを唱えて範囲を大きくする。


 溶岩の噴火に耐えきれず、ゾンビたちは体に残ったわずかな脂に引火して全身が燃え上がり、衝撃で四肢がばらばらになった個体もいた。こちらに飛んできた四肢は絶対防御プロテクションがそれを受け止める。


 増田さんはおぞましい光景に慣れていないのか、その場で嘔吐し始めた。汚いな。


 その一撃でゾンビを一蹴したことがあまりにも衝撃的だったのか、興奮した様子で玲奈ちゃんが話しかけてくる。


「おじ様、すごいです! 配信を見てはいましたけど、生で見ると違いますね! しかも今の魔法、炎の上位魔法です! それを無詠唱であれだけの威力を……。さすがは神憑き。おみそれいたしました」


「神憑き……? まさか、あなたが噂の神憑きライバーだとでもいうの?」


「そうだけど……」


「高橋と松山さんを辞めさせたのはあなただったのね! 男とかいう汚らわしい存在のくせに、高橋はともかくとしても松山さんを辞めさせたのは許せない!」


「いや、あれは完全に自業自得でしょう。児童虐待に不倫。今ごろ裁判の最中でしょう。悼むなら資金援助の一つでもしてみては?」


「男を選んだ女の援助なんてしたくないわ。この世は女性であふれるべきなのだから!」


 そう言って俺を睨む増田さんは本気で俺を恨んでいるように見える。やはり、レズビアンなんだろう。しかも過激派の。この配信を見てレズビアンに偏見を持つ人がいませんように。


「お姉さん、持論展開するより守ってもらったお礼くらい言ったら? 社会人なのにそんなこともできないの?」


「の、野々花ちゃん、ごめんなさい。……助けてくれてありがとう。もっとも、玲奈ちゃん一人でなんとかできたと思うけどね」


 この人、一言余計なんだよなあ。まあ男という人種を憎んでるなら無理もないけど。


「次に進みましょ。ダンジョンボスのトリガーを探して倒さないと」


「野々花さん、置いていかないでください」


「野々花、待ってよ」


「長岡逸見いつみ……。必ず殺してやる」


 背後で増田さんが呟いた言葉に戦慄する。幸い先行した二人には聞こえてないみたいだからいいが、聞こえていたら野々花が黙っていなかっただろう。


 俺たちは湿っぽい地面を踏みしめながら、毒沼を避けて進んでいく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る