増田すみれ編

第34話 増田すみれ

 今日も窓際族生活は続く。さすがに二人俺と関わってる人間が辞めさせられているからか俺をバカにする人間が減ってきた。減ってきただけで、まだいるけど。


 あの次の日お金を下ろしてきて大家さんに一か月分だけだが家賃を払った。大家さんはたいそうびっくりして俺の財布の心配をしてくれたが、大家さんにライバーを始めたことを伝えると俺の心配をしてくれた。


 大家さんはどこまでもいい人だ。お世辞にも建物はいいとは言えないけど、俺がここに住み続ける一つの理由である。


 大家さん特製の煮物をわけてもらって、俺は大家さんと別れた。大家さんの優しさがどこまでも沁みる。この人の為に、俺は成り上がって大金を手に入れ、あんなクソな会社とはおさらばするのだ。


 あれから二か月。残暑が厳しい八月の末。広告収入はうなぎ上りで、チャンネル登録数もアキラを抜いて百五十万になった。アキラは悔しがっていたが、アキラもまた百二十万人と伸びている。頑張っている証拠だ。


 あれから広告収入だけでなく赤スパもちらほら入るようになり、俺の生活はずいぶんと変わった。滞納していた家賃も光熱費水道代も全部払い終えたし、まだささやかだが晩酌を楽しめるようになるまで生活水準は高まっていた。


 このままいけば、会社を辞める日も近い。そう考えているうちに八月になっていた。月日が過ぎるのは早いものだ。野々花たちには宿題が終わったらと条件を出したら八月の末になってしまったというわけである。


 今日もわざと熱いお茶をひっかけてくる増田すみれさん。会社一の美人だ。そういえば、この人もライバーだったな。俺は彼女がどこかに行ってしまう前に声をかける。


「増田さん」


「名前で呼ばないでくれる?」


「それだと誰を呼んだかわからないでしょう。今週の土曜日予定は空いてますか」


 増田さんは振り返って、糞まみれの豚を見るような目で俺を見る。


「ここが会社でよかったですね。外だったらあなたをビンタしていたところよ」


「乗るんですか、乗らないんですか」


 増田さんが殺気を放つ。俺は冷や汗を流しつつ、返答を待った。彼女がふ、と邪悪に笑い、俺を心底見下した態度で言い放つ。


「乗るわよ。乗らないであなたに見下されるなんて屈辱以外の何でもないもの」


(かかった)


 俺は冷や汗をかきながらも内心笑う。増田さんはまだ俺のことを神憑きだと知らないらしい。そうこなくては。復讐のしがいがない。


「ありがとうございます。集合場所は明日伝えます」


「ありがたく思ってよね。あなたの情けない姿を私の配信に映してあげる栄誉をくれてやるんだから」


「ありがとうございます」


 増田さんはそれだけ言うと、他の人にお茶を渡すためにヒールを鳴らしながら去っていった。


 見返してやる。そして、絶望させてやる。自分のほうが上だと勘違いしているその心を、粉々に砕いてやろう。


 おっと、謙虚さを忘れ去るところだった。増田さんに復讐するのはいいが、傲慢になっては同じ穴の狢なのだから。


 俺は増田さんの背中を見届けると、再びヒローワークを見る作業に戻った。




◇◇◇◇




 かこーん。ししおどしがいい音を鳴らす。茶器や茶道用具が揃った狭めの部屋で、向かいに鈴村さんがいて、向かいに真ん中を野々花、その右側を俺、左側を増田さんという席順で俺はおもてなしを受けていた。


 今は土曜日の早朝。最初は朝早くに呼び出されて集合したところ、まずはお互い自己紹介ということで鈴村さんの家に集まったのはいいのだけれど……。


 増田さんの目は茶を立てる鈴村さんの体全体にねっとりと向けられている。まさかとは思うが、まさかだよな。初めて会ったときも一瞬気絶していたほどだし。


「お茶が立て終わりました。冷めないうちに、どうぞ」


「あ、ど……」


「長岡くんはいらないそうです。二杯私にください」


「そうなのですか?」


 きょとんとする鈴村さんに対しては言えない。殺気が俺に向かって向けられていることに。それに当然野々花が反応しないはずがなく、両手を出してお茶を催促する。


「おじさんがいらないわけないでしょ。とち狂ったこと言わないで」


「ああっ。野々花ちゃん、そうよね。ごめんなさい! ……長岡くん、命拾いしたわね」


(俺にだけ態度違うわけね……。それにしても、増田さんはレズビアンなのか?)


 そう思うほどに、二人の美少女の言うことは全肯定に等しいほど賛同する。男の俺だけのけものだ。そうなれば、考えうる可能性の一つとして挙げてもいいだろう。


「そのおじさんにだけ冷たいのなんとかしてくれない? あとおじさんはおじさんだから。野々花だって名前で呼べてないのに」


「え、こんなゴミを……げふん。こんな男性をかばうの? 野々花ちゃん」


「今なんか聞こえたけど、二度目はないからね。野々花のヒーローなんだよ、おじさんは」


「えっ。いつの間に買収したの!?」


「してないよ。助けられたの。はぁー……今思いだすだけでもかっこいい……」


 野々花がいつものモードに入ったとたん、きりきりと刺すような視線が向けられる。やっぱり、レズビアンなんだろうか。


 鈴村さんは増田さんにお茶を渡し、俺たちにもお茶を渡してくれる。少し時間が経ってしまったからちょっとぬるくなっているが、抹茶のいい匂いがする。


 一口飲んで、苦みとほんのわずかな甘みを感じる。いいお茶を使用しているのだろう。ほう、と一息つくと、鈴村さんが嬉しそうに微笑んで俺を見る。


「満足していただけているようで何よりです」


「生の抹茶なんて生まれて初めてだけど……。高級なんだよね? きっとこの茶葉も。すごくおいしい」


「それは何よりです。それに、お願いがあります」


「ん?」


「野々花さんと同じく、私のことも玲奈、と」


 あ、また殺気向けられた。間にいる野々花はお茶の苦みに慣れていないのかお残しをして、増田さんを横目で睨みつけている。玲奈ちゃん、この中でよくのほほんとしてられるな。いや、褒めてるよ?


「じゃあ、お言葉に甘えて。玲奈ちゃん」


「まあ! おじ様に言われるとまた違った心地です。これからも名前で呼んでくださいね」


「う、うん」


「ずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるい」


「増田様もよろしければ」


「ほ、本当!? あ、憧れの玲奈ちゃんが私に話しかけてる……!? これは夢!? れ、玲奈ちゃん」


「はい」


「ああああああ……!」


 そこまで悶えるほどなんだろう、増田さんにとっては。俺もちょっぴり恥ずかしいから、人のこと言えないけど。


 なんだろう、玲奈ちゃんは奥ゆかしい正真正銘のお嬢様って感じだから、その園に踏み入ってしまったようで禁忌を犯した感じになる。


 お茶を飲み干して立ち上がろうというとき、俺は足が痺れて立てなかった。それを増田さんは鼻で笑い、野々花が手を差し伸べて立たせてくれた。足の裏の感覚がないぞ……。


 そんなこんなで、俺たちは毒沼の園というここからほど近いダンジョンに配信機器と毒防止の高機能マスク、キャンプセットを用意した。


 先に俺の醜態を全世界に流してやると息巻いていた増田さんはけろっとそれを忘れたようで、配信は野々花に任せるようだ。そのほうが楽で助かる。そうして、俺たちは旅立った。

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