第33話 おばさん、民事告訴される

 松山さんが立ち上がる。その顔には安堵が浮かんでおり、終わったのだと思っているらしい。本当はこれからが本番なのにね。


「男にしてはやるじゃない。この調子で、高橋くんのためにお金を稼いで……」


「あー、おばさん。変態クソ野郎より自分の心配したほうがいいんじゃない?」


 松山さんがアキラのほうを睨むが、その顔はすぐに恐怖に染まる。アキラの配信機器から映し出された、松山さんの娘らしき中学生の女の子を虐待している様子が映し出され、俺のスマホがばっちりそれを映しているからだ。


 松山さんは慌てた様子でアキラから配信機器を奪おうとするが、避けられ足を引っかけられて転ばされる。


「そ、それは、それは違うの! しつけの一環で……!」


「この子は病的に痩せてる。それに、顔面を殴ったり腹を蹴ったりするのがしつけなんですか? 俺は聞いたことがありません」


「あ、あの子がいけないのよ! お腹が空いたなんて言うから徹底的にしつけただけで……!」


「認めるんですね?」


「う……」


 松山さんは黙ってしまった。それはそうだろう。この映像はどう見ても虐待にしか見えない。にしても、野々花のやついつ隠しカメラなんて仕掛けたんだ。野々花の人の使い方に若干の恐怖を感じる。


 次に映し出されたのは上半身裸の松山さんと見知らぬ男がベッドに入っているシーンだった。それを見た松山さんが再び配信機器を取り返そうとするが、今度はアキラに手首を掴まれねじり上げられる。


「いっ、痛い!」


「自分の娘にそれ以上のことしておいてなに言ってんだ。これ、今旦那さんと電話繋がってまーす」


「え……」


「松山浩二さん。お気持ちはどうですかー?」


 もはや棒読みのアキラに、最初は浩二さんは黙っていた。そして絞り出すような声で松山さんに声をかける。


『……夏美。これは本当なのか?』


「ち、違うわ! 無理やり……!」


『どう見てもお前と親密な様子だが?』


 浩二さんがそう言った瞬間、見知らぬ男と松山さんはキスをした。松山さんが悲鳴をあげる。悲鳴をあげたいのはこっちなんだが。


「あなた、違うの、違うのよぉ!」


『これを知ったのはつい昨日のことだ。とある少女にこの資料を渡されてね。はらわたが煮えくり返っていたが昨日は我慢した。だが、今日は我慢しなくていいと聞いている。……離婚してくれ。そちらの有責だ。男からも、もちろんお前からも慰謝料を請求する』


「お願い、話を……」


『さやかが最近痩せてきた真相もわかったしな。さやかは俺が責任をもって預かる。養育費と慰謝料それぞれ五百万。きっちり払ってもらう。一円でも逃れようとすれば俺は鬼になる。それと虐待についても裁判で争うからな』


「う、うう……」


 松山さんは顔を覆って地面に座り込む。電話越しに優しい声をした浩二さんが俺たちに語りかけてくる。


『さやかのこと、夏美のこと、ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした』


「いえ、そんな……。娘さんは今はどこに?」


『今はホテルで寝ています。久しぶりにまともに食べたんでしょう。すごい食欲で……。父親として今まで気付かなかったことを本当に反省しております。このホテルを手配してくださったお嬢さんにも、よろしくお伝えください』


 おそらく野々花のことだろう。財閥が云々言ってたが、もはや探偵に近くないかこれ?


「以上、犯罪と不倫現場の映像でした。松山さん、一つ言うことあるんじゃないですか?」


「ひっ……! ご、ごめんなさい! ごめんなさい! 足手まといでごめんなさい!」


「もう遅いですよ。この映像はとある人物から会社に連絡がいってるはずです。慰謝料五百万。頑張って支払ってくださいね」


「じゃあ、俺からも。お仕事頑張ってね。オ、バ、サ、ン♡」


 アキラのイケボのとどめで松山さんは完全にうなだれて涙を流していた。かわいそうとも思わない。自業自得だからな。


 ダンジョンが崩壊を始める。俺たちは深夜一時の路地の行き止まりに戻ってきた。泣く松山さんをタクシーを呼んで送り届け、アキラのぶんのタクシー代金も払ってアキラを安全に家に送り届けた。


 俺はアパートの部屋に戻ってドアの鍵をかけ電気をつけると、鞄の中のスマホが鳴った。慌てて取り出してみると、野々花からだった。よく俺が家に帰ってきたのわかったな。まさか、監視カメラとか……?


「もしもし」


『おじさーん! 今日もかっこよかったよー! 最後のほう、役に立てたかな!?』


「十分なくらいだよ。あのあと俺が神憑きってことは黙っておくように脅しておいたし、痛めつけるのはあとは旦那さんがやるだろ。そろそろ財閥の評判も落ちそうだから、探偵ごっこはほどほどにな」


『ちぇっ。はーい。おじさんとダンジョンいきたかったなあ。アキラずるいなあ……。そうだ!』


 野々花のそうだ! は嫌な予感しかしない。とりあえず聞くには聞くけど。


『おじさん、玲奈ちゃん覚えてる?』


「ああ、あの清楚美人な無詠唱の子か」


『今度三人でコラボしようよ! 野々花もそろそろおじさんロスで死んじゃいそうだよー!』


 そういえば、あの一件から電話をすることはあってもダンジョンに一緒に潜っていない。あのとき助けきれなくて嫌われたかと思っていたが、まだ好きでいてくれるみたいだ。天使かな?


『鈴村家は代々伝わる茶道のおうちなの。だからちょっと人見知りしたり警戒したりするかもだけど、この前聞いたら乗り気だったから大丈夫! ……って、これっておじさんハーレム!? まずい、野々花負けてらんない』


 負ける負けないの問題なのか? 鈴村さんはこの一か月連絡をよこしたことがないから、なんかやりづらいのだけど。あのレストランで話したときはおとなしいいい子って感じだった。


 だから親睦を深めてお互いを知るためにコラボするのはいいことかもしれない。俺は勇気を出して声を出す。


「わかった。コラボしよう」


『本当!? きゃー! おじさんと三人でデートだあ! 嬉しいー!』


「で、デートではないと思うけど」


『ガーン……』


 野々花を傷つけてしまっただろうか? 財閥に消されたりしない?


 彼女が黙っていたのは数秒だけで、すぐに元気な野々花の声が聞こえてくる。


『じゃあじゃあ、夏休みの土曜日、ダンジョンいこ! お泊りになってもいいようにキャンプ用具は持っていくから! じゃあ、おやすみおじさん。いい夢見てね!』


「ああ。野々花も、いい夢見てね」


『……っ!』


 電話の向こうでがさがさと布と布がこすれるノイズ音が聞こえる。一体どうしたんだ。野々花は戻ってくると、甘い声で囁いた。


『うん、おやすみ。おじさん』


 女子高生に色気を感じてはいけない。だけど、あんな声で囁かれたら男としてはどきっとせざるをえないわけで。一千万人の野々花のリスナーたちはこの声でこの言葉を囁かれたい人がたくさんいるんだろうなあ、と思うと得した気分だ。


 さて、俺のチャンネル登録数は……。百万人を越えている。さすがにやりすぎたのか松山さんを擁護する声もあったが、それは会社でのあのゴミを見るような目でお茶をわざとこぼしたりする松山さんを知らないから言えるんだ。


 後からアーカイブを覗いてみると、ちらほらとだが赤スパが飛んできていた。今度こそ奪われないように鞄にしまって、大家さんに渡さなきゃ。家賃三万にちょうど届くくらいだから。


 明日も憂鬱な九時間が待っている。俺は英気を養うためにシャワーをさっと浴びて床についた。

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