第23話 アキラの家族

 それからアキラがやってくるのが二十分ほど。さらに行きの電車に揺られてアキラの家に行くのに一時間かかって、ようやく俺は一息ついた。歩き慣れてないのと、道中アキラに慰められて情けないのとで俺はくたくただった。


 ここからご飯を食べさせてもらって帰るのはつらいだろうということで、途中でポロシャツと短パンを買っておいた。スーツ姿で寝るのはさすがに明日に響くから。


 靴を脱いで玄関先に上がったらもう止まらなくて、涙が溢れてくる。


 ぱたぱたとスリッパの音が聞こえて振り返ると、アキラによく似た美人のお母さんが出迎えてくれた。続いて俺と同じどこにでもいそうなお父さんも一緒に。


「アキラ、お客さん泣いてるけどあんた何したの!」


「俺は何もしてねーよ! おっさんが勝手に泣きだして……。それに、会社のやつにベイチューブの収益奪われたって」


「ええっ!? あの、お名前は……?」


「長岡逸見、です」


「逸見さんね。もうご飯の用意できてますから、とりあえず居間に入ってください。椅子じゃないのが申し訳ないのですけど……」


「いえ、お気になさらず」


 お母さんの優しさが沁みる。俺は玄関からすぐそこの居間に通されると、純日本人が食べるような、白飯に味噌汁、ほうれん草のおひたし、鮭の切り身とだし巻き卵。


 そのどれもが家庭的で、暖かすぎて、俺は泣きながら席に座った。アキラからティッシュをもらって鼻をかんで、涙をふき取ってから、いただきますと両手を合わせる。


 ご飯は、とても美味しかった。とくにだし巻き卵が甘くなくて美味だった。他の料理ももちろん美味しかったけど。


「ごちそうさまでした」


「はい、お粗末さまでした。少しは落ち着きましたか?」


「はい。少しだけ」


「それなら、お風呂もどうぞ。タオルは洗面台に用意してありますので、使ってくださいね。お風呂は入れなおしておきましたから、ゆっくり浸かってください」


「何から何まですみません」


「いいえ。アキラが普段からお世話になっているみたいですから」


 そんな夫婦の笑顔に送られて、俺は風呂に入った。こうして浴槽に浸かるなんて、何年ぶりだろう。気持ちよくて思わず眠ってしまいそうなのを必死にこらえて、風呂からあがり着替える。


 アキラの部屋は一階の奥のほうだというので、そちらに向かう。ドアをノックすると、アキラが出てきた。相変わらず顔面が眩しい。


「おっさん、かーちゃんが敷布団用意しておいてくれたよ」


「アキラ、すっごい優しいお母さんに恵まれてるんだね」


「そうかあ? すぐ怒るしモンスターだよ。とりあえず入った入った」


 アキラの言葉に甘えて部屋の中に入ると、意外と綺麗に整頓されている部屋の床に敷布団が敷いてある。ベッドの隣だ。


 アキラはベッドのへりに座って俺を見下ろしてくる。まだ幼いが、男として完成つつあるかっこよさが俺にもあればなあ。


「で、その金取り返すの?」


「できないよ。会社で問題起こしたらクビになる」


「なったっていいじゃん。そんな理不尽でキチガイなやつがいるところなんて」


「大人には、ぐっとこらえないといけないときがあるんだよ、アキラ。四日後に会社近くの煉獄の火山に来いって言われてる。そこで俺を事故に見せかけて殺すつもりなんだろう」


 アキラは難しそうな顔をしていたが、何か閃いたようだった。


「なあ、そいつって女? 男?」


「え? 女性だけど」


「じゃあ、俺もついてっていい?」


「えっ、でもそれ危ないんじゃ……」


「この前の収益分でようやく野々花と同じ配信機器買ったんだ。その動作も試したいし……その女が危ないことしないかよーく観察しないとね。それに、女相手なら俺ちょっと自信あるし」


 ああ、言ってみたいそんな台詞。こっちはただのおっさんすぎて相手にもされないのに。


 そんなことを言ってても始まらないか。アキラが協力してくれるならありがたい。アキラは美男子だし、松山さんもアキラの美貌の前にならころっと態度を変えそうである。


「俺の能力は高速移動。ただの高速移動じゃないぜ、一歩ごとに最大五百メートルまでかっ飛ばせる。手を繋いでいれば同じく移動できるから、困ったら俺に任せな。どんな攻撃でも回避してやんよ」


「それは心強いな。頼りにしてるよ」


「神憑きに言われてもあんまありがたみないな」


「神憑きとかどうとかは別にして、アキラに感謝してるってこと」


 素直な気持ちを伝えると、アキラは照れたようにしてあぐらをかいた。そして左右に体を揺らしながらぼそりと呟く。


「こりゃ野々花がぞっこんになっちゃうのもわかるわ」


「何か言った?」


「いや、なーんにも。とりあえずその女の名前教えてよ」


「松山さん。下の名前は知らない。うちのパートさんで、お茶くみとコピーを取ったり電話取ったりする人だよ」


「わかった。ちょっと待っててな」


 アキラは枕元に置いてあったスマホを取ると、どこかに電話をしだした。そして電話の主の声は。


『アキラー。なにー?』


「の、野々花!?」


『えっ、おじさんの声しなかった今!?』


 野々花は俺のことになると食いつきがいい。好かれているんだなあと思うと冷えた心が少し温まる。ここ数年、人に好かれることがなかったから。


「俺の部屋にいるからな」


『ずるい! アキラだけ男だからってずるい! 野々花もお泊り会したい!』


「うるせーな。それよりもおっさん、会社の人間に収益奪われたってさ」


 その瞬間、野々花のブーイングがやんだ。なんだか嫌な予感がする。


 その後の声は聞こえなくて、野々花はぼそぼそと何かをアキラに伝えているようだった。アキラはそれに相槌を返して、電話を切る。


「野々花、なんだって?」


「いろいろ調べさせておくって。そんで当日までには間に合わせるってさ」


「調べさせるって……。もしかして」


「ご明察。あの高橋とかいうバカの身辺を調べたのも野々花だよ。まさかあんなにしつこくされるとは思ってなくて愚痴ってたけどな」


 野々花、あのときは最後は普通に見えたけどやっぱり怖かったんだな。人のことを気遣えないのは俺も同じだ。猛省しなければ。


「あ、俺たちのグループチャットに入っておく? そのほうが何かと便利だろ」


「うん、お願いするよ」


 そうして俺がグループチャットに入った瞬間に野々花の質問爆撃に玲奈は奥ゆかしく迎えてくれて、俺は俺たちの絆が少し深まったような気がした。


 しばらく部屋で黙ってチャットのやりとりをするというシュールな光景を繰り広げて、ふと壁にかけてある時計を見ると夜の十時になろうというところだった。そろそろ寝なければ、明日も早いのだから。


「アキラ、俺先に寝るよ。おやすみ」


「ん? おう、おやすみ。野々花が暴走してごめんな。あいつ、おっさんのことになると無敵になっちゃうからさ」


「ははは。信頼されてる証ってことで。野々花を連れてはいけないけど、四日後はよろしくね、アキラ」


「おっけー、万事任せとけって。俺だって百万人登録者の意地があるからな。おっさんに抜かれる前にアピールしとかないと」


「うん、お互い頑張ろう。じゃあ、おやすみ……」


 俺は敷布団の中に入ると、暖かいのと優しさを浴びて少し心の傷が癒えたところですとんと眠りに落ちてしまった。


 四日後、松山さんとの戦いが始まる。

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