第47話 俺芸人じゃないし

頭上から、ざわざわと地響きのように音が降ってきた。

 

それが観客の笑い声だと言う事に気がつくのに、ゆうに数十秒費やした。


「草野くーん! 大丈夫か―い!」

 

肩が痛い。何かにぶつけたらしく酷く痛む。

手を動かそうとしたらそれもできない。

なにやら、とても狭い所に閉じ込められているのだ。

 

星川の声が、何重にもエコーがかかって聞こえる。視界を開くと、真っ白な世界が広がった。


「草野くーん、これ、見えるか―い!」


 

逆光で良く見えないが、男の人影が遥かかなた頭上から自分を見下ろしていた。


その後ろは、抜けるような青空。

 

星川が右手に掲げている看板には、『ドッキリ大成功!』と、派手な赤い字で書かれている。


 頭が働かない。

 

エマージェンシーエマージェンシー。俺は草野篤志、二十歳。


心のセコムが鳴っている。脳内の警察官が出動した。

青天の霹靂をどう処理していいか分からず右往左往している。


事態を把握したら正気を保っていられそうにないからか、やけに飲みこみが遅い。


 

すぐに、太い綱が上から下ろされた。

 

見覚えのあるスタッフに、つかまってくださいと連呼されて、目の前に垂らされた救いの蜘蛛の糸に手を伸ばす。握力が全く無くて力が入らない。

 

大人三人がかりで引き上げられた。


眩しいほどの地上に出て床にへたり込んだら、目の前に細い脚があった。

 

ゆっくりと顔を上げる。


「やっぱりあんたには、笑いの神様がついてるんやなぁ。悔しいけど、認めるわ」

 

聞き慣れた関西弁の女の子は、そっと手を差し伸べてきた。

 

ああなんでこいつは、こんなに鮮やかに笑えるのだろう。

 

ドッキリに引っかかって、最後の最後に舞台上に仕掛けられていた落とし穴に落ちた、ターゲット草野篤志は、全身粉まみれになりながら、ギリギリの理性でその手を振り払った。


「なんや、そんな怒らんでもええやないか。オイシかったってのに」


「………」


「どうですか、AD草野さん! びっくりして声も出ないと言ったところでしょうか!」

 

美人なお天気おねえさんは、脳みそもお天気なのか、甲高い声でテンション高く草野にマイクを渡してくる。


「…………………………」

 

物凄い勢いでアドレナリンが分泌されている。


「………………事態を把握する時間を少しもらえますか」


「はい、どうぞ」


「いやー草野君、素晴らしい演説だったね! 観客の中でも涙ぐんでる人、いっぱいいたよ!」


 

星川が、イベント用なのかいつもよりもきっちりとセットされた髪の毛をなびかせて目の前まで来た。

 

声が出ない。金魚のようにぱくぱくと口を動かすと、かろうじて、


「―――――――――――――――どこからだ」


という言葉だけ漏れた。


「え?」


「どこからドッキリなんだ。どこからだ。どこまで騙していた。

吐け、このクソ野郎」


「やだなぁそんな嬉しい事言わないでよ。まあ、簡単に言うと、解散のくだりに関しては全部ドッキリだよ」

 

粉まみれの顔のまま、草野は星川に歩み寄る。


星川は実に愉快そうに笑ったまま、気迫に押されて後ずさりしている。

 

空気を読まずに、二人の間を割り込んで、にこやかに草野へマイクを向けてくるアナウンサー。


「全てを明かされた今、カメラの向こうに居る人たちに向かって一言」

 

陽気なアナウンサーと、ここぞとばかりに顔を覗き込んでくるカメラマンに、草野は吠えた。


「見てんじゃねぇ!」


「出ました草野君の『見てんじゃねぇ!』」

 

三千人の観客達は、一斉に黄色い悲鳴を上げた。雄たけびを上げる男もいた。

ほとんどがウォッチャーで、草野のファンなのだと思うと気が遠くなる。


なんでこの状況で声とかあげられるの? どういう神経してるの?


少し目を向ければ、人、人、人の波。老若男女、どこから女に人が湧いたのだと思えるほどの人間が、草野を見て笑っている。


写真を撮ってる奴もいれば、『草野LOVE』と書かれたうちわを振っている女子高生もいる。

ウォッチャーなのだろう。胸に「まつぼっくり」、「レジェンド石井」とウォッチャーネームを書いた看板を掲げてる奴さえもいる。

 

目眩がする草野は、渾身のお願いをした。


「もう誰も見ないでくれ。今ここに居る奴らはしょうがないけど、誰にも今日の事は話さないでくれ!」


「ちなみにこのドッキリの全模様は、初回限定特典としてブルーレイに封入されまーす」


「この番組血も涙もねぇわ!」

 

草野は全身粉まみれで膝から崩れ落ちた。


観客からは笑い声が上がる。

 

醒めろ醒めろ、夢から醒めろ、こんなとんでもない悪夢から醒めろ、と頭を振り続けるが、髪の毛の隙間から粉が降ってくるだけで、ここにあるのは完璧なるリアルだ。


「いやあ、君を騙すのが本当に辛くて辛くて。何度も涙で枕を濡らしたよ」


星川は、泣くようなジェスチャーをしながら草野に寄って来る。


その能天気な顔に、心底嫌気がさした。


「お、ま、え、さ、あ」


「草野君、いふぁい、いふぁいよ」 

 

諸悪の根源と言えるべく、星川の両頬を片手で掴みギリギリと絞り上げてやる。


タコみたいな口で顔面崩壊な星川は何度も痛い痛いと叫んでいる。


「ごめんなさいね、草野さん。許してください」


「ほんまに引っかかるとはなぁ。天然記念物並の鈍感やで」

 

ミカは申し訳なさそうに、両手を合わせて謝ってきた。


ハルは愉快そうに、ハリセンを片手に笑っている。

 

二人まとめて落とし穴に落としてやりたい。

 

それでも、ほんのちょっとだけ、二人が解散しなくてよかった、と思った自分が許せなかった。 

 

おそらく、今回の解散騒動の全てがドッキリなのだとしたら、凄い経費と労力がかかっているのだろう。何度も綿密な打ち合わせをした事だろう


そして、まぎれもなく仕掛けられた側の草野は番組の主役だし、ネット番組とはいえメインで一時間、いじられるというのは、芸人冥利に尽きるほど嬉しい事なのだろう。


でも、俺、芸人じゃないし!


こういうのを「おいしい思い」って言う芸人って、やっぱおかしい。


全身白い粉まみれ。悶絶するその姿は会場のバックスクリーンにでかでかと映し出される。


葛藤している草野を、おかしそうに笑う観客達が涙でぼやけた。


悔しい悔しい。悔しいし虚しいし腹立つし、ある種の虚無状態に陥り穴があったら入りたいどころか爆発して粉々になってそのまま消えてしまいたい!


なのに、皆が笑ってくれるならと、ほんのちょっと思ってしまった自分は、もう末期なのかもしれない。


ただの素人へ仕掛けられた壮大なドッキリ企画は、紆余曲折の末、大成功で幕を閉じた。

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