第46話 ミスター屁理屈の演説

「異議しかねぇぞ、馬鹿野郎」


 

草野は肩で息をしている。この世のものとは思えない、恐ろしい体験をした。


急いでるとは言え、悪玉菌太郎はガンガンスピードを上げて車線変更をしまくり、前を行く車を追い抜いて行くのだ。

足先十五センチのところにタンクローリーの車体があった時は、意識がぶっ飛んで死んだじいちゃんの顔が青空に浮かんで見えた。

 

客は、何故AD草野がバイクで登場したのかが分からず、ステージの反対方向を見つめてぽかんとしている。

三千人の「ぽかん」は、凄く間抜けだ。

 

観衆をかき分けて、草野はステージ前に歩いて行く。

汗で濡れた服に風が吹き、くしゃみをしたら腹筋が痛んだ。大分力んでいたらしい。

 

物凄い勢いで番組スタッフである小柄な女性が飛んできて、草野を誘導した。ステージ脇の階段まで行って、ゆっくりと登る。

 

舞台袖を見ると、国友ディレクターは顔を真っ赤にして遅刻した草野を睨んでいる。

中津は、いつものVネックのシャツを着て腕を組んでいるが、眼鏡が反射して表情は読めない。

プロデューサーは笑っていた。「良くやるよ、若造」と、目じりに皺を寄せて。


 草野は階段を上がったところで立ち止まった。

中央にいる、ハルや星川からは、十数メートル離れている、観客から見てステージ左端、上手の所。

 

素早くマイクを渡された。そのスイッチを入れて、今まさに解散を言い放った若手女芸人、桐島ハルに向かって、とんでもない身の程知らずは口を開く。


「生きるって何だ? 朝起きて飯食ってうんこしてれば、生きてるって言えるのか?」


お決まりの調子。ミスター屁理屈の放つ、根拠のない話。


「それは生きるんじゃなくて、物理的に『生かされてる』だけだろ。人間は動物じゃねぇ。夢や理想を叶えるべく、努力するのが人間。人間の義務だ」

 

ハルは黙ってじっと草野を見つめていた。意志の強い、凛とした瞳。



その目で見られるといつも、自分がどうしようもないクソ人間なのだと思い知らされるようで嫌いだった。

何も持っていない自分が見透かされるようで、怖かった。



「それがお前の『運命』か? 諦めて地元に帰って就職活動をするのが『運命』か?」

 

ああ、この醜態を、複数のカメラに撮られている。徹夜して並んだ、自分のファンに見られている。


俺は何を言ってるんだろう。

一生上がるはずの無かった、スポットライトの当たった舞台で。

人生と言う名の長い長い作品の中、一般人Aとして脇役で一生を終えるはずの自分が、何故こんな場所に居るのか。

 

でももう何かを諦めるのは嫌だった。



「あーもう、ごちゃごちゃ言うのは無しだ!」

 


頭を掻いて、草野は叫んだ。


「やめるなよ、この番組の『鉄板オチ』には、お前のハリセンが必要不可欠なんだ!」

 

遠く高い空に響き渡る声。

 

何台ものカメラと記者。三千人ものファン。二階や三階からは、買い物客らしい人。


アナウンサーにスタッフ、ハル、ミカ、星川。全員に聞かせてやりたかった。

 

自分でもまさか、こんな言葉が出てくるとは思わなかった。


まるで、本物の芸人のような、馬鹿みたいなセリフ。

 


ハルが口の端を上げた。


小さく息が漏れるような笑いから、だんだん大きくなっていき、しまいには腹を抱えて大口を開け、おおよそ女の子がしないような大爆笑をかました。

 

ミカも、合わせて笑っている。とてもおかしそうに。


「アホか。そんな汗びっしょびしょで、カッコ悪いわあ」

 

笑いすぎて目じりに浮かんだ涙を拭っている。


「せやなぁ。アンタと星川の暴走を止められんのは、確かに世界広しといえど、うちだけやろなぁ」


 

観客達はその言葉にほっと胸をなでおろしたのか、拍手が上がった。

 

三千人からの拍手は、体に打ちこまれるような迫力がある。


「こっちおいでよ、草野君。ハル☆ボシのメインMCは、三人そろわなきゃだろ?」

 

星川が、泣きそうな顔をして手招きをしたてる。

 

草野は、なんだよまったくお前らは、と、それでも笑いながら近寄っていった。

 

その瞬間、



 

ドンッ




 世界が足元から崩れ落ちる『音』がした。


 


ずん、と右足に違和感を覚えたと思ったら、体が宙に浮いた。

 

内臓ごと浮くような感触とともに、暗闇へと意識を投げ出される。

 

まるで、悪夢から覚めた時のような感覚。

 

何が起きたのか分からない。


 


数秒の後、草野は横たわっていた。

 

ここは奈落の底。

 

完璧にハマッていたのだ。落とし穴に。

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