第45話 もう少し夢を見させてくれ
ずっと立っていた。
同じ所に立って、ずっと周りの景色の文句ばかり言っていた。
そしたらある日突然、世界があまりに凄い勢いで回ったから、俺は少しよろめいた。
あれが欲しい、これをちょうだい。そうやって指を差せば与えられる子供時代はもう終わってしまった。
欲しい物は絶対に手に入らないのだと知ってしまった。
自分が好きになる人は、絶対に自分のことを好きにならないのだと知ってしまった。
だけど、それを認めて生きて行くのは辛かった。
だから、全てに興味がないふりをした。
賞賛も愛情も友情も誇りも理想もいらない。手に入らないものなんて必要ない。醒める夢は見ない。
何も感じない植物のように生きて行くのだと決めつけた。
そうじゃなければ、辛くて悲しくて耐えられなかった。
だから嬉しかったのだ。
自分が言った事に、スタッフが笑う。ウォッチャー達がコメントを書く。
ネットニュースに取り上げられる。自分をオイシくするために作家が企画を考える。
そのことが嬉しくて嬉しくてたまらなかったのだ。心の底では。
諦める事しか脳が無かった自分を、六畳の牢獄から見つけ出し、意味と価値を与えてくれたのが嬉しかった。涙が出るほどに。
運命も神もメディアも女も信じないけど。自分ぐらいは信じてやろうか。
もう少し、もう一度だけ。
偉人になんてならなくてもいい。使命なんて、死んでからじゃないとどうせ分からない。
草野は目を閉じた。
百二十キロの風の中、自分は今どうしようもなく自由なのだと思った。
本名も知らない男の背中にしがみついて、見知らぬ地に向かいバイクで高速道路を走っていく。
* * *
午後二時、ぴったり。
毎週木曜十時の番組開始時に流れる、番組のテーマソングが出囃子として流れる。
途端、地面が揺れるほどの大歓声があがる。
「どーもー! ハル☆ボシに願いを、出張イベントはじまりまーすー!」
白いシャツにジーンズを履いた星川が、にこやかに手を振りながら登場した。
女子から、割れるような歓声。
「はいはーい、みんな、長い間待ってくれてほんまありがとうな!」
ワンピースを着たハルが登場すると、雄たけびのようなむさくるしい男の声があがる。
「ちょっと草野君は、到着が遅れてるみたいなんですよね」
草野目当ての客が、えー! と不満の声を上げた。星川は内心どうしようと焦りながらも、笑顔でごまかす。
朝のニュース番組の女子アナウンサーが司会となって、進行を勧めて行く。
ブルーレイのパッケージを持ちながら、アナウンサーの質問に答えて行く二人。
袖では、ディレクター達が何度も腕時計を見つめてひやひやしながらその様子を見ている。
進行通り、ブルーレイの宣伝やインタビューが終わり、音楽が流れ出した。
「本日は、スペシャルゲストさんもいらっしゃいまーす」
おおー、という歓声の中、花柄のスカートを穿いたミカが恥ずかしそうに登場する。
三千人の拍手の中、ステージ中央へと出てくる。
しかし、その表情は固い。
「この場を借りて重大なお知らせがあります」
と、ミカが話す。
その様子に、なんだなんだと観衆はざわつきだした。
ミカはハルにマイクを渡すと、ハルはすっとステージ中央に立った。もう、変わる事のない固い決心をした表情だ。
「私、桐島ハルと、夏木ミカの川崎レインボーズは、本日解散いたします」
三千人の会場が、一斉に静まり返った。
記者達はカメラから顔を上げ、ハルの顔を見上げているが、すぐにまたファインダーをのぞき、これぞスクープだと言う様子でシャッターを切りだす。
張りつめたような沈黙。
ミカは下唇を噛みながら、悲しそうに下を向いている。
バイクのエンジン音が聞こえた。
一階レストランの辺りから、「お客様困ります!」という店員の咎める声が聞こえる。みるみるうちにエンジン音は近づいてくる。
観客の後ろ、ステージの反対方向から、一台のバイクが突っ込んできた。
上下ライダースーツを着込んだ男の後ろに、へっぴり腰の青年がしがみついていた。
腕をゆっくりと離してバイクから降りると、ヘルメットを脱ぎ捨てた。
汗でびっしょびしょの額には黒髪がはりついている。目つきの悪い童顔な、オーラと華の無い、まだ少年の面影を残す男だ。
そして叫ぶ。
「異議あり!」
どこまでもアウトローで、世界一卑屈な男が立っていた。
うざったそうに、風であおられた前髪を掻きあげて、真っ青な顔色を聴衆にさらした。
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