第41話 エゴの塊
「うわ、なんやアンタこんなとこで」
ハルは大して驚いたそぶりは見せず、話しかけてきた。
が、草野がアレな表紙の成人誌のコーナーで立ち読みをしていたのだと気がつくと、すぐに苦虫をかみつぶしたような顔をする。
「アンタ、いい歳こいてエロ本買いに遠くのコンビニまで来たんか?
しょっぱいなぁ」
いやらしい、と白い目をしたハルに、違う、と力なく反論する。
その様子を見ておや、と思ったのか、ハルはじっと草野の顔を見ると、
「ちょっと待っとき」
と言い残して、コンビニの奥へと歩いて行ってしまった。
ぽいぽい、と適当にお菓子やらジュースやらを買い物かごに入れて行く。
かごをいっぱいにして、レジへと向かった。
そう言えば、降りた駅はハルがアパートを借りていると言っていた駅だった。
「なにぼーっとしてんのや。出るで、外」
買った商品でパンパンに膨らんだビニール袋を提げ、ハルは出口へと促した。
ハルに気がついた店員に頑張ってください、と言われて、ありがとうございまーすと愛想良く返事をし店を出る。
ハルは花柄の傘を開く。手ぶらで、必然的に濡れる羽目になる草野に傘を差しだす代わりに、ビニール袋をあさって棒付きのキャンディーを差しだした。
「ほら、これあげる」
ぽい、と、三十円のそれを投げてくる。
子供のころから好きなんよ、なんか知らんけど、元気出しや、と渡してきた。
ピンク色の可愛らしい包装紙に包まれた、小さなそれを眺めて、草野は思った。
なんで誰も俺をほっといてくれないんだろう。
あの初恋の子みたいに。きっと心では俺を馬鹿にしていたクラスメイトのように。すれ違い様にぶつかった名も知らぬ他人みたいに。
俺のことなんてほっといてくれればいいのに。
そうすれば俺は全世界、全人類を嫌いになる事が出来るのに。
人生に心から絶望して、疾風の魔剣士として、架空の世界の中だけで生きて行くことを決めるのに。
星川もこいつも、結局優しいから、いつも混乱して、俺の心は掻き乱される。
「やめるなよ」
そう言うと、ハルが表情の一切を消した。
何か言おうとした時、駅から電車が発車したらしく、がたんごとんと大きな音が通り一帯に響き渡った。
何も言う事が出来ず、その電車が行ってしまうまで、二人はじっと見つめ合う。
数十秒後、通りは再び雨の音だけ。
「お前みたいに、顔もよくて才能もあって人気もある奴は、挫折なんかしちゃいけないんだよ。
優雅に、あっさりと、俺みたいな何も持ってない奴を踏みつけて、『なにも苦労してませんよ』ってツラでいてくれよ。
そうすれば俺達も下から、堂々とお前らの悪口が言えるのに」
自分よりも幸せな奴らが、幸せで居続ける事が、自分の幸せになるのだ。
どんなに頑張っても、頑張った先にまた苦労や哀しみがあるのかと思うと、もう立ち上がる事が出来ないかもしれない。
「解散しないでくれ。俺のためにも」
ハルはしばらく黙って、次第に頭の先からつま先までびしょ濡れになっていく草野を見つめていたが、きり、と眉を吊り上げて強い口調で言った。
「そんなんアンタのエゴやんか。なんでアンタのために、うちがそんな事せなあかんねん」
右手に傘、左手に買い物袋を持っているので、お得意のハリセンで殴る事も出来ないハルは、力強く睨んでくる。
「うちは生まれる性別を間違えたんや」
その瞳は、赤く染まっていた。
「アンタに、可愛い可愛い、アイドルみたいだってもてはやされて、少年誌のグラビアをやらされる気持がわかるんか?
出てきて、キャーキャー言われるだけで、四分ぴったしに作って特訓したのに、ろくに内容を見てもらえてないコントをする虚しさがわかるんか?
パネラーのゲストとして出て、スケベな目で見てくる司会者の前でろくにボケもせず、クイズに答えなくちゃいけない気持ちが分かるんか?
そうやって自分の意見や理想をうちに押し付けて、抵抗したり反論したらあっさり捨てるのがあんたら男やないか」
そして、一際強い口調で言い放った。
「―――これだから、男は嫌い」
ハルの大きな瞳から、一筋の涙がこぼれた。
その涙は次から次へと、頬を濡らしていく。
ああ、こんな時、星川ならハンカチを取り出して彼女の涙を拭いて、「泣かないで」と優しく言葉を掛けてやるんだろうとぼんやりと思いながら、しかし傘も差さずびしょ濡れの自分は何もできずに立ちつくす。
泣きたいのは、こっちのほうだ。
「おかしいよなぁ。アンタの方が、笑いの才能あるかも、とさえ最近思う」
「それは、」
違う、と言いかけて、腹に来た衝撃で息だけが漏れた。
買い物袋を持った左手で、ハルが腹にパンチを放ったのだ。普段とは比べようも無い、弱々しいものだった。
「ええんや。止めんといて。ミカをうちの夢に付き合わせたのも、うちのエゴや」
諦めを含んだ口調。傘に隠れて、表情は読めなかった。
「次のブルーレイ発売イベントが、最後のうちの花道や。頼むで、AD」
そう言った時には、ハルはもう泣いてはいなかった。
素早く踵を返すと、酔っぱらった大学生達が道にたむろしているのを避けながら、ハルは水溜りの上をさっさと歩いて行ってしまった。
それからどう帰ったかは覚えていない。
しかし、どうしてあんなことを言ってしまったのだろうという後悔と、結局俺は何もできない奴だという思いが劣等感に火をつけて、気がついたときにはびしょ濡れで家の前まで来ていた。母親に大層驚かれた。
熱いシャワーを浴びてから部屋に入り、テレビを付けると深夜のトーク番組にハルが出ていた。
先輩芸人が喋っている後ろで、ほほ笑む彼女の顔は、どことなく、寂しそうだ。
深夜すぎ、まだ雨音は窓を叩いている。
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