第39話 俺にはわからない

星川はぽつり、と、

「……聞いた? ハル君達、解散するって話」


「ああ」

 

白線を足でなぞりながら、星川は「どうする事もできないのかなぁ」と小さく呟いた。


「どうする事も出来ないだろうなぁ」


と返すと、はぁ、とため息をつく。星川の細い眉が、情けなく下がっている。



「止めないの? 僕、草野君は彼女の事が好きなんだと思った」


「は?」



 パードゥン? と顔を向ける。


「違うのかい?」


飄々と尋ねてくる星川に、


「お前、ほんと単純馬鹿だな」


と言って息をつく。

ガシガシと後ろ髪を掻いて、どう言ったものかと、考え込んだ。


遅延していた電車の復旧のめどがついた、もうしばらくお待ちください、と鼻にかかった声でしゃべる駅員の声が遠くで聞こえる。

 

草野は線路の継ぎ目を見つめた。これを辿っていけば、どこへ行けるのだろうな。



「俺はお前が好きだよ」

 


星川が、物凄い勢いでこっちを向いた。

その顔は、驚いているというか、はっきりと嫌そうである。


「――――――やめてよ、なんだいそのカミングアウト」


「違う! 最後まで聞け」



 傍から聞いたらなんというホモップル、と思われそうな会話だが、そんな気は毛頭ない草野は続ける。



「お前には、俺に無い基本的な心の純粋さがある。そういう所がすげえなと思うし、素直に好感を持ってるよ。

『チーム極楽鳥』の奴らも、クセはあるけど、みんな気の良い奴ばっかで、好きだよ。あとは、おふくろの作るかつ丼が好きだし、新品の靴をおろす時が好きだし、晴れた日の朝の匂いが好きだ。それと同じレベルで、漫才やコントをしてるアイツが好きだよ」

 

奥歯を噛みしめる。どういう感情に属するか分からない、そんな感情が胸を支配する。



「これは恋? 教えてくれよ、星川」

 

草野はどうして自分がこんなにも焦っているのかが分からなかった。


行きかう人々の傘についた雫で濡れたホームで、地団太を踏みたい衝動に駆られる。

どんな状況でも、全てに理由をこじつけて生きてきた草野は、分からない事があると苦しいほどに動揺してしまうのだ。



「俺には分からない。そう言うのを、ずっと避けて来たから」

 

ふてくされたように俯く。まるで子供である。


自然に生きてきたらいずれ経験するはずの、『相手ある事』への対応や思考を、あの木曜日から止めてしまったから。自信を失った草野は、酷く脆い。

 

星川はしばらく黙って、さっき草野がしていたように線路の継ぎ目を見ていたが、やがてゆっくりと口を開いた。



「僕はさ、恋っていうのは一人でするものだと思うよ。もちろん相手ありきなんだけど。相手が自分をどう思っているかは、関係ないんじゃないかな」

 

とても優しい声をしている。



「―――こういう雨の日、寂しい時に、そっと相手のことを想う。

それが恋だよ。相手に愛されてなくても、関係ない。



僕が思うに、幸せって言うのは自分の心の中にあるんじゃないかなぁ」

星川は、ぼんやりと落ちる雨の雫を見ながら言った。


「……そうかもな。お前、すげぇな」

 

素直に感銘を受けた草野は真顔でそう返すと、星川はすぐに、いつものアホみたいな顔で笑った。


真面目な事を言って恥ずかしくなってしまったようだ。

しかしすぐに何かを思い出したように宙を見ると、呟いた。


「草野君、僕さ、謝らなくちゃいけないとずっと思ってて」


「ADを勧めた事だろ。もう今更文句言うつもりはない」


「それもそうなんだけど、その、」


「いいんだよ。お前のせいじゃない。最近はおふくろや親父も俺の活躍を喜んでる。親孝行だと思えばさ」


うん、と頷いている草野に何かを言いかけるも、星川は困ったように下唇を噛んでいる。


プルルル、と電車の来る音がした。反対側の線路、星川が乗る電車が、二十分遅れで到着したのだ。



「ほら、電車来たぜ。乗れよ」

 

ライダースジャケットをお洒落に着こなすその背中を押すと、星川は整列をしている人並みの中に消えて行った。


何度も何度も、不安そうな顔で草野の方を振り返っている。

ぎゅうぎゅうに押される満員電車に乗せられ、ドアに張り付くような体勢になっても、小さく手を上げて草野の方をずっと見ていた。

 


お人好しな奴だ。本当に、線路へ飛び込むかもしれないとでも思っているのだろう。


心配しなくても、買いかぶり過ぎである。俺にはそんな度胸さえ無いのだから。

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