第5章 自己嫌悪のロンド

第34話 自問自答

 指が痛かった。

 ついでに眼球の奥も。


 もう始めて何時間経ったのだろう。すっかりホカホカになったパソコンから体を離して伸びをした。

 

現実で溜まりに溜まった鬱憤は、ゲームの中で晴らすのが筋だ。


学校が終わったら即収録、休みの日にも打ち合わせやロケが入り、ろくに引きこもってゲームもできなかった草野は、何も予定の入っていない久しぶりのオフの日、ここぞとばかりにネトゲに費やした。


壁掛け時計を見ると短針が二で長針が十二を差している。

昼か夜かもわからない。カーテンを閉め切って、真っ暗の中、パソコンの画面だけが光っている。


こうしていると、まるで世界に自分が一人きりのような気がしてくる。


画面の中の『光合成マン』は、羨ましいほどの腹筋を見せつけ、鍛冶屋で強化しまくった大剣を持っている。


両手の親指の付け根が痛い。長時間、無我夢中でキーボードを叩いてネトゲに狂っていた代償だろう。

ネット対戦で世界中のユーザー達とコロシアムで戦いまくっていたというのに、まったく疲れた様子もなく『光合成マン』はどこ吹く風で城下町に突っ立っている。さすがは、疾風の魔剣士である。


その画面を見ていたら不意に睡魔が襲ってきて、草野は瞼の上から眼球をほぐしながらあくびをした。

ゴミや雑誌で埋め尽くされた部屋。しかし自分の中では他人に説明できない秩序を持って並べてあるので、草野はひょいひょいと床置きの物を飛び越えてベッドへと向かった。


低反発のマットレスに体を投げ出す。

勢い余って、横のテーブルに置いてある物がガラガラと落ちた。あーあ、と半身を起こす。


そのテーブルには、いつぞや、まだ自分がただの一般人の大学生だった頃。


たった数か月前だが、酷く昔に思えるあの時、星川が下に何に敷かずに油性ペンで書いたせいで、永遠に消えなくなってしまった字がでかでかと書いてある。



『バイトで稼いでニート脱出!』


『人とのコミュニケ―ションを円滑に!』

 

『ロマンティックが止まらないような恋をしよう!』」

 


人をどれだけ馬鹿にすればいいんだよ、と思うふざけた文章は、どんなにウェットティッシュでこすっても消える事は無かった。

 

ベッドに腰掛け、パソコンのぼんやりとした光だけで埋め尽くされた空間の中、その文字を目で追う。


どれだけ、叶えられただろう。


確かに金は、ちゃんと通帳に振り込まれている。


確かに、スタッフさん達に挨拶もしてるし、人として最低限のコミュニケーションはとっている。


でも、自分は成長できているのだろうか。

 

星川の掲げた三つの指令。徹夜明けで鈍った脳みそでは、客観的に自分を評価するのは困難だった。

 

テーブルの上の『恋』の字をじっと見つめる。


ハルに電話越しに言われた、解散の言葉が忘れられない。

 

アイツも、人知れず泣く事はあるのだろうか。

 

自分ではどうする事も出来ない理不尽の波に飲まれて、眠れぬ夜を過ごす時はあるのだろうか。

 

じっと、星川の几帳面な字をどれほど見つめていたのだろう。


だんだん『恋』の字がゲシュタルト崩壊してきて、こんな字だったっけ? と思いだした。

どこか一点を見つめているとたまに陥る現象だ。


俺は誰だっけ? 

ちゃんと地に足付けて生きてるっけ? 

ここはどこだっけ?

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