第32話 電話口の向こう
そんなこんなで数カ月が経った。
番組終わり、すぐに構成作家の中津から呼び出された。
「打ち合わせと違うじゃないか」、「ウォッチャーに暴言を吐くとは何事だ」とかの説教を食らった。
中津はにこにこと笑いながら、しかし目は笑わずに嫌みを言ってくるので、少しずつHPが減らされていく感じがする。
ほうほうの体で控え室に戻ると、ミカが化粧を直していた。草野に気がつくと、にっこりと笑って鏡を閉じる。
「お疲れさまでした。どうでした?」
「いつも通り、トークの間やらリアクションのやり方にだめ出しをされました」
なんだか自分がどんどん芸人化しているようで、草野は椅子にしだれかかった。
ゲスト出演したミカは、まだセーラー服姿のままだ。
「ハルは先に帰ったのか? 珍しいな」
同じくセーラー服を着ていたハルの姿が見えない。
星川は収録が終わるとすぐに帰るが、ハルとミカは控え室が使用できるぎりぎりの時間までネタ合わせや反省会をしているので、意外であった。
草野の何の気無しの問いかけに、ミカは困ったように首を傾げた。
「実は、N-1の準決勝の予選の結果が昨日でたんですけど、うちら敗退してしまったんですよ」
「えっ」
「せやからハル、落ちこんどったみたいで・・・」
この前、絶対に優勝すると意気込んでいた姿、仕事の合間の少ない時間を利用してネタ帳を開いていた姿を思い出す。頑張っているのを間近で見ていた草野としては、あっさりと敗退してしまったのだという話を聞いて、驚いた。
何かねぎらいの言葉を言わなくちゃ、と思うが、何を言っても薄っぺらい陳腐なセリフになってしまいそうで、黙っていた。
草野の葛藤を見抜いたのか、ミカは、
「ま、落ちてしまったのはしょうがないんで、敗者復活戦で決勝に上がれるようにまた頑張りますから」
とほほ笑む。
悲しいだろうに、悔しいだろうに、そんなそぶりはおくびにも出さず、ミカは芸人として百点満点の回答をした。
あのコンビより自分達の方がおもしろかった、審査員の目は節穴だ、八百長じゃないかと、自分だったらぶちぶち文句言いそうなのに、ミカはネタ帳を見ながら何か考えごとをしている。
この子達をこんなに突き動かす原動力は何なのだろう。
普通、十代の女の子ならば、クラスでかっこいい○○君に恋したり、適当にバイトして欲しい服を買ったり、友達と遊んだり。そんなことが頭の大半を占めているものじゃないのか。少なくとも、自分の周りはそうだった。
しかし、大人の思惑にまみれた芸能界で、ハングリーに「笑い」でのし上がることを考えているこの子達は何なんだろう。
所詮イケメンに群がるしか脳がないと思っていた女子に、初めて、植物系男子代表草野が「もっと知りたい」という感情を持った。
横のスタジオでカメラや照明の撤去をしている音とスタッフの話し声が聞こえる。
草野はぼんやりと、持っているペットボトルのラベルを見ながら、立ち上がるタイミングを見失っていた。
夜も遅いので男としてミカを駅までちゃんと送っていった方がいいのか、それは迷惑だと思われるのか、迷っていた。
そんな草野の葛藤など露知らず、ミカはぱたん、と静かにネタ帳を閉じると、
「もうこんな時間。こんな格好でずっといるのもおかしいですよね。
着替えましょ」
と、着替えを持って立ち上がった。
控え室の隅にある、簡易式の試着室に向かい、靴を脱ぎ入ると、カーテンを引いた。
そこからひょこっと顔だけ出すと、
「覗かんといてくださいよ」
「覗かねーよ」
速答で返すと、くすくすと笑ってカーテンの中に顔を入れた。
草野は素知らぬふりでスマホをいじりながらも、思わず物音に耳を傾けてしまう。コントの衣装であるセーラー服から私服に着替える、衣擦れの音が聞こえる。
何故か息をひそめて、ミカの生着替えにドキドキしていると、
テッテケテケテケテンテンテン♪
静かな室内にご機嫌な音楽が響き渡った。
日曜夕方放送の、国民的大喜利番組のオープニングテーマである。
いきなりなんだ、と中学生のようにどきどきしていた心臓を押さえて振り返ると、長机の上に置かれているミカの携帯がぴかぴか光っていた。着信音だろう。
常にマナーモードでしか使わないので、最近のはいい音になったんだなぁとか、もっとましな音楽にすればいいのにとか思ってそのスマホを見ていたら、簡易試着室の中から、慌てたように声がした。
「ああ、うちのスマホ鳴ってません?」
着替え途中で出る事も出来ないのだろう。
ミカが尋ねてきたので画面を覗き込むと、『着信 ハル』と表示されている。
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