第31話 入り待ちの軍団

 番組収録前、星川が自動販売機に行こうとスタジオの前の廊下を歩いていたら、観葉植物の陰に隠れて縮こまっている男を発見した。


 一度も髪を染めた事のない真っ黒な髪に、履きつぶしたスニーカー。

草野である。


「何やってるんだい君」

 

星川は草野の不審な挙動には慣れていた。

呆れて声をかけると、草野は涙目で見上げてきた。


「なあ星川、俺はもう限界だ」


がくがくと体を震わせている。腕には鳥肌が立っている。

星川は首をかしげると、顎に手を当てて何かを思案している。


「わかった、話を聞くからこっちへ」

部屋の扉を指さした。


「いい、ここでいい。もう無理だ」


「こ、こっちの部屋で聞くから、ね」


顔が真っ青な草野は、移動する必要はないと主張するが、丸めた草野の背中をぐいぐい押して、横の会議室へ押し込んでいく星川。

誰も使っていない会議室は長机とパイプ椅子だけが置いてある。

星川はさっさと中に入ると、真ん中の席を指さした。


「はい、ここに座って」


「お前は座らないの?」


「あ、うん、ああ僕は良いよ。で、話って?」

 

何やら不安げにきょろきょろしていて星川の挙動がおかしい。

が、こいつがおかしいのはいつものことか、と草野は話を続ける。


「お前、ビルに入る前の人だかり、見たか?」


「ああ、いっぱい女の子達がいたね」


 星川が相槌を打つと、ああ恐ろしい! と草野は膝を叩いた。わなわなと唇を震わせる。


「なんだよアレ、俗に言う出待ちってやつか? いや、始まる前だから入り待ちか? そんなのはどっちでもいいんだ。

俺は、今日なんか近くで祭りでもやってんのか? とか思って前を通り過ぎようとしたら、俺の姿見て一斉に押しかけてきやがった。

一気に取り囲まれて、サインくださいだの写真撮ってくださいだのプレゼント受け取ってくださいだの、てんやわんやの大騒ぎだった……」


「へえ、良かったじゃないか。人気者だね。

僕は出待ちなんて数人しかいないよ」


「最初はお前のファンかと思ったんだよ! 

なのに…『カッコいい』だの『彼女居るんですか』だの矢継ぎ早に聞いてきて………うおおおおおぉぉお……」


思い出して、空ゲロを吐いてえづいている草野。

星川は素直に喜べばいいのに、と眉毛をハの字にして腕を組んでいる。


「ほら、収録始まるよ。草野君、君はもうただの一般人じゃないんだ。

限りなく一般人に近いタレントなんだよ」


「違う! タレントじゃない! 俺は、俺は、ただの引きこもり大学生だ!」

 

否定はしたものの、それもどうかと思ったのか、草野は頭を抱えている。星川は立った体勢のまま、優しくいなす。


「もう時間だよ。立って、元気を出して。今日は楽しい楽しいロケの日だよ」


「に、逃げなきゃ……逃げなきゃ……」

 

草野は『ロケ』という言葉に反応して、顔を上げると窓を探した。

向かいにあった窓を開くと、おもむろに桟に足をかける。

 

星川が慌てて「命を粗末にするんじゃない!」と体を張って止めるも、

「ええい離せ! 俺の現実はネトゲの世界だ! 竜王の湖に行きたい、ゴルゴーンの城下町に行きたい!」と絶叫しながら窓から体を乗り出すのだ。

 

しかし、ふと下を見ると、遥かかなた地上には女の子の大群らしき姿が見える。

さっき入り待ちしていた、草野のファンの子たちが一目見ようとまだ待っているのであろう。


ひいい、と情けない声を上げる。


ここに居ればまた全世界に恥をさらさすことになる。

でもここから逃げれば女子の大群に囲まれて圧死で昇天確実だ。


究極の選択にじたばたしていると、勢いよく会議室の扉が開いて、ポロシャツにピンクのセーターを肩に羽織ったダンディな髭のプロデューサーが笑顔で入ってきた。


「草野ちゃん、いい天気だから今日のロケは群馬の高原でスカイダイビングだよ!」


「もう勘弁してくれ!」

 


泣いても叫んでも、プロデューサーの声は鶴の一声なのである。

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