第30話 二人きりの帰り道

そしてハルは、ミカと同じ京都の高校だったこと、ミカは一つ上の先輩で自分は後輩だったこと、落語研究部で部長をやっていたミカの落語の腕は他の部員の誰よりも抜きんでていたこと、二人で漫才をやり始めて、文化祭で初めて皆に披露し評判がよく、大阪の漫才オーディションに挑戦して、見事優勝した時のことを話した。


昔を思い出すように、ある種うっとりとした調子で。

 

高校の時にまともに部活に入ってもいなければ、ろくに楽しかった思い出も無い草野は、そうやって楽しげに話せる事がある事が羨ましくて、耳を傾ける。


「なにがきっかけでお笑いやろうと思ったんだ?」


 草野が、ずっと気になっていた事を尋ねた。


 ヒールの付いたブーツの先で石ころを蹴っ飛ばして、ハルは話そうか思案している感じで少し黙っていたが、ゆっくりと口を開いた。


「アンタが失恋したエピソード話した時、大爆笑したけど、ほんまはちょっと気持ち分かんねん。

実は、お笑いやろうとしたきっかけは、失恋したからなんや」

 

え、と草野が聞き返すと、ハルは少し恥ずかしそうに首を傾けると、腕を組んで歩きながら、


「うちも、同じクラスの子が好きやったんや。でも、告白してあえなく玉砕。

中学生ぐらいの時の失恋て、ほんまに世界が終るんじゃないかってぐらいショックよなぁ。で、三カ月ぐらいなんも手に付かんとぼーっと過ごしてたんや」

 

当時を思い出すかのように語る。

 

失恋などした事も無いだろう、そしてもししたとしてもすぐに忘れてしまうだろうタイプだろうと勝手に思っていたので、少し意外だった。



「そんな時、街で配ってたお笑いライブのチラシが目に入ってな。

若手の人のライブなんて、五百円ぐらいで見れるから、学校帰りにふらふらっと見に行ったんや」

 

チラシを配るような仕草をする。


「二十人ぐらいしか入れんちっさな会場で、舞台もせまくてなぁ。でもそんなところで、マイクスタンドだけで笑わせる人たちが、ほんまに凄いと思った。久しぶりに、腹抱えるほど笑った。ちなみにそれ、売れる前のモスキートーンやで、すごいやろ」

 

連日ゴールデン番組に出演しまくりの売れっ子若手漫才師の名前を出して、ハルは手すりにもたれ当時を思い出すように笑う。


「冗談でなく、うちはお笑いに人生救われたと思っとる。それからアホみたいにDVD買って、ライブ行って、研究したんや。高校入って落研入ってミカに会って、うちの相方はこの子しかおらへんって思ったわ」

 

その横顔は楽しそうだ。きっと、心からミカのことを信頼しているのだろう。

 

ハルは小さく歌を口ずさむ。お世辞にもうまいとは言えないが、金も無く、甲斐性も無い、そんな芸人の男が、客のまばらな劇場でいつか絶対売れてやると夢をみる、そんな歌だ。

 初めて聞く曲なのに、ひどく懐かしいような、不思議な歌だった。

 

鳥の糞と吐き捨てたガムのこびりついた汚い通り。どこからか焼き鳥の匂いがしてくる。

 

歌いきったハルは、ふふ、と笑うと、人差し指を満月に向けて差した。


「笑いは癒しや。笑い上戸な人は長生きするって言うし、万人を幸せにするって信じとる。だからうちはあの子と絶対N―1一位とんねん」

 

絶対に頂点を取る。そんな意気込みを見せているようだ。


「そのためにはアンタを踏み台にさせてもらうんで、おおきにな!」

 

何が楽しいのか、機嫌の良いハルは、その長い脚でステップを踏みながら踊るように歩く。


「踏み台って。俺は脚立じゃねーんだよ」

 

呆れて返すと、即座に、


「今のツッコミはワンテンポ遅い」

 

真顔で駄目出しをしてきた。うるせぇ、と毒づくと、ハルは悪戯っぽく笑った。


「じゃあね」


 片手をあげると、颯爽と改札の中へと入って行った。ポニーテールの揺れる後ろ姿。

 

草野はそこで、自分が、駅にすぐについてしまわないようにゆっくりと歩いていた事に気がついた。

 

ぐっと奥歯を噛みしめる。


「あれ、ハルボシの人じゃない?」という通行人の声に聞こえないふりをして、踵を返し家路を辿る。



 あの曲、なんて名前なんだろう。

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