第25話 屋上でショータイム
魔の木曜日、寿命をカンナで削るような収録時間が過ぎた。
都会のど真ん中に立つ高層ビル。
その屋上に出て、夜の月の光を受け草野はフェンスに寄りかかって街並みを見下ろしていた。
自分の、一番触れてほしくない部分をあんな形でほじくり出されてしまった事に、憤りを通り越して酷くみじめな気分になっていたのだ。
缶コーヒーを飲みながら、収録中はハイになっていた気持ちも下がり、とてつもない自己嫌悪に襲われていた。
着せられていた衣装を着替え、自前の着古したパーカーにジーンズ姿で、風にあおられながら夜の有楽町を走る車のヘッドランプを見下ろす。
そうやってずっと見ていると、本当に自分が立っているのか怪しくなってきて、全てが夢だったんじゃないかという幻想にとらわれる。
ポケットに入れたスマホがマナーモードになったまま震えたので取り出すと、先に帰った星川からの連絡だった。
「今、SNSでしたら、草野くんの失恋のくだり大好評だったよ」
ご丁寧にスクショしたファンからのコメントが貼られている。
「教えてくれてありがとう。地獄に落ちろ」
とだけ返した。
いつまでこんなことをやるんだろう。
番組終わり、プロデューサーは至極ご機嫌で、「最高だよ草野ちゃん。来週もよろしくね。このあとギロッポンでチャンネ―とぱふぱふしちゃう?」と笑ってきたので、恐らく来週もやるんだろうなぁ。
心の奥からじんわりと苦い物が湧きでてきた。
涙が出てくる。
嫌なのだ。他の人から見れば自慢に聞こえてしまうかもしれないけど。メディアに出る事が嫌で嫌で仕方がない。
注目を浴びたくないし、話のネタにされたくない。
自分の知らない誰かが自分のことを知っていて、自分に対して何らかの感情を抱いていると思うと怖くてたまらないのだ。
どんどん増えていく動画の再生回数、いいねのハートマークに、めまいがする。
水と光があれば生きていける。駄目人間と称されようと、ただ漠然と、生きるという事だけを享受していたい。
それができないのならばこのまま夜の闇に身を投げてしまいたいとすら思う。
背後から屋上の扉が開く音がした。
振り返るとハルとミカの二人で、草野に気がつくと軽く手を上げて近づいてきた。
「おー、AD。おつかれ」
「草野さん、今日も楽しかったですよ」
ミカもスタジオの端で見学して今回の収録を見ていたのだ。風でなびくショートカットの髪を直しながら、優しそうに微笑んでいる。
草野は口を尖らせたまま、そっぽを向いた。
あんなのは、笑わせているのではなく笑われているのだ。
可哀想な草野君を、みんなで笑い物にしているだけじゃないか。
「……一人にしてくれよ」
かすれた声でそう言うと、空を仰ぐ。
そんな草野の様子を見て、ミカはこそっとハルに耳打ちをした。
うんうん、と頷くハル。
「はーあ、アンタの事は気にくわないけど、今回もハネとったしなぁ」
「落ち込んでる人を見たら、笑わせてあげずには居られませんものねぇ」
なんだって? と尋ねると、ミカは口元を押さえてくすくす笑った。悪戯っぽい表情で、
「草野さんのためだけに、私達のネタ、見せましょ」
「それがうちらの商売やしなぁ」
「え、ここでやんの?」
スタジオや控室ならまだしも、ここは吹きっさらしの地上二十階である。
勢い良く風は吹くし、入口に白熱灯が付いているだけで、薄暗い。
「ハルとミカが揃えば、寂れたビルの屋上も、たちまちレッドカーペットに早変わりや」
ね、と顔を見合せて笑う二人。
「ええから、そこで見とき。これは特別やで?
うちらの単独ライブのチケット、最近は三分で完売なんやから」
そう言うと、二人は草野から若干距離を取った。
拍手をしながら、駆け寄って来る。
「はいどーもー! 川崎レインボーズですー! ゴーアヘーィ! ということでね」
「ハルさん、いきなり出てきて流行ってもいないギャグやるのやめてくれます?」
「今からはやらせていくからええねん。さ、ミカとハルでやらせていただいてるんですけどね」
「そうそう、私達、実は同じ高校の先輩と後輩やったんですよぉ」
ミカの切りだしたセリフで、二人の漫才の代名詞でもある『先輩後輩』ネタだという事が分かった。
草野はフェンスに背を付け、空になった缶コーヒーを握り、圧倒されたまま二人に見入っていた。
観客は一人と、数え切れないほどの星々。
ミカの、ぼんやりした口調から放たれるボケの数々、それに畳みかけるようなハルのツッコミが飛び交う。
まるでそこにマイクスタンドがあると錯覚してしまうほど、二人は楽しそうだ。
ハルのノリ突っ込みに思わず「ぶはっ」と吹き出してしまった。
しまいには女を捨てた下ネタや勢いだけのギャグも飛び出し、くだらねー、しょーもねー、と連呼しながら草野は腹を抱えて転げまわる。
笑いすぎて顎が痛い。おかしくておかしくて、しょうがなかった。
なにより、本人達が漫才を楽しんでいる。コントを楽しんでやっている。
それが見ているこっちにも伝わって来て、喜怒哀楽の最初と最後の感情が、次から次へと込み上げてくるのを止められない。
忘れていた気持ち。植物系男子日本代表の草野の、枯れ切った心に水をあげる事ができたのは他でもない、目の前にいる二人の女芸人だ。
これが幸せっていう感覚か?
一瞬よぎった自分らしくないお恥ずかしいセリフに、やれやれと自嘲する。
するとハルがすかさず「お客さん、よそ見考え事はアカンよぉ」と言うものだから、草野は再びそのショートコントに拍手をする。
都会の喧騒の中、地上二十階。
川崎レインボーズの即興単独ライブに、草野の笑い声が響き渡る。
日本中を笑いに包みこむ舞台と化していた。
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