第22話 ネタ合わせを一緒に

「今、素人丸出しなこいつに特訓しとったんや」


「ああ、ハルったら体育会系やから、草野さん困ってはりますやろ」


「余計な事言わんでええ」


くすくす、と笑うミカの前でハルはバツが悪そうに頭を掻く。

草野の前では態度がでかいハルだが、どうやら相方の前では少ししおらしい部分があるらしい。


「あ、そうそう。みなさんに食べてもらおうと作ってきたんですよ。もしよかったら草野さんもどうですか?」


 ミカは下げていたかごバックから可愛らしい容器を取り出し、草野に差しだした。ふたを開けると、星やハートの形をした手作りクッキーだ。


「ミカは料理うまいんやで」


 長い腕を伸ばして、星型の物をひょいとつまんでハルは自分の口の中に入れた。うまいうまい、と咀嚼している。草野はぼんやりとその容器を持ったまま立ちつくす。


 知らない女の子に貰った食べ物なんて、絶対食べちゃだめだ。何が入ってるか分からないからな。


 まるで「知らない人についていっちゃだめ」と親の言うことを守っている小学生のような事を考えたが、甘い香りが漂ってきて、昼飯抜きの体力赤ゲージの自分を誘惑する。


 結局、ハルからの「食わんなら持ってんな」という突っ込みを受け、おずおずと一枚口にした。


 なんてことは無い、予想した味である。しかし、ジンジャ―を入れているのか、甘すぎない素朴な味がとてもおいしい。


 腹ペコ草野はそのクッキーを「安全なもの」と判断したらしく、遠慮なくバクバクと口に運びだした。横で見ていたミカは、その様子を見ておかしそうに笑う。


「お腹のすいた部活帰りの男子中学生みたいな食べっぷりやんなぁ。作った甲斐ありますわ」

 

微笑ましそうに言われてしまい、クッキーをごくり、と飲みほしながらバツが悪そうに顔を伏せる。


「……夏木さんは、どうしてここに?」


 クッキーで少しだけ気分を良くした草野は、自分から女子に話を振るというチャレンジに出た。

その場に星川がいたら、「一歩前進だよ草野君!」と拍手をしたであろう。


 そんなことなど知りもしないミカは、はい、と頷くと、


「今日、第二スタジオでネタ番組の収録だから、ここを時間まで借りてネタ合わせしようと思って」


「せや。許可取っといたし、早速やろか。ちょうどええ、AD、アンタも見ときや」


 スタジオの控室や会議室などは、許可を取ると稽古場としても使える制度らしい。

このスタジオは毎日夜の放送なので、昼から夕方にかけてはそうやって使用されているのだろう。

 

ミカは大きなボストンバックをがさがさとあさると、一冊の分厚いノートとボールペンを取り出した。

 

表紙に「ネタ帳 ※持ち出し・覗き見厳禁!」と極太サインペンで書かれたそのノートを開くと、見開きページにみっちりと、文字が書き込まれている。

 

まるで東大生の受験ノ―トばりの文字密度、ところどころ図や表や時間配分のメモリなども振ってある。

几帳面には到底見えないハルだが、これほどのネタ帳を書いているとは思わなかった。

 

唖然とした顔でめくるページをみていたら、ミカがふと笑う。


「驚きましたやろ、川崎レインボーズのネタは全部ハルが書いてるんですよ。私はそれに合わせて覚えるだけ。この子は大事なブレインなんです」


 華奢な首をかしげながらミカが言うと、「ふふん、見直したやろAD」とハルが憎まれ口を叩いてくる。


「どのネタにしようかなぁ…。このネタ、ウケるんやけどこの前BSの番組でもやったから、何度もやるとネットで指摘されるしなぁ」


「ネタ時間は三分やろ、なら『先輩後輩』ネタでどう?」


「先週作った新作、おろしてみる?」


「チャレンジやなぁ。ゴールデン放送でスベッたら痛いわ」


 ネタ帳を見ながら、おおよそ草野にはついていけない、専門用語を連発する二人。


手持無沙汰の草野はサクサクとクッキーを食べながら、こんなに真剣にいつも打ち合わせしてるのか、とちょっと感心した。

自分より年下の、本来高校生の女の子たちなのに。

 

激論を飛ばしている二人の横でノートの文字をチラ見する。

各ページに一ネタずつ書いてあり、そのネタのタイトルらしきものが書いてある。

 

そのタイトルは『勘違い銀行強盗』、『パンダの飼育員 改訂版』、『小学校の朝礼 校長がハゲ』など、どんな内容なのか全く分からない、しかしちょっと名前だけで興味を引かれるようなタイトルばかりだ。


「なあ、このネタどういうやつなんだ?」

 

草野は、『勘違い銀行強盗』のネタを指さして尋ねた。ちょっとした好奇心だったし、ハルからはうるさい、と一蹴されるだろうと思っていたのだが、意外な反応を見せた。

「え、気になるん?」

 さっきまで仏頂面で草野に冷たく当たっていたハルは、自分のネタに興味を持たれて嬉しいのか、パッと顔を輝かせると意気揚々と話しだした。


一通りコントの流れを聞いて、草野は思わず吹き出してしまう。


「なんだそれ、すごい設定だな」


「けど、設定だけでちょっと笑えるやろ。それがええんや」


 ハルは身振り手振りを使って説明するので、まるでそのコントを見ているような気分になった。ミカが抜けた喋り方で勘違いし続けたり、それにブチ切れるハルの様子は目に浮かぶようだ。


「じゃあ、この『校長がハゲ』は?」


「まあ名前の通りなんやけどな」

 

ネタを聞き、草野は今度は腹を抱えてゲラゲラ笑った。

面白いじゃんか、と呟くと、ミカとハルは二人で顔を見合わせてピースサインをする。


「やっぱ最近スランプとか言ってたけど、面白いって言ってるやん」


「マンネリ化してるとおもっとったけど、まだまだうちも捨てたもんやないな。あ、でもハゲは今テレビであかんか。薄毛って言わんと」


まるでお互いの恋バナをするように。楽しげに笑い合う女の子二人。

今まで、うるさいだけでくだらない番組と思っていたバラエティ。


ディレクター、構成作家が何度も打ち合わせをし、出演芸人達は各々、その時の番組の雰囲気や客に合わせてネタを変え稽古をする。


色々と大変なのだと、当たり前の事に気がついた。

毎日薄暗い部屋でネトゲ三昧。大学に行っても講義は爆睡。そんな夢も希望も金も信念も無い自分からすれば、よりよい物を作ろうと試行錯誤しているテレビスタッフ、自分達が売れるためにひたすら努力をする芸人達を、素直に尊敬できる。

 

でも。


俺はそれでも、注目されたくない。

 

アイドルのように可愛らしい癖に、ごっついネタを打ち合わせているハルとミカ。


その二人を交互に見て、俺に、こんなに一つの事に熱くなれる情熱はまだ残っているのだろうかと思案する。


絶望的なカタルシスと、多感なモラトリアム。


植物のように水と光だけを享受して生きてきた草野の心に、少しずつざわめきが起こりだした。

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