第18話 大人って汚い
二十階へとあがるエレベーター、妙な浮遊感覚の中、壁に額を付けて「水兵リーベー僕の船…」と元素記号をぶつぶつと呟く。
ドアが開いて、一向に降りようとしない草野の背中を星川がぐいぐいと押す。小さな抵抗も、もう業界人達のフロアに来てしまったら意味がない。
白い壁に囲まれたスタジオに足を踏み入れると、
「おっすおっす、草野ちゃーん」
日焼けした顔をくしゃくしゃにして槙野プロデューサーが健康的に笑いかけてきた。
「いやーこの前はやってくれたねぇ、びっくりしたよ―」
バシバシと、草野の猫背を叩き、
「あれから各方面からの問い合わせが凄くてさあ。これからレギュラーになってもらうことにしたから、よろしくね。
あ、まだ大学生だっけ? オッケーオッケー、学業に支障がないようにすっからさ」
さらりと、レギュラーになったと聞かされ、草野は問いただす。
「あのポッピンズの柿崎って人、軽傷だったんですよね?」
恐る恐るプロデューサーにそう尋ねるも、
「あー、あいつ地上波の方で新しい番組のレギュラー決まっちゃって、時間帯的に裏かぶりすっからこっちの番組降りてもらったんだわ」
取り合っても貰えない。
「この前一回だけの約束じゃ」
「はーいはい、その代わりギャラは弾むからね」
文句を言おうとしても槙野プロデューサーは草野の両肩をぽんぽんと叩き、いなすだけだ。
「いやーそれにしてもハネたねぇ。いいキャラ持ってるじゃない。
とんがった芸風のキャラは受け入れられないことも多いんだけどねー。
ま、これからも頑張って。今度寿司でも食べいこっか」
丸めた台本を手で弄びながら、取り合いもせずに去って行ってしまった。
その陽気なロマンスグレーの後ろ姿を見つめながら、草野は絶望に打ちひしがれる。
「……ハネたってどういう意味だ」
「ウケたって意味や」
テンション高めなプロデューサーに聴こえないよう呟いた声に返答があったので振り返ると、桐島ハルが仏頂面で立っていた。
長い黒髪をポニーテールに束ねており、ジーンズ姿のラフな格好で、すらりと長い脚が強調されている。
「アンタみたいな素人とこれからやっていくなんて、気が重いわ」
ふん、と鼻を鳴らして草野を一瞥するハル。この前テレビカメラの前で取っ組み合いの喧嘩をした後なので、顔を合わせると気まずくなる。
「別に、俺はやりたくなんかないし、むしろ被害者だ」
とぼやくと、ハルはポニーテールを揺らしてぐるりとこっちを向いた。
草野の顔にビシ、と人差し指を突き立て、
「なんや、もう天狗か。視聴者が求めるから、俺はしょーがなく出てやるスタンスなんか」
「違うわ! いちいち突っかかってくんのやめろよ」
「腹立つわー。ったくザキさんのトークの腕があってこそのバランスなのになぁ……」
嫌そうにしているハルは、草野に向かって溜息を吐く。カチンときて、言い返してやろうと思ったら、
「ほらほら三人とも、打ち合わせ室はいってー」
パンパン、と手を打ってプロデューサーが横の会議室へと促してきた。
未だに「俺、だからあの番組は…」と渋る草野に、プロデューサーは白い歯を見せて爽やかに言い放つ。
「大丈夫心配しなくて。どっちにしろ人気がなくなったら降板だからさ、まあ気楽にやって」
草野は思った。もう成人を迎えたわけだが、心の底から思った。
大人って汚ない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます