第14話 何も喋れぬ泥人形
「草野君は僕の大親友で、番組のADさんなんだ!
今回は柿崎さんの代打として、この席に座ってもらってる」
「みんな、あんまいじめんといてーな」
必死なフォローをする星川に、意地の悪いハル。
カンペではイラついたディレクターが『AD、しっかり喋る!』と指示を出してくるが、草野の頭の中を占めるのはたった四文字だ。『知るかよ』。
向かいに置いてある三台のカメラ。その大きな撮影用のレンズが、まるで今まさに自分を捕食しようとしている肉食獣の瞳のように思える。
吸い込まれそうで、でも反らす事の出来ない強い力を感じる。
その向こうでは、何千人、何万人もの世界中の人たちの数え切れない両の眼が、自分を見ているのだと思うと、もう草野は発狂しないで自分がここに座っているだけノーベル賞ものだと思えるほど、今すぐ逃げ出したくなった。
貧乏ゆすりをしそうになるのを必死に耐える。
ふと見たチャットには、『なんか面白い事言えよAD』と書かれていた。
泣きたい。
パイプ椅子に座って眺めているプロデューサーが、小さく「駄目だアイツは」と呟いた。
途中からもうディレクターも諦めたのか、カンペでの指示をしなくなった。
他のスタッフも、急だったからしょうがないか、という労わる気持ちと、所詮バイトの大学生には務まらない役目だったんだな、とある種の諦めを持って、画面の右隅で固まっている草野、いや草野によく似た泥人形を、せめて番組の邪魔はしてくれるなよ、といった憐みの目で見つめていた。
悔しかった。
どうして俺がこんな蔑まれ、馬鹿にされなきゃいけないんだ?
チャットは盛り上がっている。
虚ろな瞳でその文字を見ていると、
『AD大丈夫?w』
『何このギャラ泥棒w』
と言ったメッセージが飛び込んでくる。
草野の怒りゲージが、少しずつ少しずつ上がっていく。
そんな草野の気持ちとは裏腹に、時は過ぎどんどん番組は進んでいく。
「悩みも言えないこんな世の中じゃ! ハル☆ボシ相談室のコーナー!」
横の女の子は、苦手な高い声でコーナーの説明を始めた。
机の角の丸みを凝視しながら、草野は奥歯をぐっと噛みしめる。
「このコーナーは、ウォッチャーの皆さま方から寄せられた悩みを、僕達が解決していきます。深刻な悩みからちょっとした愚痴、ツッコミ待ちのボケでも構いませんよー」
すらすらと台本に決められていたであろう言葉を読み進める星川。
草野は机の角を見ながら思う。
星川。俺と夜な夜な、世間やメディアの矛盾について語り合って来たというのに、すっかり資本主義の犬になっちまったのな。
「お、さっそく皆さんのお悩みが来てますねー」
目の前のパソコン画面を覗き込む二人。角を見つめる一人。
「えっと、『まつぼっくり』さんのお悩み。『最近、ストレスからか抜け毛が凄いです。将来ハゲないか不安です。どうしたらいでしょうか』ですって。ハル君どう思う?」
「簡単や。ワカメを食べる! うちの父親が実践済みや。それに最近は病院の薬とかすごい効くらしいで」
星川がウォッチャーからの悩みを読み上げ、ハルがそれに即答していく。
「なるほど、じゃあ次の人、『万年平社員』さんから。『嫁の母親と折り合いが悪いです。どうすれば仲良くなれますか』だって」
「次会う時にスーパー銭湯のチケットと煎餅渡せば大丈夫。ワイロやワイロ」
「『ハルちゃんみたいにスタイル良くなりたいです! 毎日どんなことに気を付ければいいですか?』と、これは『レジェンド石井』さん」
「食わずに動け。うちは毎日二百回ハリセンの素振りしとるで。腹筋に効くんや」
「凄いね、今のところ全部の質問に即答で答えてるよハル君」
「こーいうのはグダグダ話しあってもラチがあかんねん」
リズムの良い受け答えに、スタッフから笑い声が漏れつつ、テンポよく進んでいき、チャットも、
『ハルちゃん適当に言ってないー?』
『俺の悩みも読んでくれ!』
と盛り上がっている。
依然、配信されている生放送の右側は、ほとんど静止画状態のままだが。
二人は楽しそうに、ボケたり突っ込んだりしながら和やかにウォッチャー達の悩みを解決していく。
まるでそこに草野はいないかのように、何も問題は無く番組は進み、カメラに映された映像はネット回線を通して配信されていく。
草野の公開放置プレイは続き、怒りのボルテージも徐々に徐々に上がっていく。ただでさえ沸点が低いのに。
「次のお悩みは若い女の子からかな。『マロンちゃん』さんから。これは恋の相談かな?」
「お、ええやん。そういうの聞きたいわぁ」
「えっと、『運命の人に出会えません。どうしたらいいですか?』だって」
なるほどねぇ、とMCの二人は悩ましげに顔を見合わせた。難しい質問だ、と首をひねる。
そこで、星川は恐ろしいキラーパスを出した。
「草野君は、この質問どう思う?」
スタジオ全体が息を飲んだ。
そこでその泥人形に話を振るか? とでも言いたげなスタッフの視線。
しかしそこはマイペースな星川、空気は読まずに草野に問いかけた。
番組中盤まで自己紹介以外喋っていなかった草野は、痙攣したかのごとくびくりと体を揺らし、ゆっくりと星川の方を向いた。
「……え、なに?」
「この『マロンちゃん』さんの悩み、どう思う?」
星川は、一言も喋らない草野を気の毒に思ったのか、優しさで話を渡したのだろう。
しかしその優しさは仇となった。
草野の回答待ちの時間は、見ている側からすれば相当長い時間に感じる。
横に座っているハルは、なんかおもろい事言えよ、と睨みつけてきている。
草野は、目の前のパソコン画面に映るチャットの文字から、質問の内容を探しだした。
混乱した脳では文字も形骸化して見えてしまい、見つけるのにも一苦労だ。
ウォッチャーからの悩みの実際の文字は
『ぁたし、運命のヒトに出会えないんですっ泣。どうすればE→ですかぁ?☆』だった。
そのギャル文字と、語尾の星マークのせいで、草野の怒りゲージは臨界点を突破した。
ぷっつん、と。
後から思えばあれは理性が切れる音だったのだなぁ、と冷静に考える事が出来るのだが、その時は頭の中の異音にも、聞こえない振り。
そして、草野は胸元のピンマイクでも拾えるように、
「運命なんて、嘘っぱちだ」
とはっきりと言った。
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