第12話 番組開始1分前
カメラマン、ディレクターのみんなが振り返った。
芝居じみたポーズで、草野を指さす。
かちり、とスタジオの中心に掛けられている時計の針が動いた。
生放送まで、後三分。
スタッフ全員が星川の言葉に振り返り、草野を見た。
ネルシャツを着て、いかにも垢ぬけない高校生ルック丸出しな青年を見る。
スタジオの中心に置いてあるデジタル時計は容赦なく時を刻んでいく。
まるで警察に取り囲まれた犯人状態。身動きできず固まっている草野の頬に冷や汗が垂れる。
視線を集中的に浴びながら、どうにか反論をしなければ、と思うも言葉が出てこない。デジタル時計は午後七時五十八分十二秒。
カーディガンを肩に掛けたプロデューサーは小声で、
「素人…でも星川の友達…背に腹はかえられないか…」
と呟いている。午後七時五十八分二十秒。
セットされたテーブルの席から立って草野を指さす星川、馬鹿な事を言うなと立ちつくす草野、妙に冷静に顎髭を撫で、考え事をしているプロデューサー。
草野の頬から流れた頬が、スタジオの床に落ちたその瞬間、
「――――サポートMC急遽差し替え! 柿崎の代打、AD草野で!」
と、槙野プロデューサーが手を打った。
午後七時五十八分三十二秒。
その場にいたスタッフ全員が、各人の仕事に素早く移行した。
テレビ局に、アクシデントやイレギュラーはつきものだ。
臨機応変に対応する力が求められるので、スタッフ達の反応も早かった。
何せ、あと一分半で生放送が始まってしまう。素人の今日初めて来たバイトのAD相手とはいえ、手は抜かない。
冗談だろ。
誰かが反論してくれるのを一瞬期待したが、プロデューサーの声は鶴の一声だ。
音声さんらしきジーンズを履いた小柄な女の人が草野に近寄り、服をめくりあげた。「うひょっ」と直に肌に触れられびっくりしてのけぞっている草野の胸に、無言でピンマイクを付けて行く。
お洒落なサングラスをかけたメイクさんらしきスラっとした男性が顔を覗き込んできて、ビンタするぐらいの勢いで草野の顔にファンデーションを塗りたくっていく。
「痛い痛い痛い!」と言ったら、「静かになさい」と制された。
スタイリストらしき女の人は、草野の色落ちしまくって毛羽立っているネルシャツを脱がせ、高級そうな、しかしあまりオシャレすぎないシックなジャケットを着せた。
草野は完全になすがままのお人形状態である。
構成作家の眼鏡の男は、テーブルに置く名前のパネルの『ポッピンズ 柿崎』の所を『代打 AD草野』と書き変えている。
ディレクターの小太りの男は、台本を赤いペンで書き直したものを桐島ハルと星川に渡して二言三言しゃべっている。
「当初と流れは変わらない感じで、各人の自己紹介とウォッチャー達との掛け合いをよろしく」
指示されて、頷く二人。
照明は設置されている通りにMC二人に光を当て、カメラマンはスタジオの中心で三人がかりで生着替えさせられている草野にピントを合わせるリハをしている。
ピンマイクを付けられて、発色の良い肌艶にされて、格好良いジャケットを着せられて。
そんな草野に歩み寄ったプロデューサーは一言、耳元で、
「笑顔でファイト!」
どこの熱血体育教師だよ、というような超絶無責任な事を言って、草野を軽く突き飛ばした。
よろけた草野が座り込んだのは、テーブル席の右端。
本来は中堅芸人が座るはずだったその席。
煙草を買いに行ったまま永遠に戻ってこなくなった、愛想のいい男。
『AD 草野』と書きかえられた名前パネルを構成作家が草野の前に置いた。
「準備オッケーで―す!」
声が響き、各部署とも「音声完了です」、「照明もできました」、「カメラ準備万端です」の相槌が返される。
スタジオのデジタル時計は、午後七時五十九分四十二秒を刻んだところ。
隣に座っている桐島ハルはギリギリまで訂正された台本を読んでいたが、それを横に置いてカメラ用の笑顔を作りだした。
左端に座った星川は、親指を立て、
「似合ってるよ草野君、お互いベストを尽くそう!」
と、殺したいぐらい爽やかな顔だ。
ディレクターが「はい、生放送十秒前です、十、九、八!」とカウントダウンをし始めた。
草野は思った。
誰からも注目されない、何にも心を乱されない、そんな植物のような人生を送りたいと、常日頃から思って誰からも妬まれず嫉まれず角が立たないように慎ましやかに生きてきた、この俺が。
奇跡は起こるんだね、俺の場合はいっつも逆奇跡だね!
クソッたれ神様、隠れてないで出て来いや!
五、四、三、二、一。
ディレクターの右手のカウントダウンが終わり、午後八時ぴったり。
デジタル時計の下には、眩しいぐらいの赤い文字で「ON AIR」と表示された。
「始まりました、お笑いチャンネル、木曜八時新番組、『ハル☆ボシに願いを!』」
だから木曜日なんて大っ嫌い。
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