第9話 人気若手芸人

白いコートに身を包み、黒髪を一つに束ねた可愛らしい女の子がスタジオ入りしてきたのだ。


「ちょっと前の仕事が押しちゃいまして、遅くなってすみません」


 コートを脱ぎながら関西系のイントネーションで笑う女の子を、草野は知っていた。


つい最近までは知らなかったのだが、バイトをやるにあたって、星川から「失礼にならないように、頼むから共演者の人たちの前情報だけは調べておいておくれよ」と言われていて調べたからだ。

 

今回の新番組で星川とともにメインMCを務める少女。

それは、最近飛ぶ鳥落とす勢いで売れているという、関西出身の超若手女芸人コンビ「川崎レインボーズ」のツッコミである桐島ハル、十八歳だ。

 

瞳が大きく、アイドル顔負けのかわいらしい容姿から放たれる、毒舌と切れのあるツッコミが売りだという。

関西の方のお笑い養成所に通い、漫才新星コンテストで優勝をした際、高校を中退して東京に進出してきたというガッツのある若手芸人である。

 

相方であるボケの夏木ミカと織りなす漫才・コントは全て桐島が作っているらしく、業界人からも今一番注目されているようだ。

 

そして、とにかく可愛い。

だから男性お笑いファンから支持されており、彼女達が番組に出た際には、SNSのトレンドワードに毎回載る。


 ここ一年で人気をあげて来たらしいが、いかんせん流行に疎い草野である。

星川に言われて仕方がなくウィキペディアで簡単なプロフィールを調べ、動画サイトで過去の漫才やコントを見たぐらいだ。


つい最近知ったばかりとはいえ、生で見る「芸能人」にちょっとだけ感動して、両手でガムテープをぺたぺたしながらぼんやり彼女を見上げていた。

 

緊張感に満たされていた小さなスタジオにパッと花が咲いたように、彼女が気さくにスタッフに話しかけると場が和む。

さっきの陽気なプロデューサーと軽く打ち合わせをしながら、可愛らしく笑っている。

 

俺とはまったく住む世界が違うなぁと、基本的に芸能人やらアイドルやら、チヤホヤされている女が嫌いと豪語している草野は、心を無にしながら自分の作業に集中していた。


 そんな時、手元に影が落ちる。


「なあ、アンタ、打ち合わせにはおらんかったな。新しい人?」


 スタジオの地べたに座り込んでガムテープをちぎっていた草野が声を掛けられて顔をあげると、桐島ハルが立ったまま草野に話しかけてきていたのだ。


 すらりと長く伸びた脚。意志の強そうな瞳は今まさに草野を見つめている。



 その、綺麗な黒髪が、ほんの一瞬だが例の初恋の女の子とダブった。



 草野は目を見開いたまま、アホ面でぼうっと彼女を見上げている。


 苦い思い出、トラウマ。



 くさのは まひじょうたいに なった!


 くさのは からだがしびれて うごけない!



「なんや、固まっとるやん」



呆れた調子でハルが言うと、草野ははっと正気に戻った。

周りのスタッフが、ハルが声を掛けてるのにシカトしてるぜあの新人、といった調子で見てくる。

 


くさのは こんらんした! 


わけもわからず じぎゃくを いった!



「いや、俺引きこもりなんで、打ち合わせには行かなかったんです」


 と言うと、


「なんやそれ、自分おもろいなぁ」


 ふっ、と桐島ハルが笑うものだから、草野はもう訳が分からなくなって、しかし何か言わなきゃ、なんで神は俺に空気を読む力を与えてこの世に産んでくれなかったのかと、神に八つ当たりをしながらパニック状態。何か言わなきゃ、その気持ちだけが増していく。


 首筋に冷たい汗が流れた。エリートでオサレな場所の二十階、できる大人な感じのスタッフに、今をときめく芸能人。


 草野のキャパは簡単にパンパンになり、思考回路はフリーズした。

 そんな時、最近星川の指示でずっと見ていたネットの動画が頭の中で再生された。


 川崎レインボーズが漫才の最初にやる、掴みのギャグ。


それをやることで、「俺、あなたの事ちゃんと知ってますよ、ファンですよ」といったアピールにもなると思ったのだ。


 右手の親指と人差し指と中指を立てた状態で目の傍に持っていき、ウインクをしながらその手を前につきだすという動作をしながら。

「さあ行くよ」といった意味の「GO AHEAD」をネイティブ風に言った、桐島ハルの持ちギャグを。

 

その震える指を立て、



「ゴアヘ――――ィ!」



 全力で、心の底からやってのけた。

 


スタジオが、静まり返った。

 

誰も口を開く事も笑う事もせず、永遠にも感じられる沈黙の数秒が流れる。

 

カメラマンの若い男が信じられない、という目で見てくる。ディレクターはぽかんと口を開けている。


 やってやったぞ、どうだ、とその手を下ろす。心の中でガッツポーズを取りながら、目の前にいるハルを恐る恐る見た。

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