第8話 アルパカとジャッカル
二十階へと到着し、細い廊下を歩き、スタジオへと入る。
「星川稔です。今日はよろしくお願いいたします!」
入る時にそう明るく声をあげ、会釈をすると、スタジオ内にいたスタッフがみな振り返って軽い拍手が鳴った。星川の後に続いて、「…っす」と草野も足を踏み入れる。
想像していたよりもスタジオは狭かった。
十数畳ほどの白い壁と床に囲まれたところに、長机と椅子が三脚置いてある。机の後ろにはカラフルな字で「ハル☆ボシに願いを!」という番組タイトルのかかれた看板が掛けてある。
机の上には三人分のマイクと水の入ったペットボトル、それにノートパソコンが三台。
スタジオの奥には長机の向かいに撮るための大きなカメラが設置されており、その前ではカメラマンらしき男の人たちと、馬鹿でかい灰色のはたきのようなマイクを持った音声さんらしき小柄な女の人、そしてそれに指示をだしている耳にイヤホン、胸元にマイクを付けたディレクターらしき人がいる。
草野はあまりテレビを見ないし、見たとしても撮影の裏側をそうそう覗ける事は無いだろう。珍しい光景に子供のように口を開け、ぐるぐるとスタジオ中を見渡していると、ピンク色のポロシャツを着ている背の高い髭の男性がパイプ椅子から立ち上がり、つかつかと歩いてきた。
「ちょいす、星川ちゃ―ん。気合入ってる?」
「はい、今日はよろしくお願いします!」
「はーいはい、よろしくね。そっちの人が例の?」
「ええ、ADの草野君です」
ふーん、とそのロマンスグレーがちょっとカッコいいおっさんは草野の顔をまじまじと見ながら顎ひげをさすった。
値踏みするように、上から下まで眺められる。
星川が耳元で、
「この人は槙野プロデューサー。
この番組で一番偉い人だから、くれぐれも失礼無いようにね」
と教えてくれた。
目の前の人がお偉いさんだと知ると一気に固くなるのが草野だ。
顔を引き攣らせながらプロデューサーだという男性に、
「く、草野あちゅしですよろしくお願いします」
と、どもりまくりの噛みまくりで頭を下げると、プロデューサーは白い歯を見せて肩を叩いてきた。
「緊張しない緊張しない。君が番組出るわけじゃないんだからさ。気楽にね。
細かい事はディレクターに聞いてね」
親指でイヤホンにピンマイクを付け、カメラマンに指示をしている小太りの中年を指し、パイプ椅子へと戻って座った。
肩にカーディガンをくくりつけふんぞり返っている。このスタジオの中で一番偉いんだぞ、といった雰囲気をガンガン醸し出している。
「じゃ、僕はメイクしてもらってくるから」
荷物をおろしながら別室へ去ろうとした星川の服の裾を草野は慌てて掴み、
「おい、俺をこんな所に一人にしないでくれ…!」
小声で強く訴える。その目は軽く血走っている。
可愛い女の子が言ったらトキめくこと間違いなしだが、草野がぶるぶる震えながら訴えても、情けないとしか言いようがない。
「僕も仕事なんだ。そしてこの番組に賭けてるんだよ。健闘を祈る!」
無情にも星川は草野を突き飛ばし別室へと向かった。
捨てられた草野は、その白い壁に囲まれたスタジオの中、まるでジャッカルの群れに紛れ込んでしまったアルパカの如く恐怖に慄いた。
しかしそんな事をしていてもしょうがない。言われた通り小太りのディレクターのもとに行って教えを請う。
国友というその中年は、「この前ADに逃げられたから、お前はやめんなよ!」と体育会系なノリで接してきた。
苦手な愛想笑いを浮かべながら、ディレクターの説明を聞いてメモを取っていく。
簡単にカンペの出し方や本番中の指示の受け方、あとはカメラのコードの持ち方、果てにはスタッフ笑いの出し方として発声練習までさせられた。
観客のいない番組なので、MCが面白い事を言ったらスタッフ達が声をあげて笑わなくちゃいけないのだと言う。
あとから編集で入れる事もできるが、手間かかるから不自然にならない程度に笑え、と念を押される。笑う事を強要される仕事なんて、珍しい。
何度も「はっはっはっは!」とお腹に手を置いて半ばヤケっぱちで声をあげたりもした。
そうやって新人バイト君らしく、せっせと床にテープを張ってカメラ位置を確認していると、
「こんばんはー、よろしくお願いします!」
と、可愛らしい女の子の声が聞こえた。
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