第4話 初恋と玉砕
はっとすると時間はもう昼過ぎで、垂れていた口元のよだれを拭った。
昨日コロシアムで星川に負けてしまったのが悔しくて、夜が明けるまでひたすらネット対戦で世界中のプレイヤーと戦っていたのだ。
三十二人目、ブルガリア人を倒したところで意識も飛んでしまったらしく、つけっぱなしのスマホはホカホカだ。
寝落ちしてしまったことを怒るブルガリア人からの文句が表示されていたが、どうせ読めないので無視をしてアプリを消す。
変な体勢で寝ていいたため首の筋が痛い。
テレビの電源を付けて伸びをする。
ふと壁に掛けてあったカレンダーで日付を確認すると、今日が木曜日だったのに気が付き、またイラっとした。
さらにテレビでは、『人気女優のマル秘恋愛事情!』とテロップが出ており、人気女優が甘ったるい声で笑いながら自分の恋人について語っていた。
草野は五臓六腑の底から吐き出すような深い深い溜息を吐いて、テレビの電源を乱暴に消した。
他人から見ればそんな些細な昔話、と言うかもしれないが、本人にとっては死活問題。
多感な思春期に味わった屈辱はなかなか消すことはできまい。
中学生の時、はじめて人を好きになった。
当時の草野もご多分に漏れず、流行りのお笑い芸人のギャグを多用したり、意味もなく洋楽を聴き始める普通の中学生だったので、その初恋もありがちなものだった。
席替えで隣の席になった女の子に、教科書を忘れた時に机をくっつけて見せてもらったことで、意識し出したのだ。
十五センチの距離の彼女の髪から香るシャンプーの匂い。細い指がノートに書く、綺麗な文字。お世辞にもすごい可愛いわけではなかったが、はじまりはそんな小さなきっかけだ。
友人達は雑誌のグラビアアイドルや、学校のミスなんたらに夢中で、「地味じゃね?」の一言で一蹴された。
彼女の良さが分かるのは自分だけだと、勝手に自負していたのだ。
わざと教科書を忘れたり、わざとイヤホンを音漏れさせて、「何の曲聞いてるの?」と聞かれるのを待ったり。
彼女が笑ってくれるのが嬉しくて、たくさん話せた日は、意味もなく自転車を立ち漕ぎで爆走したり。もう、滾る青少年の恋心はとどまるところを知らずノンストップ! だったのである。
そして気持ちがもうどうしようもなくなったある日、一世一代の告白。
まさに裏庭に呼び出すベタなシチュエーション。
好きだと言ったら彼女は、少し困ったような顔をした後、小さく頷いてくれた。
思わずガッツポーズを取ったその後、彼女は「でも、五人目でもいいなら」と言ったのだ。
え、と振り返るも、赤面の彼女は俯いている。
彼女なりのジョークかと思い、草野は「はは、大丈夫、俺も他に十人彼女居るし」とおどけて笑わせたのだ。
しかし数ヵ月後気づくことになる。その言葉は本当だったのだ。
彼女は五股をかけていた。
渋谷のハチ公でデートの待ち合わせ。
前日から何度もメンズ誌とにらめっこしてコーディネートした服を身に纏い、ちょっと離れた所で待っていた。
三十分以上前から待っていたのに、あえて彼女より遅れて来たように演出する「宮本武蔵戦法」で待ち伏せをしていたら、ワンピース姿の彼女がハチ公前に現れた。
驚かそうと、ハチ公の後ろ側に回り込み、「いま着いたよ」とLINEした。
目の前の彼女はスマホを触り、今まさに届いたメッセージをクリックした。
そして見てしまったのだ。
自分の送った「今着いたよ」というLINEの、送信者の名前のところが「木曜日」になっていたのを。
草野の、純粋な恋心や、ちょっとした下心や、爽やかな真心が、粉々に打ち砕かれた瞬間だった。
例えるなら、家を破壊するブルドーザーみたいな車のでかい鉄球が、頭に落ちてきたかのような衝撃を受けた。
塾や習い事の都合で、確かに一緒に下校できるのは毎週木曜日だったのだ。
覗き見たトーク画面は、家族、友達、月曜日、火曜日、水曜日、木曜日、金曜日。
彼女は嘘をついていなかった。
月曜日から金曜日、会う日付を名前として登録している男が、他に四人いるのだろう。
「その、木曜日って俺の事?」
かすれた声が、かろうじて出た。
放心状態で後ろに立っていた草野が声をかけると、彼女はびくっと肩を震わせ振り返った。
そして確実に彼女は、「しまった」と言う顔をしたのだ。
それからの事は覚えていない。
頭はめちゃくちゃのパニック状態で、とにかく、ふざけるなとか、馬鹿にしやがってとか、そんなことを叫んだと思う。
が、もしかしたら思っただけで叫んでいないかもしれない。
とにかく気がついたら駅の階段を下り、各駅停車の車両に飛び込み、コンクリートを蹴って走り、自分の部屋のベッドの上にうずくまって、枕に突っ伏して泣いていた。
何が「にこっ」だ。
何が「草野君は特別」だ。
何がハートの絵文字だ、何が授業中の手紙の送りあいっこだ、何がおんなじ高校に行こうだ、クソ食らえクソ食らえクソ食らえ!
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