第149話 僕は、最愛の人と鎖で繋がる。

「この三日間、アタシ、ずっと調べてたんだ」

「……調べてたって、何を」 

「心について。桂馬のタブレットがあったから、ちょっと借りて調べたんだけど」


 ルルカはタブレットの画面を操作すると、僕にとあるページを見せたんだ。


「……思いは、物に残る?」

「うん。その人にとって大切な物って、思い出が詰まってるんだって。だから、このサイトには、それらを手放すことで、気持ちの整理が出来るって書いてあるんだけど。……でもさ、逆を言えば、手放さなければずっと思いが残ってるって事でしょ?」


 無茶苦茶だけど、一理ある。


「今のノノンは心がない状態なの。まるでお人形さん。でも、間違いなく存在はしてる。変な言い方すると、まゆらのお陰でね。だから、心のないノノンに対して、思い出の品を与えれば、心……思い出が戻ってくるんじゃないのかなって、そう思うの」

「ノノンにとっての思い出の品……」

「アタシたちにとっての思い出の品なんて、一個しかないじゃない」


 僕とノノンを繋いでいたもの。

 愛を誓う、結婚指輪と同じ存在。


「鎖……」

「うん。最近、結構な頻度で外れてたから、これを戻せば、もしかしたら」

「ノノンの心に、思い出が蘇るってことか」

「……腕輪は持ってきてあるから、後は桂馬がこれを嵌めれば」

「でも、これをめて、ノノンが戻って来なかったら?」


 怖い妄想だけが浮かび上がってくる。

 僕たちを繋ぐ思い出の品なんて、鎖以外ありえない。

 最初にして最後のチャンスを、もし、失敗したら。


「大丈夫だよ、桂馬なら大丈夫」

「……そんな」

「大丈夫。だってあの子、桂馬のこと大好きだから」


 ルルカは目を閉じると、ノノンへと身体を譲る。

 途端、表情だけを笑顔にするんだ。

 何をされても怒らない、心を失った人形みたいな笑顔。


 それでも、可愛いと思う。

 僕は彼女の笑顔が見たくて、ずっと頑張ってきたんだ。


「ノノン」


 まだ、体中が痛い。 

 頭だって包帯が巻かれているんだ。

 脈打つとそれだけで頭痛に変わる。


「初めてあった時のこと、覚えてる? ノノン、僕のこと沢山怒ったりしてさ」


 どの思い出も忘れることが出来ない。

 泣きわめいて、沢山笑って、教室に怯えて。

 歯医者に行くのも嫌がって、隣の部屋で一人遊びしてたりさ。


「思い出が消えたって聞いて、ビックリしてる。そんなの微塵も考えてなかった。ノノンの方からいなくなるなんて、少しも考えてなかったんだ。だから、今、頭の中が真っ白でさ」


 子供みたいに甘えてきて、いつも側に寄り添ってくれる君の事が大好きで。

 大好きで大好きで大好きで、たまらなく好きで。

 

「それでも、改めて誓うよ。僕は、君のことが好きだ」


 言葉にすると、照れ隠しにノノンはそっぽを向くんだ。

 そういう仕草も大好きでさ、だから。


「世界で一番愛している、生まれて初めて好きになったのは、ノノンなんだ」


 こんなにも無反応な君を見る日が来るなんて、夢にも思わなかった。

 幸せすぎて消えるって、なんなんだよ。

 いいじゃないか、ようやく掴んだ幸せなんだろ。


「君以外考えられない。だから……お願いだから、帰ってきておくれ」


 幸せを求めているのに、幸せになったら消える。

 そんなの酷いよ、酷すぎるよ。


「ノノン……」


 肌触りの良い彼女の右手を持つと、その下に開いた腕輪を置いた。

 後は腕輪を嵌めるだけ、それだけで、この作業は終わってしまう。


 もし、これでノノンの心が戻らなかったら。

 想像しただけで、怖くて手が震える。


 会話も出来ない、でも死んだ訳じゃない。 

 目の前にいるのに何もせず、ただ微笑んでいる。

 

 そんなのになりたくて、ノノンは努力してきたんじゃないだろ。

 

「美容師になるんだろ、勉強も頑張って、専門学校にだって行くんだろ? 僕がずっと側にいて、ずっと応援してやるからさぁ。頼むよノノン、お願いだから、戻ってきておくれよ」


 怖くて、最悪を想像してしまって、それだけで涙が出てくる。

 でも、僕がやらなきゃダメなんだ。

 

 深く息を吸って……ゆっくと吐いて。

 大丈夫、僕とノノンの絆は、絶対だから。


 絶対に、元に戻るから。


『黒崎桂馬様を確認しました、施錠します』


 腕輪を嵌めると、機械音声と共に自動でロックがされた。

 怖くてノノンの顔を見ることが出来ない。 


「……」


 でも、分かる。

 反応が、ないんだ。


「ノノン」


 いつもの彼女なら、名前を呼ぶと「けーま」ってすぐに返してくれるんだ。

 子犬みたい尻尾を振って近寄る感じでさ、くっつくのが大好きで、すぐにキスを求めてきて。


「……っ!」


 だから、分かる。

 今のノノンは、心がまだ戻って来ていない。


 失敗した? もう二度と、ノノンは返ってこない?

 ……違う、まだだ、まだ、僕と繋がっていないから。


 僕と鎖で繋がって、初めてこの絆は形を成すんだ。


 でも。

 でも。


 あああ、怖い。 

 とても怖いよ。


 これでノノンが戻らなかったら。

 永遠にこのままだったら。


 〝もし〟が想像出来てしまって、怖くてしょうがないよ。

   

 自分にめるだけなのに。

 誰でも出来る簡単なことなのに。

 

 怖くて出来ない、こんなにも震えが止まらないとか。

 開いた腕輪に腕を乗せて、下ろすだけでいい。


 それだけ、それだけのこと。


「……神様」


 カチャリという音。

 腕輪が施錠され、自動でサイズ調整をする。 

  

『黒崎桂馬様を確認しました、ロックします』


 機械音声が流れると、腕輪から鎖がシュルリと落ちてきたんだ。

 僕の腕輪から流れ出てきたそれを掴むと、彼女の受け口へと差し込む。


 差し込むだけでいい。

 それで、この儀式は終わるから。


 終わって、しまうから。


 途端、彼女の声がリフレインしてくる。


 ――けーま! ノノン、まっしゅぽてと作った!

 皆を家に呼んで、初めて料理を作った時の笑顔。


 ――ノノン知ってるよ! 富士山は日本一、大きい山なの!

 二人で初めて遠出した時に、彼女が言った言葉。


 ――いいの。けーまだけ。ぜんぶ、いいの。

 ベッドの上で、僕にだけ優しく微笑む仕草。


 ――むすこさんを、わたしに、ください!

 僕の両親を前にして、緊張しながら出てきた言葉。


 ――けーま! けーま!

 毎日、当然のように僕の名を呼ぶんだ。



 ノノン……




『大好き、迷惑いっぱい掛けちゃうと思うけど、これからも宜しくお願いします』




 迷惑、いっぱい掛けていいから。

 なんだってワガママ言っていいから。

 お願いだから、戻ってきて欲しい。

 僕の側に、君がいないなんて考えられないから。


「……」

 

 カチッという音が室内に響くと、僕とノノンは鎖で結ばれるんだ。

 ずっと繋がっていたはずなのに、何だかとても懐かしい感じに襲われる。


「……」


 幸せの形、愛の証明、そんな言葉じゃ足りないんだ。

 僕とノノンとを結ぶ鎖は、何よりも強くて、絶対に離れる事がない絆なんだ。


 だから、だから――。


「……ノノン」


 こわごわと顔を上げると、そこにノノンの笑顔がなかった。

 俯いていて、肩の力も全部抜けているような感じがしていて。


「ノノン」


 肩に手をあてて、優しく揺さぶる。

 身体を揺らしたら、そのまま頭も揺れて。


 そして、ベッドの方へと、彼女は倒れ込んだんだ。 

  

「ノノン……あああ、ノノン」


 返事がない。

 ダメだったんだ。 


「ノノン、ノノン! ノノン! なんで、おかしいだろ! なんで!」


 一度消えてしまった心は、もう二度と戻らないのか。

 ならばなんで生まれてきたんだ、なんの為にノノンは。



「……ん」

 

 

 その時。

 彼女は今日、初めて言葉を発した。



「……ん、んん」


「……ノノン?」


「ん? ん、ん……けーま?」


 ノノンは身体を起こすと、んーっと伸びをしたんだ。

 すとんと両手を落とすと、そのまま僕の腕に絡まる。


「けーま、おはよう」

 

 本当は、叫びたかった。


「あ……っ、ああっ、おはよう」


 でも、叫んだり、違うことをしたら、彼女が消えてしまうんじゃないかって、怖かった。


「……あれ? おはようの時間なのに、ノノン、どこにいるの?」

「病室、だよ」

「びょうしつ? ……ノノン、病気? あれ? けーま、お顔、どうしたの?」

「ノノン」


 僕は、彼女の名を呼びながら、強く抱きしめるんだ。

 どうしても泣いてしまうから。

 どうしても嬉しいから。

 

「けーま……よしよし」

「ノノン、良かった、一生、一緒にいるんだろ」

「うん、けーまとノノン、一生一緒、だよ」

「絶対に離さないから」

「……うん、嬉しい」

「もう二度と、ノノンを一人にしないから」

「うん……うん」

「一生、ノノンが嫌だって言っても、離さないから」

「……うん、ノノンもけーま、離したくないよ」


 心が熱くて燃え尽きそうになる。

 涙腺が壊れたみたいに涙が出て来て、止まらないんだ。

 

「ノノン」

「けーま」


 ボロボロに泣きながら。

 それでも僕はノノンとキスをする。


「……ありがとう、ノノンのこと、好きになってくれて」

「当然だろ、君は、僕の最愛の人なんだから」

「けーま……幸せに、して下さい、ね?」

「ああ……世界で一番、幸せにしてあげるよ」


 もっと上手い言葉があったのかもしれない。

 でも、奥手の僕には、これが精いっぱいだ。


§


次話『ついに明かされる、夏の大会内容』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る