第148話 消えてしまった彼女。

「ノノンについての大事な話って、なに?」


 僕から視線を外し、俯きながらどうするか悩んでいる。

 その仕草だけで、あまり良くない報告なんだろうなって、推測できた。


 思えば、あの倉庫の時から、僕はノノンを見ていない。

 ノノンって呼んでたけど、恐らくあの場にいたのはずっとルルカだった。

 今もルルカが表に出ていて、ノノンが中に引っ込んでいる。


 この状況は、改めて思えば普通じゃない。

 だって今日は水曜日だ、ノノンが表に出てないとおかしい。


「ねぇ、ルルカ」

「……あのね。桂馬、ノノンね……」


 僕の目を見て欲しい。 

 真っ赤なルビーみたいな瞳で、けーまって微笑む顔を見せて欲しい。

 一生懸命料理を覚えて、一生懸命勉強して、ずっと僕の側にいた彼女を。


「ちゃんと、いちから説明するからね」

「……うん」

「これは、アタシも知らなかった……っていうか、忘れてた事なんだけど」


 膝の上で拳を握りながら、とても言いにくそうに、ルルカは俯きながら喋るんだ。 


「どうやら、アタシの方が、本体だったみたいなの」

「……ルルカが本体、って」

「それでね、先週の土曜日、ノノン、急に消えちゃったんだ」


 ルルカが語る言葉の意味が、理解できなかった。

  

「消え、消えたって、なに?」

「言葉、そのままの意味でさ。アタシも、何が起こったのか分からなくて」

「だって、二人は多重人格者で、ずっと一緒だったって」

「そう、なんだけどね……」


 なんで、この一年以上、ずっと一緒にいたのに。

 目の前にいるのに、いない? ノノンがいないとか、ちょっと、待って。


「じゃあ、もう、ノノンには…………会えないって、こと?」


 こみあげてくるものがあって、まともに喋れる自信がない。 

 嘘だろ、なんで急に、覚悟も何も出来てないよ。

 

 喉の奥が熱い。

 意味もなく涙が出てくる。


 事故とかで人が亡くなった場合って、こんな感じなのかな。

 心の準備が何も出来てない、悲しいっていう感情も追いつかない。

 胸の中心にぽっかりと穴が空くような、そんな。

 

「ああ、待って、大丈夫だから」

「大丈夫って、なに」

「いなくなった訳じゃないの、今も一緒にいる……でも」

「……でも?」

「ううん、一回、表に出すね。多分、その方が早いから」


 ルルカは目を閉じると、結わいていたヘアゴムを外すんだ。

 赤い髪がふわりと落ちて来て、ノノンの香りがいっぱいに広がる。

 

 雰囲気が変わった。 

 やさしくて、ほんわかする空気と、柔らかな微笑み。


 眉毛の角度も変わるんだ。

 ちょっと下がった感じになって、ずっと笑っているように見える。

 

「……ノノン」

「……」

「ノノン、良かった。消えたって、ルルカが言ってたから」


 彼女の手を掴むだけで分かる。

 今の彼女はルルカじゃない、ずっと一緒にいたノノンだ。

 

「……ノノン?」


 でも、何も喋らない。

 ずっとニコニコしてる。

 

「どうして、何も喋らないの」

「……」

「ねぇ、ノノン」


 なんだろう、意地悪してるのかな。

 最近ルルカが人気者になってたから、悔しいとか、そんなのかな。


 しばらくすると、ぽんって、雰囲気が変わったんだ。


「……分かったでしょ?」

「分かったでしょって、何が」

「ノノン、何も喋れないのよ」

「喋れないって、なんで」

「分からない。私たちって互いの心が聞こえるんだけど、今のノノンは何も喋ってないの」

「喋ってないって、何も考えてないってこと?」


 足を組みなおすと、ルルカは腕を組みながら眉根を寄せた。


「そういう事なんだけど……でも、これまでそんな事は一度もなかった。ちなみになんだけどね、一回ノノンが消えたって言ったでしょ? 美容室でお手伝いしてて、あー幸せだなって思ってたら、いきなりノノンが消えちゃったのよ」


「何か、予兆とかは」


「何もない。それで、バイトを一時間早く帰らせて貰った所に、まゆらに連れ去られたんだけど。でもね、あの時沢山の男に襲われて、その瞬間にノノンが私の中に戻ってきたの。襲われて、もう他の男に襲われるのは嫌だって思ってたら、急に」


「つまり、ノノンはルルカが生み出した、身代わりみたいなもの、ってこと?」


「……多分。保護されて、桂馬と一緒になれて、キスもして。恐らくノノンもアタシも心の底から幸せだったんだと思う。ううん、幸せ過ぎたんだよ。だから、身代わりの存在が不要になっちゃって、結果としてノノンが消えたんだと思うの」


「なんだよそれ、それじゃあまるで、ノノンが幸せになっちゃいけないみたいじゃないか」

「仮説よ? まだそれで確定した訳じゃない。でも、そうとしか考えられないの」


 幸せになり過ぎると消える存在? そんなの間違ってるだろ。

 全ての辛い思いをノノンが背負って、そしてルルカが幸せになったら消える?

 何の為に生まれてきたんだよ、そんなの、ノノンが可哀想すぎるだろ。


「桂馬」

「……なに」

「戻す方法、ひとつだけあるかもしれない」


§


次話『僕は、最愛の人と鎖で繋がる』


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