第139話 誘拐 ※ルルカ視点

6/22 11:00 土曜日


「毎週すまないね、最近ノノンちゃん目当てのお客様も多くてね」

「あははー、大丈夫ですよ。ノノンも美容師として、技術学びたいんで!」

「そう言って貰えると助かるよ。本当にありがとう」


 日和ひよりのご両親は、とても優しくしてくれる。

 ハサミの持ち方も分からなかった本体ノノンに、手取り足取り教えてくれるんだ。

 

 桂馬けいまにクラスメイト、日和のご両親、他にも数えきれないぐらいの人たちに囲まれて。

 保護されてからの本体は、これまでとは別の人生を歩んでいる。

 昔は酷かった記憶しかない、痛いことと気持ち悪いこと、それしかなかったのに。


「前掛け失礼しますねー!」


 資格を持たない本体が出来ることは、掃除と洗濯、シャンプーと髪を乾かすこと。

 誰でも出来ることかもしれないけど、本体としてはとても嬉しい事なんだ。

 誰かの役に立てるなんて、これまでの本体には無かったことだから。


「元気が良くていいね、二週間前にも来たのに、君に会いたくて今日も来ちゃったよ」

「あははー、ありがとうございます。身だしなみは大事、ですからね」

「そうだねぇ、お金に余裕があれば、毎日でも来たいくらいだ」

「そんな、無理しないでくださいね。それじゃあ、マッサージ失礼しますね」


 喋り方も日和のお母さん……うららさんと練習して、吃音も治りつつある。

 もともと練習すれば少しは喋れてたのだから、気の持ちようだったのだろう。


 とにもかくにも、本体の心はとても居心地が良くて。

 幸せに満ち満ちていて、なんだか溶けちゃいそうだ。


「……」


「……あれ? どうしたんだい?」


「……」


「火野上さん?」


「……え? ……え? あ、あれ?」



 視界が、俯瞰じゃない。

 手足に重力を感じる。

 

 アタシが身体を動かしてる?

 なんで、今の今まで本体が動かしてたのに。

 

(ちょっと、ノノン?)


 返事がない。

 なんで、本体、どこに行っちゃったの。

 

「……火野上さん、どうしたんだい?」

「え? え? あ、あの、あ、あはは、大丈夫、です。マッサージ、ですよね」


 とりあえず、見よう見まねで肩を叩く。

 いつも本体の中から見てたから、出来る。

 出来る、けど。


(どうしたの? なんで出てこないの?)


 おかしい。

 こんなこと今までなかった。

 本体が消えるなんて、おかし過ぎるよ。


 どこいっちゃったんだよ、ノノン。



6/22 17:00



「今日もありがとうね……なんだか、無理させちゃったのかな?」

「い、いえ、大丈夫です。すいません、ちょっと疲れてるみたいでして」

「無理言ってごめんね、来週は休んでもらっても大丈夫だから」

「……すいません、失礼します」


 本体のことが気になり過ぎて、ちょっと早めにバイトを切り上げて貰った。

 普通なら「ダメだよ!」って本体に怒られることなのに、出てこない。

 理由が分からない、こんな幸せな日常なのに、なんで本体がいないの。


 このままじゃ、アタシ一人で全部こなさなきゃいけないじゃない。

 ずっと二人だったんだから、これからも二人がいいよ。

 ノノン、出て来てよ、ノノン。


「大丈夫?」


 振り返ると、そこには日和がいた。

 学校の部活帰りなのか、制服姿のまま。


「泣きそうな顔して、どうしたの? お父さんに怒られた?」

「ううん、違う。日和……あのね」

「……? もしかして、ルルカちゃん?」


 うんうんって頷くと、日和は分かってくれたみたいで。

 

「どうしてそんな、ノノンちゃんは?」

「分からない、幸せだなって思ってたら、急にいなくなっちゃって」

「幸せって……どうしよう、とにかく、桂馬けいま君に連絡しないと」


 日和がスマートフォンで桂馬に連絡しようとした時だ。

 耳に覚えのある重低音と共に、住宅街に似つかわしくない車が近くに止まる。


「やほやほ! 二人とも久しぶり!」


 助手席から顔を覗かせたのは、あの日と同じ化粧をしたまゆらだった。

 車は以前のセダン系じゃなくて、ワンボックスに変わってたけど。

 既に顔なじみの彼女を見て、アタシも日和も警戒心ゼロで近づく。


「仕事上がりを狙ってたんだけど、なんか早く出てきたから声掛けちった!」


 車なら、徒歩よりも自転車よりも早い。

 きっと桂馬はまだマンションにいるはず。


「……ねぇ、まゆら、この車で桂馬の所に行ってもいい?」

「黒崎のとこ? どしたん?」


 桂馬に会いたい。

 会ってノノンのことを説明しないといけない。


「桂馬に相談したいことあるの、急いで行ける?」

「いーよー、あーしの彼氏、スピード凄すぎて笑えるよ?」

「ありがとう。日和、アタシまゆらの車で桂馬のとこに行くね」


 渡りに船とはこのことだ。

 仕事を早く上がったからといって、アタシ達は家に入ることも出来ない。

 ノノンの現状を一秒でも早く伝えないと……って、思ってたんだけど。


「うわっとと……なに?」


 急に身体を押されて驚く。

 振り返ると、そこには日和がいたんだ。


「ノノンちゃんの側には、誰かいないとでしょ?」

「……日和」

「私も一緒に行く。いいでしょ?」


 思えば、今のアタシには鎖がない。

 選定者は観察官との行動が義務付けられているんだ。

 一時的に誰かが代わりを務めないと、きっと桂馬が罰せられる。

 多分、それでもダメだろうけど。


「……うん、ありがとう」

「あーしたちは何でもいいよ。……それじゃ、隆二」


 隆二と呼ばれた男がアクセルを踏み込むと、車は一気に加速した。

 凄い加速で背もたれに身体が押し付けられちゃうレベル。

 そして、アタシ達の顔を、急に誰かの手が押さえつけたんだ。


「な……なに!?」

「ごめんねぇ、場所を知られたくないの。ちょっとだけ眠ってて」


 顔に布……これ、なに、なんか、眠く。 


「安心して、単なる睡眠導入剤だから。ただ、ちょっと違法で強力だけどね」

 

 抵抗も出来ない、力が、入らないよ。

 日和……寝てる……アタシ、桂馬に会わないといけないのに……。


「ちょうど良かったよ、どうやって連れて行こうかなって考えてたの。観察官の黒崎がいたら、ウチ等的にちょっち面倒だったからさ。大丈夫、安心して、特別なプレゼントがしたいだけだから。だから、今は、ゆっくり寝といてね」


 どうしよう……ノノン……どうし、よう…………。


§


次話『動き始めた大人たち。』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る