第117話 平和なカット修行と、不穏な電話。

4/8 月曜日 13:15


 僕が渡部わたべさんへと連絡したのは、流川ながれかわ先生が言っていた妊娠の話というよりも、ノノンの放課後活動についての方が大きかったのだけど。


「え!? あれって福助ふくすけ君なんですか!?」


『おや、情報が洩れていたようだね、なら話が早い。もし、福助君から連絡があるようなら、黒崎君からも彼を説得して欲しいんだ。このままでは白雪さんとお腹の子を見捨てて、彼は逃げてしまうかもしれない。そうならないよう、水城も現地入りしているのだがね』


「逃げるって、そんな酷いこと……七光ななひかり君や空舘そらたち君が許さなそうですけどね」


『そうだね、彼等にも話を聞いてみるといいかもしれない。もし黒崎くろさき君も現地入りを希望するのであれば、いつでも車とホテルの手配が可能だ。出来ることはする、是非とも白雪しらゆきさんを助けてあげて欲しい』


「わかりました。とりあえず、方々ほうぼう連絡を入れてみます」


『宜しく頼むよ。ああ、それと火野上ひのうえさんの放課後活動に関しても何も問題はない。彼女の高校卒業後の足掛かりになりそうな事ならば、むしろ全力で取り組んで欲しい。では、通話を終わりにするよ』 


 なんか、いつもと雰囲気が違う。

 恐らく、考えうる中で最悪の事態なのかも。 

 妊娠させて、それから逃げるって、最低じゃないか。


「けーま、どうした、の?」

「……ううん、何でもない」


 ノノンに伝えるべきかどうか悩んだけど、今は止めておこう。

 

 きっとノノンの事だ、流川先生の話が顔見知りだったって知ったら、今すぐ茨城に行こう! とか言いかねない。まだ何の情報も仕入れてないし、水城さんも現地入りしてるって言ってたんだから、多少の猶予はあると見ていいだろう。


「それよりもほら、そろそろ日和ひよりさん、来るんじゃないかな」


 学校から歩いて三十分ほどの距離にある、理美容店『リビュート』

 静かな住宅街の中にある、猫を基調とした可愛らしい造りの理髪店だ。


 表には理髪店を意味する赤白青のポールがくるくると回転し、茶色を基調とした看板には流れるような長い髪をした女性をモチーフにした絵が描かれていて、お店の周辺には花壇があり、子猫の形をした彫刻がいくつも並べられている。


 お店の入口が丸くて、ぱっと見ると猫の口にも見える。

 上には窓が二つあって、それらのひさしが猫の耳のように見えるんだ。


 全体的にファンシーな感じ、それが日和さんの実家であるリビュートというお店だった。

 丸い木製の扉が開くと、中から制服の上にエプロンをまとった日和さんが顔を覗かせる。 


「お待たせ、いま空いてるから大丈夫だってさ」

「わ! 日和、エプロン可愛い!」


 思わずノノンが叫んでしまうのもしょうがないくらいに、エプロン姿がさまになっていた。

 中央に猫が描かれ、白と黒のツートンカラーで仕上がっている。

 誰がどう見ても店員さん、そんな日和さんを見て、ノノンはきゃっきゃと喜ぶんだ。


「あはは、ありがと。お店忙しい時に手伝うことあってさ、これ私の仕事着なんだ」

「はわわ、可愛い……です」

「ノノンちゃんの分もあるから、さっそく着てみて」

「えー! ノノンのも、あるの!? やった!」


 さ、どーぞ、と日和さんに案内されて、店内へと足を踏み入れる。

 木製の床……に見えるけど、違うのかな? でも、柱とか壁は木製だ。

 待合スペースに座り心地の良さそうな椅子が並び、棚部分には水槽が置かれている。

 

「うわぁ……素敵な、お店」

「えへへー、ありがとー」

  

 ノノンが素敵っていうのも分かる気がする。

 全体的にお洒落なんだ、これは確かに女性向けな造りをしている。

 

 さらに店内を見回すと、柱に小さくて丸い足場が設けられていて、そこに居座る一匹の猫の姿があった。真っ白で毛が長くてふさふさしている猫ちゃん。ペルシャ猫っていったっけ? 青緑の瞳がとても神秘的な感じがする。

 

「猫、いるんだね」

「うん、ウチのボスちゃん。ほとんど動かないんだ」


 ボスって名前の猫なのかな。

 それとも他にも猫がいて、グループのボスってこと?

 と思っていたら、日和さんが「ボスー」って言いながら撫でてたから、どうやら名前らしい。


「ふあああ……可愛い、です」

「撫でても大丈夫だよ、この子めったに怒らないから」


 「あーん! 可愛いー!」って、日和さんとノノンの二人でボスちゃんと戯れている。

 ごろごろごろごろと喉を鳴らしているから、ボスちゃんも満更ではなさそうだ。

 三人まったりしていると、奥からワイシャツ姿の背の高い男性が姿を現す。


「お、その子が例の子だね」

「あ、パパ。うん、桂馬君の後ろ、酷いでしょ?」

「ははっ、まぁ、教わってなきゃこんなもんさ」


 日和さんのお父さん、髭が似合う大人の男って感じの人だ。短く刈り上げた髪は逆立っていてサッカー選手みたいになっているのに、もみあげがそのまま髭と連結している。中肉中背で筋肉質な感じは、頼りになるお父さんって感じだ。


「それと、君が将来美容師になりたいって子だね?」

「は、はい! 火野上ノノンと、もうします!」


 ノノン、緊張しているのか、背筋伸ばして大きな声で返事をしちゃった。

 店内にいた女性客がくすくす笑ってたけど……良かった、特に害はなかったっぽい。


「元気が良いね。うん、スタイルも良いし、まさにお手本となるに相応しい」

「お手本、ですか?」

「ああ、そうだ。美容の世界で生きていくのだとしたら、常にお客様のお手本にならないといけない。こうなりたいって思わせる容姿を保持していれば、自然とお客様は付いてきてくれるものさ。無論、それに見合う技術も必要になるけどね」


 なるほど、アパレル販売員が自店の服を着て売り込むっていう、そんな感じかな。

 綺麗な人がお店にいたら、それだけで集客になる。

 ノノンは誰がどう見ても可愛い、ノノンみたいになりたいって子がいてもおかしくはない。

 可愛いってだけで有利なんだな、これはノノンにとって天職かも。


「それじゃあ始めようか。黒崎君、一番端の席に座って貰えるかな」

「あ、はい、宜しくお願いします」


§


「こんなものかな、後頭部の毛が短かったから、そこに合わせて全体的に短くしといたよ」

  

 おお、さすがプロの理容師さん、僕が普段通うお店よりも仕上がりがカッコいい。

 少し長めのスポーツ刈りって感じ、全体的に短くなっちゃったけど、これもいいな。


「それじゃあ、お手本はこのくらいにして、カットの練習に入ろうか」

「は、はい!」

「まずはハサミの持ち方からね、それとコーム……くしって言った方が伝わるかな?」


 僕のカットが終わると、日和さんのお父さんはノノンへとカット技術について教えてくれたんだ。かなり丁寧に教えてくれていて、ハサミの持ち方から始まり、生首みたいなお人形を使ってのカット練習、さらには髭剃り、シャンプーまで教え込んでる。


 途中、日和さんのお母さんも練習に付き合ってくれて、二人の先生を相手にしながら、ノノンは必死になって手を動かしていたんだ。


「ノノンちゃん、シャンプーする時には指の腹で頭皮に当てるの、爪じゃダメよ?」

「はい……あう、ネイル、ダメですね」

「そうね、ネイルしながらじゃシャンプーは無理かも。でも、私が後で綺麗にネイルケアもしてあげるから、今は頑張ってね」

「ネイルケア、ネイルも出来るん、ですか!」

「私、美容師さんだから。美の追及に妥協しないの」

「ほわああああ……かっこいい、です!」


 日和さんのお母さん、旦那さんがお手本って言うのが分かるくらい美人さんだった。 

 日和さんも可愛いし、この親にしてこの子ありって感じ。


 シャンプーの練習台になった旦那さん放置して、奥さんと盛り上がっちゃってるし、ノノンと気が合いそうで何よりだ。聞けば、日和さんのインナーカラーもお母さんが手伝ったらしい。学校には「美容師の娘ですから、しょうがないですよね」で通したとか。


 ううん、なんとも頼もしい。  

 強くて逞しい女性って感じだ。  


§


「そろそろ時間だし、今日はここまでにしようか」

「はい! いろいろとありがとう、ございます!」

 

 お、終わったみたいだ。

 へぇ、人形の後頭部、かなり綺麗に刈り上げ出来てる。

 次ノノンにカットしてもらう時には、僕の頭もマシになりそうだ。


「ありがとうございました、えと、お代はいくらでしょうか?」

「うん? ああ、支払いは結構だよ」

「え、でも」

「実は、今日は私は休みでね、休日の暇つぶしって感じだったんだ」


 お休みだったのにお邪魔してしまっていたのか。

 むしろそっちの方がマズイと思うんだけど。


 どうしようか? といった感じでノノンと立ちすくんでいたところ、日和さんのお父さんは、僕たちにこんな話を持ち掛けてきたんだ。


「だが、どうしても支払いたいというのであれば、毎週水曜日の放課後、このお店の手伝いをしに来てもらえないかな? 火曜日が店休日でね、どうしても水曜日って混むんだけど、最近日和は忙しいのかお店を手伝ってくれなくてね」


 「クラス委員だし、生徒会入るから無理ー!」って日和さん叫んでる。


「無論、働いてもらうんだ、お給料も発生する。それに合間を見て練習も見てあげるからさ、どうかな?」


 どうかな、なんて、答えはひとつに決まってる。

 部活が禁止されている僕たちには、放課後の時間は余りに余っているんだ。

 

「けーま……」


 すがるような目で僕を見る、そんな目をしなくても大丈夫だよ。 

 ノノンがしたいことをすればいい、僕はそれを応援するだけだから。

 

「うん、いいと思うよ」


 ぱあああああって、瞳をキラキラさせて。

 満面の笑みで、ノノンは申し出を引き受けるんだ。


「宜しく、お願いします!」

「ふふっ、元気があっていいね。では改めて、店長の小春まこと、それと妻の小春うららだ。これから宜しく頼むよ、火野上ノノンさん」

「はい!」


 毎週水曜日か、お店の終わる時間は夜の八時だから、僕もそれに付き合わないとかな。

 二年生になって、人としてノノンはどんどん成長している感じがする。

 負けないように、僕も努力しないと。


 ……? 着信?


 ノノンが誠さんたちとお喋りしている時に、僕のスマートフォンが静かに揺れ動く。

 表示されている名前は、七光ななひかり五条ごじょう

 穏やかじゃない雰囲気を感じながらも、僕は一人店を出て、彼からの電話を受ける。


「はい、黒崎ですけど」

『黒崎君か……僕だ、七光だ』

「分かるよ。要件も何となく分かる」

『そうか、そっちにまで噂になっているんだな、なら話は早い。黒崎君、一度茨城まで足を運んでくれないか。福助を、福助金馬を、一緒になって説得して欲しい。そうじゃないとアイツ、死んでしまうかもしれないんだ』 


§


次話『どんな時でも、ノノンは甘える。』

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