第113話 差別

 お風呂から出るとノノンは泣いていて。

 母さんが「静かに」ってジェスチャーをしてたから、僕もそれに従ったんだ。

 

 ノノンがなんで泣いてたのかは、僕には分からない。

 でも、相手が母さんなんだ、多分、感極まってのことだと思う。


 しばらくして僕もキッチンへと合流し、母さんの言う通り、二階の僕の部屋へと向かった。

 部屋には床に布団も敷かれていて、別々に寝なさいって感じだったんだけど。


「ノノン……いっしょが、いいな」


 そう言う彼女の願いを叶えるために、ベッドに二人で眠ることにしたんだ。

 思えばいつもシングルベッドに二人で寝てるんだから、これが日常とも言える。


 手を繋ぎながら目を閉じるんだけど、今日はノノンの方からつないだ手を放してきたんだ。

 どうしたのかなって思って見てみると、ノノン、ベッドでも泣いてた。


「ノノン……」

「けーま、けーまぁ」


 声をかけると、横にいる僕に抱き着いてきて、そのまま離れなくて。

 きっと、嬉し泣きが止まらないんだ。

 だから、気が済むまで泣かせてあげようって、そう思ってたんだけど。


「ノノンも、このおうちに、生まれたかった」


 言葉を聞いて、愕然とした。

 ノノンはここに来て初めて、自分の生まれを呪ったんだ。


「しあわせが、いっぱいなの。ノノンには、なかった。パパも、ママも、分からないの。ノノンにもしあわせ、あったのかなぁ。けーま、ノノン、なんで、ノノンには、ママとパパ、いないの。なんで、いないの、なんで……なんで、ノノンを、捨てたの、かなぁ」


 ノノンは、生まれた時から両親がいなかったんだ。

 公園のトイレでノノンを産んで、母親はその場から逃亡した。

 母親が分からないんだ、当然ながら父親だって分からない。 

 そんな両親なんだ、いない方が良かったに決まってる。

 でも、それでも、そんなふざけた奴等でも、ノノンの両親なんだ。

 

「ノノンも、けーまといっしょに、この家に生まれたかった……ええええぇん……」

 

 持っている人間には、きっとノノンの苦しみに気づくことが出来ない。

 この家に来るときに、彼女はずっと震えていたじゃないか。

 その原因を深く探ろうともせずに、僕は彼女をここに連れてきてしまった。


 結果、彼女をイタズラに傷つけてしまっている。 

 いたらない僕のせいで、今、彼女は泣いてしまっているんだ。

 どうすることも出来ない、過去の呪縛が、根深いまでの悲しみが。


「ごめん、気づけなくて、本当に、ごめん」

「……ええええぇん……ふえええええぇぇぇぇん……」


 きっと、もっと楽しい夜になるって、勝手に思ってたんだ。

 でも、ノノンと一緒になるって事が、そんな簡単じゃ事じゃないんだって、改めて思い知る。

 ぶつける先のない怒りと、どうしようもない悲しみに包まれて。

 それでも夜はどこまでもけていき、僕たちの意識を奪っていくんだ。

 


3/31 日曜日 07:00



「あら、日記なんか書いてるの?」

「日記じゃないよ、日報ね。十時までに出さないとなんだ」


 日曜日の朝だけど、僕にはやることがある。

 昨日も寝ちゃったから、急いで書いて送信しないと。


「ノノンちゃんって、朝はパンでも大丈夫?」

「基本なんでも食べるよ、甘いの特に大好き」

「あらそう? じゃあフレンチトーストにしてあげようかしら」


 昨日いっぱい泣かせちゃったからか、ノノンはまだ起きてきていない。

 両親がいないことを嘆くなんて、今まで一回もなかったのに。


「母さん」

「なーに? 違うの食べたかった?」

「昨日の夜、ノノン、両親が欲しかったって泣いててさ」


 本人が聞いたら恥ずかしがりそうだから、いない今の内に聞いておこうと思った。

 真剣な話だって理解したのか、母さんも料理の手を止めて、僕の方を見る。


「この家に生まれたかったって、なんで自分には両親がいないのかって。僕、ノノンになんにも言えなくてさ……ダメだなって、思ったんだ。僕はまだまだ、彼女を理解出来ていない。もっと考えてあげないとダメだったんだ」


 傷つかせるような事は、したくないんだ。

 ノノンにはずっと笑っていて欲しいって、そう思う。


「何も、言わなかったんでしょ?」

「……うん」

「なら、それが正解よ」


 母さんは真剣な表情のまま、返事をしてくれた。


「桂君が何を言っても、ノノンちゃんの心を傷つけたと思う。でも、気にすることはないと思うわよ? ノノンちゃんがそれだけ、桂君に対して心を開いてるって意味でもあるからね。だから、何も言わずに受け止める、これが一番の正解ね」

「……そうかな」

「何か出来る事があるんじゃないか? なんて、神様じゃないんだから無理よ」


 確かに、昨日のノノンに対して、これっていう正解は無いような気もする。

 受け入れるしかない……そういうパターンも存在するんだな。

 

「あら? 起きてきたのかしら?」

「……そうかも」


 二階の扉が開く音が聞こえてきて、階段を駆け下りる音が響き渡る。

 バンッ! て扉が開くと、そこには寝ぐせが酷いノノンがいて。

 昨日泣きすぎたからか、目が真っ赤で充血してて、なんか腫れぼったい感じ。

 そんな状態のノノンが、僕を見て飛びついてきたんだ。


「けーま! いたぁ!」

「うわわわわ、どうしたのさ急に」

「おきたら、いなかったから! ノノン、めいわくかけちゃったから!」

「何を掛けられても、僕はどこにも行かないよ」

「ほんとう!? どこにもいかない!? ノノンおいて、どこにもいかない!?」

「行かない、約束する。ほら、母さんがご飯作ってくれたって。朝ご飯、食べよ?」


 見れば、ノノンの勢いにちょっと口をひくつかせた母さんがいたけど。

 すぐさまいつもを取り戻して、にっこりと笑顔を作るんだ。


「あ、あ、お、おかあさま、なんで……」

「うん、僕の実家だからね」

「そ、そ……ちょ、ちょっと、きがえて、きます」


 寝ぼけてたんだろうね。

 目が覚めて不安になるとか、本当、可愛いというか。


「……愛されてるのねぇ」


 母さんが頬に手を置き、感想を述べる。

 依存レベルでの愛され方だとは思うけど、それをどう思うかは愛される側の自由だ。 

 僕は、今のノノンが好きだ。これからもずっと、変わらないでいて欲しいと思う。



§



 桜が満開だから、二人で見てきたら?

 という母さんの提案を受け、僕とノノンは花見へ出向くことにしたんだ。

 歩いて行ける場所に川沿いの公園があって、そこが満開だとか。


「ご両親も、これたら、よかったのに、ね」

「しょうがないよ、昨日の疲れが抜けないって、父さん言ってたし」


 昨日の疲れがゴルフを意味するのか、母さんとの夜を意味するのかは、敢えて分からないとしておく。やたらと母さんの肌艶が良かった気がしないでもないが、自分の両親についてあれこれ考えることほど、意味のない行動もないだろう。


 ノノンと手を繋ぎながら道を歩く。 

 春の陽気は、それだけで僕たちを笑顔にさせるんだ。

 

 母さんのお古だというノノンが着ている服、だぼっとした大き目サイズのワイシャツに、インナーに柄付きのシャツを一枚、足首まで隠れるロングスカートに歩きやすそうなスニーカーは、春を演出するにはぴったりのコーデで。


 多分、お古って言いながら、普通に新品を用意したんじゃないかなって、そんな気がする。

 サイズ感は、母さんもノノンも胸が大きくて低身長だから、似てるっちゃ似てるけど。

 

「けーま……ノノンがかわいいから、みてる、の?」


 にーって感じで口元緩ませて、ノノンが僕をニヤリ笑いしながら見るんだ。

 優越感に浸ってそうで、どこか負けた感じがする。 

 だから、やり返すことにした。


「うん。ノノンが可愛くて、思わず見とれちゃった」

「――! ……ノノン、そんなに、かわいくないし」


 ぷいっとそっぽを向いて、ノノンはつかつか先を歩いちゃうんだ。

 何もせずとも楽しい、そんな僕たちだったのだけど。


「お? 桂馬じゃないか?」


 声の方を見ると、そこには自転車にまたがる、茶髪で髪型をマッシュにした男が一人。

 髪型や服装の感じが以前と違くて、一瞬誰だか分からなかったけど。


「……智文ともふみ君?」


 小学校、中学校と一緒だった、尾長おなが智文ともふみ君。

 スポーツマンだった彼は、高校生になっても変わらずな雰囲気だ。

 冬なのに日に焼けてて、細いのに首筋の筋肉がハッキリ分かるくらいには鍛えてある。

 そんな彼が、僕を見つけてハグしながら背中を叩くんだから、結構痛い。


「おう! 久しぶりだな桂馬! なんだぁ花宮高校で彼女作ったんか!?」

「ま、まぁ、そんなところ」

「そうかそうか! 仲間内で結構心配してたんだぜ!?」

「心配て、何を?」


 僕は、ノノンを傷つかせるような事は、したくないんだ。


「桂馬が青少女保護観察官になっちまったんじゃないかって噂でよ。だってアレって選定者って女の相手しなきゃいけないんだろ? 選定者って大抵ヤリマンだからな、他の男に抱かれた女と三年も過ごすとか、絶対無理に決まってんじゃんなぁ!」

 

 なのに、世界がそれを許そうとしてくれない。

 ノノンにはずっと、笑っていて欲しいのに。


§


次話『僕の彼女は選定者』

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