第106話 またね。

3/26 火曜日 11:50


 三学期最後の日。

 その日は終礼と同時に、他クラスから悲鳴のような声が上がったんだ。

 

「なんだ? 誰か倒れたのか?」

「いや、多分、発表したんだと思う」

「発表? 何を?」

 

 小平こだいら君も知らない、僕もずっとひた隠しにしてきたから、クラスの誰も知らないんだ。


椎木しいらぎさんと氷芽こおりめさん、転校するんだよ」

「……転校、えぇ!? あの二人転校すんの!?」


 驚くのも無理はない、僕だって泣いちゃうくらい驚いたんだから。

 小平君は手にしたもの全部放置して、四組へと走っていった。

 それにつられて何人かが教室を出ていって、小平君と同じ方向へと消えていく。


「寂しくなるよな」


 クラスの誰も知らないは語弊ごへいがあるな。

 古都ことさんと日和ひよりさんは、個人的に話を聞いていたらしい。


「せっかく仲良くなったのに、長崎と岡山じゃ、さすがに遊びに行けないよ」

 

 日和さんの言う通りだ、高校生のお小遣いで行ける距離じゃない。

 古都さんと日和さん、二人は僕たちの席に来て、騒がしいままの四組へと視線を向ける。

 寂しくなるのは二人だけじゃない、ノノンの隣の席で俯いている奈々子ななこさんもそうだ。


「奈々子は、まだ近いんだろ?」

「みーこちゃんが住まう家が都内だから、東京の高校になるんだよね」

「東京か、まだ行けなくもないか」


 けど、依兎よりとさんと同じく、奈々子さんも選定者だ。

 会うことも連絡を取ることも難しくなる。

 保護観察官が誰なのかすらも、学年が違うだけで分からないんだ。

 

 しかも具体的に高校名まで判明している訳じゃない。

 東京のどこか、だけじゃ、探しようがないんだ。


「お、全員揃ってるじゃん」


 廊下からの呼ぶ声に、僕たちは顔をほころばせた。

 

「依兎さん、まいさんも」


 沢山のクラスメイト、それに野次馬を引き連れた状態で、二人とも一組に来てくれたんだ。 

  

「みんなには伝えてあったのに、やっぱり、お別れとなると寂しいものね」

「……そうですね。この二か月、思い出作りに励みましたけど」


 連休と呼べる連休は無かったものの、休みの日にスカイタワーや浅草、それに全員であちこちに遊びに行ったりもしたんだ。とても楽しい二か月だったけど、楽しいと終わりが来るのがとても早く感じてしまった。


 寂寥せきりょうの思いは、どうにかなるものではない。

 この胸の苦しみは、どうやっても止めることが出来ないんだ。


「依兎」


 僕たちが沈黙していると、古都さんが自分の髪を結わいていたリボンを外した。

 ポニーテールだった髪がはらりとほどけ、普段とは違う古都さんを演出する。


「多分、アンタがアタシに一番近いから」

「……そうかもね」


 古都さんが依兎さんの髪を縛ると、彼女は嬉しそうに縛られた髪に触れるんだ。

 青い髪が揺れ、依兎さんの色白で、細い首筋が露わになる。

 形の良い耳にうなじ、それだけで、僕の目は釘付けになってしまうんだ。


「ほら、やっぱり似合ってる」

「あまり髪をいじったことないんだけど、ポニテも悪くないかもね」

「大事にするんだよ? ちなみにそれ、貸しただけだから」


 古都さんの言葉に、依兎さんははっと青い目を見開くと。

 すぐさま口端を緩ませながら、その意図を理解するんだ。


「分かった、何年するか分からないけど、返しにくるよ」

「約束、いつでも待ってるからね」


 恥ずかしそうに二人は微笑みあい、ちょっと照れながらもグータッチを交わす。

 見ていて興奮するぐらいに、すごく、かっこいいと思った。


「わわ、私も! 舞ちゃんに渡すものあるんだ!」


 二人に感化されたのだろう。日和さんが急に声を上げて、舞さんの前へと向かった。

 見た感じ手には何も持ってないけど、何を渡すのかな? と思っていたら。


「同じクラス委員だったからね! はいこれ、第二ボタン!」


 皆の注目が集まる中、ブチッと音を立てながら、日和さんはブレザーの第二ボタン無理やり外した。ウチのブレザーはボタンが二個あるタイプだから、確かに第二ボタンともいえるけど。というか、普通に四月以降も着るのに、取っちゃっていいのか。


「日和さん、ありがとう」


 え、まさか舞さんも第二ボタンを取るの? と思っていたけど、さすがにそれはないらしい。着ていたブレザーを脱ぐと、それをそのまま日和さんへと渡したんだ。そして、第二ボタンが取れたブレザーを、舞さんは受け取る。


「制服の交換、スポーツ選手みたいでいいでしょ?」

「……お、おお! そうだね! そっちの方がいいかも!」


 そっちの方がいいだろうね、ボタンちゃんと付いてるし。

 

「桂馬君」


 舞さんは、次に僕の前へと来てくれたんだ。

 少し伸びた髪、くびれた腰つきに、綺麗なまでの曲線美は初めて見た時と変わらない。

 青少女保護観察官として特別賞を受賞するほどの、優しさと根性を持ち合わせた女性。

 とても美しくて、可愛くて、誠実で、真面目で……頼りになる人。


「……っ」


 舞さんの行動に、野次馬は冷やかしの声を上げた。

 ほとんど同じ背丈の彼女は、僕の背中へと手を回すと、肩に顔を沈める。

 これまで感じたことのないくらいに力強く、舞さんは僕のことを抱きしめたんだ。  


「ありがとう」

 

 そう言いながら、遠くに行ってしまう彼女のことを、僕も強く抱きしめる。

 彼女の匂い、感触、ぬくもり、全てを確かめるように、時間をかけて抱きしめるんだ。


「舞さんから学んだこと、忘れないから」

「……うん」

「時間があったら、いつでも連絡していいからね」

「……」

「出会ってからずっと、楽しかったよ」

「……うん」


 舞さんの吐息が、とても熱いものに変わっていく。

 こんなにも側にいるのに、声を掛ければ返事がくる距離なのに。

 数分後には、僕達の距離はどこまでも遠くなってしまうんだ。


「……舞」

「うん……もう、お迎え来てるんだ」


 僕から離れた舞さんは、顔を真っ赤にしながら、涙を沢山流していた。

 見れないくらいに泣きはらしていて、油断すると声が嗚咽になってしまいそうで。

 

「もう、行くね」

「……」

「ありがとう、桂馬君」


 最後に強く抱きしめられた後、舞さんと依兎さんはクラスを後にしたんだ。  

 見送るべきだったのだろうけど、足が動かなかった。


 だから、最後に彼女たちの背中へと、僕はエールを送った。

 両手でメガホンを作って、精一杯の声で感情を殺して。


「舞さん、依兎さん! いってらっしゃい!」

 

 二人は足を止めると、振り返りながら手を振ったんだ。


「またね! 絶対遊びに来るから!」

「桂馬も! ノノンと仲良くやれよ!」


 泣きながらいなくなる二人へと、僕は大きく手を振ったんだ。

 それから二人は振り返ることなく、僕の視界から消えてしまった。


 もう、消えてしまったんだ。


「けーま……」

「ノノン……ごめん、ちょっとだけ、ごめん」


 側にいてくれるノノンに抱かれながら、彼女の制服を、ただただ濡らし続ける。

 春は、出会いと別れの季節だ。

 だけど、こんなにも辛い別れは、生まれて初めて経験するよ。


「……うん、もう、大丈夫」

「けーま、ななこも、だよ」

「そうだよね、奈々子ちゃんのお迎えもあるんだから、帰らないと」


 まだ、今日という日は終わらないんだ、

 奈々子ちゃんとみーこちゃん、二人を見送らないといけない。

 大きく深呼吸をして、少しでも気持ちを整えないと。

 


3/26 金曜日 15:00


 

 定刻通り、渡部わたべさんと水城みずきさんは、僕達の家のチャイムを鳴らした。 

 玄関に入るなり、二人は綺麗に着飾った奈々子ちゃんを見て微笑む。


「準備は、出来てるみたいだね」

「はい、もう、大丈夫です」


 泣いてしまった僕よりも、奈々子ちゃんの方がしっかりしている。

 最終日の今日、彼女は自分の服を洗濯し、洗い物まで手伝ってくれたんだ。

 受け答えもしっかりしている。選定者として申し分ないまでに、彼女も成長したんだ。 


「何か餞別でも渡せたらと思うかもしれないが、選定者へのプレゼントは基本禁止とされている。ひとつの思い出が新たな観察官との枷になる可能性があるんだ。……だが、ここで過ごした記憶は間違いなく灰柿さんの中に根付いている、それだけでも、とても大きなことだ」


 そこまで言うと、渡部さんは僕達に頭を下げたんだ。


「黒崎君、火野上ひのうえさん、君たちには感謝している。本当に、ありがとう」


 渡部さんが僕達に頭を下げているのには、理由があるのだと、水城さんが教えてくれた。

 灰柿さんの更生に関する情報は、彼女と共に保護された子供たちへも伝えられたと。

 

 十三歳で子供を産み、誰の助けもないままにみーこちゃんを育てていた灰柿さんのことを、彼らも気にしていたらしい。地獄のなか、母子二人だけで生き延びていた灰柿さんが、見事なまでに更生している。この事実は、保護された子供たちへと勇気を与える結果となった。


 積極的ではなかった子供たちが、自主的に選定者として必要な知識を学ぼうと必死になっている。すべては灰柿さんの頑張り、いては、僕とノノン、今回の更生に関わった全員の功績だと言ってくれたんだ。

  

 短くなった髪を揺らしながら、奈々子さんは渡部さんの横に立つ。 

 彼女が初めて来た時には、雪が降っていたんだ。

 あの時とは比べ物にならない笑顔で、奈々子さんは新たな場所へと旅立つ。

 僕とノノンは、我が子の巣立ちを見守る親の気持ちで、そんな彼女を見送るんだ。


「じゃあ、行こうか」

「……うん。……ノノン」


 最後に、奈々子ちゃんはノノンの名を呼んだ。

 フリルのついた可愛らしいお人形さんみたいな服を着た彼女は、妖精のように微笑む。

  

「ありがとう、私のママになってくれて」


 またね。


 最後に奈々子ちゃんは僕らへと手を振ると、振り返って渡部さんの手を取った。

 こちらを見なくても分かる、肩が震え、必死になって泣くのを我慢している。

 そんな彼女のことが愛おしくて、寂しくて。

 でも、もう、僕たちには何もしてやれないんだ。


 玄関の戸が完全に閉まりきると、ノノンはぺたりと、その場に座り込んだ。

 しばらくの間、二人で奈々子ちゃんとみーこちゃんがいなくなった玄関を見つめ続ける。

 数分すると、握りあっていた彼女の手に、力がこもった。 


「……ななこ、ノノンのこと、ママって、いってくれた」

「……うん、言ってくれたね」

「ノノン、ななこに、ちゃんとできてたの、かな」

「出来てたよ、大丈夫、ちゃんとママだったよ」


 見上げる赤い瞳には、やっぱり涙が溢れていて。

 

「ほんと……? ノノン、もっとちゃんと、もっと、ママに……」

「ノノン……おいで」


 両手を広げると、彼女はぽふんと、僕の胸に倒れ込んできた。


「けーま、ノノン、さみしい、さみしいよ……」


 別れは、やっぱり寂しくて、辛いものだ。

 それがどんな形であっても、僕達は涙を流してしまう。

 だって、僕達は家族みたいなものだったから。


 でも……それでも、二人なら、まだ二人なら、分かち合うことが出来る。

 どれだけ泣いても、受け止めてくれる相手がいるんだ。

 だから、僕達は繋がることを恐れてはいけない。


 何があっても、二人でなら乗り越えることが出来るのだから。


§


次話『寂しさを紛らわせる為に』 

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