第105話 平和なその後。

1/27 土曜日 10:00


 楽しかった日から二週間後、誕生日プレゼントとしてハサミを貰ったノノンは、あれから毎日美容の動画を熱心に勉強し、カット技術の習熟に勤める日々を送っていた。


 ハサミの持ち方から始まり、イメージ練習に加えて、奈々子ななこさんのロングな髪もちまちまとカットし、更には自分の髪までカットし始めている。学校では日和ひよりさんと古都ことさんからカット技術について教わったり、他にもクラスメイトから勉強したりと、かなり熱心な姿が見受けられた。


 その集大成が、今日行われようとしている。


「じゃ、じゃあ、カット、します」

「うん、お手柔らかに頼むよ」


 土曜日。


 リビングだとみーこちゃんがいるからという理由で、散髪の場所は廊下だ。

 廊下にゴミ袋を敷き詰めて、その上に椅子を置く。

 散髪用のマントを体に羽織り、僕はその椅子へと着席した。


 ちなみに、この二週間で奈々子さんの長い髪は随分と短くなっている。

 膝裏まであった髪が、今や肩くらいまでしかない。

 教わりながらカットしただけあって、出来はかなりいい。

 

 当人も喜んでいるらしく、何よりも手入れが楽になったとほくほくの笑みを浮かべていた。

 前髪や綺麗な分け目もあって、彼女だけを見るなら技術的に問題は無さそうなんだけど。


「……」


 既に、一時間半が経過している。 

 僕の髪は目にかかるくらいだったんだけど、今は、一体どうなっているのだろうか。

 お店と違って鏡がないから、今の自分がどうなっているのか見当がつかない。 


 ただ、ノノンが周りをくるくる回っているので、彼女の胸がたまに目の前にきて、目の保養にはなっている。あと、なぜか汗をかいているのか、ほんのりといい香りもしていた。これはこれで最高な環境だ、そんな適当なことを考えていると。


「けーまぁ……」

「ん、終わった?」

「……ごめんなさい」

 

 第一声がごめんなさいだと非常に不安なのですが。 

 ちょっと待って、僕の頭どうなってるの? え、鏡は?

 終わったことに気づいたのか、リビングから奈々子さんがやってきた。


「あ、奈々子さん、手鏡お願い出来る?」 


 セミロングで可愛らしい、ノノンよりも背が低い彼女は、取っ手を握ったまま僕を眺める。

 そして、口に手を当てながら笑うんだ。


「……ぷっ」

「なんで笑うのかな!? ちょっと、鏡見せて!」


 床には髪の毛が散乱してるから、結局僕が洗面所に行くことになったのだけど。

 ……別に、そこまで変な風には見えない。


 目が隠れるくらいあった前髪も眉くらいになっているし、サイドだって丁寧に仕上がっていると思う。刈り上がってないし、梳いてあるから毛量も少ない……普通に上手だけど。


「思ったよりも上手だね、良かった」

「……あのね、けーま……」

「うん」

「後ろ、なの」

「後ろ?」


 後ろというと、さっきからノノンがずっと何かやってた所だけど。


「おぉ……」


 合わせ鏡にしてくれて、ようやく理解できた。 


 右と左で段差が出来てしまい、修正しようとして上の方までカットし、結果として後頭部の上の方だけが短いという、パイナップルみたいな髪型が爆誕してしまっていた。おまけに下の方もボカシが上手くいっておらず、古い言葉で虎刈りという状態にまで陥っている。

 

 修正に修正を重ねた結果が、これか。


「ごめんなさい」

「まぁ、初めてにしては上出来じゃない?」

「けーまぁ……」

「いいよ、これで。ありがとうね」


 髪型には無頓着な方だから、大丈夫大丈夫。

 どうせ後ろは見えないし、気にすることはないさ。

 髪なんざいつか勝手に伸びる、それまで帽子でもかぶって我慢すればいい。


 ふと、奈々子さんが開け放した扉の向こう、リビングで絨毯に寝そべるみーこちゃんの姿が見えた。寝そべりながらも銀色の瞳はまっすぐに僕を捉え、常に笑みを絶やさないみーこちゃんへと、僕も笑顔になって語りかけるんだ。


「ねー、みーこちゃんも、これでいいと思うよねー」

「……ま?」

「あれ、なんで離れて行くのかな?」

「…………ま?」

「みーこちゃん?」

「………………ま?」


 なぜ離れていく。

 きょとんとした天使の笑みのまま、僕から遠ざかっていくのは何故なぜなんだ。

 

「……別にいいし」

桂馬けいま君」

「ん?」


 奈々子さん、デートの日以降、なぜか僕のことを桂馬君と、君付けで呼ぶようになった。

 だから僕も灰柿はいがきさんではなく、奈々子さんって名前で呼ぶようにしている。

 

 そんな奈々子さんが僕のところに来て「はい、ワックス」って手渡してくれた。

 ノノンの誕生日プレゼントのワックスを付けて、この頭を何とかしろと。


「……とりあえず、お風呂入ってくるね」


 切った髪が散乱しそうだから、何はともあれ、お風呂入らないと。

 その後ワックスを付けて、出来る限りのことをしてみよう。

 それでもダメなら……お店、行かないとだな。


§

 

 あのデートの日から、奈々子さんの身体には変化が訪れていた。

 三日に一回は発症していた性依存症が発症しなくなり、毎晩ぐっすり眠れている。 


 ノノンと依兎よりとさんという二人の母親代わりの存在があって、更には頼れる大人として、日出ひのでさんと月美つきみさんの存在があるんだ。今の奈々子さんは頼れる大人が四人もいる、更には娘の不安も解消に向けて進んでいるのも、きっと大きいのだろう。


『里親か……悪くない案だな。重木かさねぎさん夫妻ならば、収入的にも問題はない。黒崎くろさき君の言う通り、灰柿さんの精神的にも、娘さんの居場所が分かっている方が安心するだろう。選定者の娘という前例のない状態での里親だからな、我々も可能な限りバックアップはするし、補助金という名目での資金援助も出来る。一度私も重木さん夫妻と面会しないといけないな。いや、本当にありがとう、黒崎君には助けて貰ってばかりだな』


 渡部わたべさんへと里親の件を連絡すると、思った以上に好感触で驚いた。

 その後の連絡で、四月以降、みーこちゃんは日出さんの家で生活する事が決まっている。

 僕たちへの恩返しだったら申し訳ないと思っていたけど――

 

「子供が宝物なのは、当然のことでしょ?」


 ――とても自然に、日出さんはこう言ってくれたんだ。


 さすがだなと思うのと同時に、母親の反対を押し切って我が子を産んだ日出さんならば、当然の答えだったのかなとも思えたんだ。四月以降、勇気君とみーこちゃんは兄妹として、楽しく過ごしてくれるのだと思う。たまには会いに行こう、僕たちもみーこちゃんの事が大好きなのだから。


 それと、僕は渡部さんに、まいさんと依兎さんのことも聞いてみたんだ。


『残念だが、二人に関する内容は、既に私の手を離れてしまっている。どうすることも出来ない。椎木しいらぎさんが特別賞を受賞しているのもあって、彼女の功績に期待する声も多かったんだ。その彼女がなぜ女同士でプログラムに臨んでいるのかと、上の方で議論があったらしくてね』


 上の方、つまりは大臣レベルだ。

 まさに国の力、なのだろう。


 分かっていたことだけど、個人でどうこう出来る内容じゃなかったんだ。

 わがままを言った所で渡部さんを困らせるだけ、そんなことは、したくない。


『何はともあれ、灰柿さんを更生の道へと導いている。私からは、さすがとしか言えないよ』 

「……ありがとうございます。ですが今回、僕はあまり役に立っていません。僕への評価は、依兎さんと舞さんに与えるよう、宜しくお願いします」


 僕一人では、解決まで導けなかった。

 舞さんと依兎さんがいてこその今だ。

 

 そんな二人がいなくなる。

 三月、来て欲しくない春が、まもなく訪れようとしていた。


§


次話『またね』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る