第101話 鎖の意味 ※椎木舞視点
1/13 土曜日 09:00
会話がひとつもないのって、とても静かね。
無人タクシーに私とノノンちゃんのみ、会話があろうはずもないか。
桂馬君も恩を感じた以上、依兎さんの交換条件を断れなかったみたいだし。
依兎さんを応援するつもりはないけど、一緒にいるんですもの、助けにはなってあげたい。
恐らく今日、依兎さんは桂馬君に思いを遂げて、そして諦める。
一緒ね、私と依兎さん、全部同じ気がするわ。
「あの」
あら、ずっと無言を覚悟していたのに。
「これ、どこに向かって、いるんですか?」
強い目をしている。多分、桂馬君が出掛けに何か言ったのかも。
ノノンちゃんって思っていたけど、ちゃん付けはそろそろ卒業なのかもしれないわね。
「私のお気に入りの場所。私たちの家だと、今日は嫌でしょ?」
「……はい」
「素直ね、この一年で本当にノノンさんは成長したと思う。喋り方、態度、何もかもが変わったと思うわ。ねぇ、ノノンさん、私は貴女にずっと感謝しているのよ?」
感謝という言葉を受けて、彼女は表情に疑問符を浮かべた。
「
四宮というキーワードを耳にして、彼女はどこか納得したのか、背もたれに深く体を預けた。
どこかまだ不満が残る、そんなノノンさんと共に、私は都内へと車を走らせた。
1/13 土曜日 11:00
到着するなり、私たちは二人そろって、首が痛くなるくらいに天辺を見上げる。
ふふっ、ここに来たら誰でもそうしちゃうわよね。
「高い場所は見慣れてるかもしれないけど、日本一となるとまた違うんじゃないかなって思ってね。こういうとこ、桂馬君と来たことあるの?」
634メートルの巨大建造物を前にして、ノノンさんは茫然と見上げるばかりで。
やっとこさ首を戻すも、骨が鳴って痛そうに手で首を抑えてる。ふふっ、可愛らしい。
「桂馬とは、ほとんどどこにも、行かないから」
「そうなの? 観察官としてのお金だって貰ってるはずなのに」
「マンションの下で、全部済んじゃうの」
確かに、シャトーグランメッセは揃いすぎているものね。
普通はあそこがお出かけ先であって、住まう場所ではない。
しかも彼らが住まうは最上階、降りるだけでも面倒に感じてしまうのかも。
「じゃあ、ノノンさんの初めて、一個私が貰っちゃったね」
「初めて……別に、初めてに価値なんて、ないよ」
あら、予想外の反応ね。
てっきり照れるか、そうだねって言ってくれるかと思っていたのに。
初めてに価値が無いか、なるほどね。
下階のショッピングモールを抜けて、天望回廊へと上がる高速エレベーターに乗っても、ノノンさんは何も言わず。電車の時のように吐いたりはしないみたいだけど、表情に笑顔が宿ることは全然なくて。正直なところ、ちょっと失敗しちゃったかなーって感じがした。
その後も近くの有名なお寺を回ったり、美味しいお店に行ったりもしたのだけど、ノノンさんの心はここにあらず。結局歩くのが疲れた私たちは、近場のコーヒー屋さんに入って、少し休むことにしたの。
「ごめんね、あまり楽しくなかった?」
入店してすぐに、私は席につくなり彼女へと謝罪した。
ノノンさんは私の正面に座ると、そんなことないって否定してくれたけど。
そうは見えないのよね、ずっと不機嫌なままだし。
こういうのは無駄に分かりやすく伝わってくるから、思った以上にしんどいわね。
「まい……まいに、質問したい」
注文したコーヒーが届くと、ノノンさんは真っ赤な瞳を私へと向けた。
「今回のななこの件、ノノン、なにがダメだった、のかな」
桂馬君から事情は全部聞いているし、ノノンさんが質問してきた意図も理解できる。
自分が全部やるつもりだった灰柿さんの相手を、依兎さんが奪ってしまったこと。
更には、それを主導していたのが桂馬君だったこと。
ノノンさんからしたら、裏切られたって思えるくらいにショックだったのかもしれないわね。
「何がダメだったのか、本当に知りたい?」
「……知りたい」
知りたい、そうよね、知りたいに決まってるわ。
だって理解できていないんですもの、大事なことが何もかも。
「分かった、結論から言うわね」
「……うん」
「ノノンさん、貴女は灰柿さんを相手にすべきではなかった」
ここは他の人の耳があるから、言葉を選んだけど。
「でも、ななこ、苦しんでたから」
ちゃんと反論できたみたいね。この程度の会話なら、もう何も問題なく出来る。
なら、徹底して教え込まないと。誰でもない、彼女と桂馬君の為に。
「そうね、でも、灰柿さんは助けてって貴女に伝えたの? 相手をしないと死んでしまう、そんな状況だったの? 確かに辛いかもしれない、その苦しみは私の想像を遥かに超えるのかもしれない。でも現状、苦しみを緩和するのは依兎さんでも可能だった。言い換えれば、誰にでも出来た事なのかもしれないのよ」
別に自分が犠牲になる必要はない。
そのことを伝えると、ノノンさんは私から視線を逸らした。
……逃がさないわよ。
今回貴女がした過ちは、とてつもないことなのだから。
「依兎さんから話を聞いたの、奈々子さんは甘えていただけだって」
「……甘えていた、だけ?」
「ええ、年齢が年齢ですもの、それに環境が甘えられる環境になかった。彼女は甘えられる母親とも呼べる存在を求めていたに過ぎないの。相手をしたノノンさんなら分かるでしょ? 必要以上に自分に甘えてくるなって、思わなかった?」
思い当たる節があるのでしょうね。
表情に影を落として、すっかり元気がなくなっちゃった。
「それが、まず第一の失敗。そして第二の失敗は、桂馬君のことを全然考えなかったこと」
「……けーまの、こと?」
「ええ、ノノンさん、貴女は自分の正義に酔いしれて、伴侶とも呼べる桂馬君のことを少しも考えなかった。桂馬君が貴女に、灰柿さんの相手をしろって言った訳じゃないんでしょ?」
言うはずがない、もしそれを言うような人間だったのならば、もっと早く私か依兎さんを頼っているはず。もっとも、そんな人だったら、私たちは幻滅してるだろうけど。
「でも、ノノン言ったよ? 許してって、ちゃんと」
「許すはずないじゃない、だったら貴女と鎖でなんか繋がってない」
「……くさり?」
「腕輪と鎖、桂馬君は一体何のために貴女に付けたの?」
報告書にしっかりと彼は書き残した。
なぜ腕輪を使用したのか、その時の感情も全て。
それを思い返せば、悩まずとも答えなんかすぐに出てくる。
「……鎖は、ノノンと、えっちしないため」
「なんで桂馬君はしないって判断をしたの?」
「赤ちゃんが、できちゃうから」
「うん、じゃあ、なんで桂馬君は、それをさせないって思ったのかな?」
諭すように、相手が小学生だと思いながら、ノノンさんに問いを与える。
でも、その答えはとても簡単で、すごく当然なもの。
「……ノノンが、困るから」
「言い換えると、ノノンさんが大事だからよ」
桂馬君の行動を見ていれば、すぐに分かることじゃない。
彼は全てにおいてノノンさんを最優先させている。
最初は観察官としての役目だったけど、今は違う、愛する人の為に彼は動いているの。
「誰よりも何よりも大事にしている貴女が、自ら身体を汚そうとして、桂馬君が喜ぶと思う?」
「で、でも、ななこは女の子だから」
「女の子だから何? 何か違うの? 男も女も変わらない、肌を重ねるという行為は、そう簡単に許しちゃいけないのよ。貴女が灰柿さんと一緒になって、一度でも桂馬君は喜んだ? ノノン、よくやったねって、一度でも言った? 言ってないでしょ? 当然よ、だって嬉しくないんですもの。貴女がした行為は桂馬君に対する裏切りともいえるレベルなの。そんなことも理解できないくせに、怒りの感情だけ表に出して、さも自分が被害者ですって顔をされてもね」
桂馬君の落ち込んだ顔を思い出すと、怒りの感情に支配されそうになる。
「今回の一番の被害者は間違いなく桂馬君よ。彼が貴女を見捨てないだけでも、感謝した方がいいと思うわ。いい? ノノンさん、貴女がした事は桂馬君に対する不貞行為、寝取られって言われるレベルの内容なのよ。どこの世の中に愛する人が他の人間に抱かれて喜ぶのよ……あり得ないでしょそんなの」
言い過ぎたかもしれない。
でも、まだまだ言い足りないって思う。
桂馬君も桂馬君よ、こんな女なんか見捨てて、私に乗り換えればいいのに。
……なんて、口が裂けても言わないけどね。
「じゃ、じゃあ……なんで、依兎なら、いいの」
そんなことも分からないのね。
せっかく美味しいコーヒーだったのに、もう完全に冷めちゃったかも。
「愛していないからよ」
深いため息を吐きながら、彼女が望む答えを口にする。
「桂馬君は依兎さんを愛していないから、だから灰柿さんに抱かれても平気なの」
平気じゃないでしょうけどね。
でも事実、彼は依兎さんが灰柿さんに抱かれる事を受け入れている。
見た感じ、それに対して申し訳ないという気持ちはあるけど、嫌悪感を抱いてはいない。
この差は大きい、とてつもなく大きいのよ。
「自分がどれだけ桂馬君に大事にされてるか理解できた? 言っておくけどね、依兎さんだって桂馬君のことが好きなの。私だって桂馬君のことが好きよ? 今回の件がもし依兎さんじゃなくて私にお願いされてたとしても、彼からのお願いなら引き受けてたと思う。自分の身体が汚れる、しかも大事にされてないって分かる内容であってもね」
ノノンさん、私は貴女をとても羨ましく思う。
桂馬君に愛される権利を唯一持つ貴女が、憎いくらいに羨ましい。
「……ノノン、精一杯考えたのに、間違えちゃってたんだ……」
だからこそ、全力で貴女を手助けしてあげる。
結果として桂馬君の信頼を勝ち取れるのであれば、私はそれでいい。
「嫌われたら、どうしよう……ノノン、けーましかいないのに」
ようやく自分がした事の重大さに気づいたみたいだけど。
でもまぁ、責めるのもここまでかしらね。
「間違いに気づけたのなら、それだけで彼はきっと許してくれるわ」
「……まい」
「それに、ノノンさんが桂馬君に対して怒っているのも、彼は喜ぶと思う」
「喜ぶ……?」
「ええ、だって、以前の貴女なら、怒る前にルルカが表に出ているはずですもの。彼女が表に出ずに怒りの感情を桂馬君にぶつけている。これは私たち観察官から見たら物凄い進歩なのよ。解離性同一性障害の治癒が若干とはいえ進んでいる、そう受け取れるものですからね」
今回の話し合いの場もそう。
私に言いくるめられて、激怒してルルカが出てきてもおかしくなかった。
だけど、ノノンさんは自分で考え、言葉にし、理解をしている。
桂馬君の愛がなせる技なのかもしれないわね。本当、彼って凄いわ。
……ほらね、コーヒー冷めちゃった。
アイスも悪くないけど、今日はホットが良かったな。
コーヒーでいいから、私を温めて欲しい。
敵に塩を送るのは、慣れてないのよ。
「まい、最後に、教えて欲しい」
「……」
「けーまに、謝りたい。どうすれば、いいかな」
それぐらい自分で考えなさいな。
って言いたい所だけど。
「じゃあ、その為に一緒に街を歩きましょうか」
「……街を、歩く?」
「どうせ買ってないんでしょ? 桂馬君の誕生日、一月十五日よ」
§
次話『二人の想い、さよならの味』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます