第100話 デートってさ、何のためにするんだと思う?

1/13 土曜日 14:00


吹下ふきした駅? ここに何かあるんですか?」


 見た限りでは、娯楽施設や観光名所といったものが視界には入らない。 

 あるのはコンビニと塾、ロータリーに停まるバスが一台あるのみ。

 埼玉県北部に差し掛かろうとするこの場所において、僕の知識はゼロだ。


「あ、良かった、バスあった」

「バスに乗るんです?」

「うん、出ちゃう前に乗っちゃお」


 乗り込む時にバスの時刻表が目に入ったけど、一時間に二本くらいしか走ってないみたい。


 乗っている人もおばあちゃんが二人、お爺ちゃんが一人、それだけ。おおよそ若者がデートで使うようなバスじゃない気がするけど、二人席に座ると、依兎さんは「バスあって良かったー」とはにかん・・・・だ。


「電車の中でも聞いたけどさ」

「うん」

「桂馬って、ノノンとキスしてないんでしょ?」

「そうですね」

「なんでしないのかなー? って、個人的に思うんだけど」


 指で自分の光沢のある唇に触れながら、依兎さんは不思議そうな顔をした。

 お腹のあたりで腕を組んで、細い、けれどもむちっとした太ももを狭い席で組みなおす。

 

 ノノンと僕がなぜキスをしないのか。

 確かに、事情を知らなければ気になるよね。


「本当なら、五月ぐらいにするつもりだったんです」

「おお、やっぱり」

「でも、ノノンから拒否られてしまいまして」

「え? ノノンから?」


 動き出したバスに揺られ、僕たちは互いの肩を預けた。

 密着した状態になると、依兎さんは思い出したように腕を絡めくっつく。

 

「信じられないな、ノノンって桂馬大好きオーラ半端ないし、何ならもう最後までいって、出来婚しましたって言われても違和感ないくらいなのに」

「そこは違和感を感じて欲しいですね」


 くふふって笑うと、依兎さんはくてん・・・と、僕の肩に頭を預けた。

 左手を先ほどのように股の間にはさんで、必要以上に胸を押し当て続ける。 

  

 凄い攻撃力だ。普通ならこのままキスの一回や二回はしてしまいそうになる。

 依兎さんなら何もかも許してくれそうな気はするけど、でも、絶対にダメだ。


 一度、軽く深呼吸をしてと。


「実は、ノノンって虫歯なんですよ」

「え?」

「それも全部の歯が虫歯だったんです。虫歯のままキスをするのが嫌だって断わられてまして」

「は? じゃあなに、治ったらキスしようってこと?」

「そうなります。でも、早くとも四月くらいになるって聞いてますね」


 苦笑しながらも、素直に理由を吐露する。

 僕がノノンとキスをしない理由はコレしかないんだ。


 もしかしたらその場の空気だけで出てきた言葉かもしれないけど、それによりこの数か月間、僕たちはキスの一つも出来ていない。でも、逆に良かったのだと思う。一度踏み外したが最後、なし崩し的に最後まで行ってしまいそうな気がするから。


「なんていうか、青いね」


 体を僕に預けたまま、組んだ足をぷらぷらさせる。


「でも、その青さがいいかも。アタシはそういうの、全部捨てちゃったからさ」


 好きだ嫌いだなんていう感情は、依兎さんからしたら既に青い感情レベルなのかもしれない。

 くだらなくて、考えるだけで面倒に感じて、無くていいならそれでもいい。

 同じ年齢だけど、生きてきた道のりが違いすぎる。ノノンも、依兎さんも、灰柿さんも。


 選定者の数だけ地獄があって、僕たち観察官は彼女たちを必死になって救い上げる、蜘蛛の糸にならないといけないんだ。


 でも、地獄に下ろせる蜘蛛の糸は一本だけ。

 僕が落とした糸は、ノノンがしっかりと握っている。

 依兎さんまで助けようとしたら、その糸は切れて無くなってしまうんだ。


「着いた、降りよ」


 依兎さんに連れられてバスを降りると、そこはのどかな田園風景であり、どこまでも続く田んぼと、いくつかある小高い丘、それと『目指せ世界遺産!』と書かれた、無駄に大きな看板がある場所だった。


「さえたま古墳群……ここ、古墳ですか?」

「うん。ここからちょっと歩けば田んぼアートもあるらしいよ」


 田んぼアートは聞いたことあるな、どこかのタワーに上って田んぼを見下ろすと、刈られた稲穂が絵になって見えるとか、確かそんなのだったはず。


 水族館の次は古墳か……なんていうか、僕じゃ絶対に選ばない場所のひとつだな。

 僕だったら有名所とか、何かのランキングで一位とかの場所を選んでしまいそうだけど。


「行こ」


 繋いだ手を引かれて、依兎さんと共に歩く。


 冬の古墳は草花も茶色く枯れている部分もあったりして、観光スポットとしてはあまりふさわしくない感じがした。春先や夏場に訪れたら、緑あふれる気持ちのいい場所になるのだろうけど。冬だと遮蔽物がない分、寒風が通ってしまい、単純に寒い。


 曇りじゃなくて良かったなって思ってたけど、さすがに午後になると気温は下がる。

 寒くない? って聞くも、大丈夫って返事だけで、依兎さんは歩くんだ。


「ここ、前方後円墳って古墳の、鍵穴の部分らしいよ?」

「へぇ、そんな場所を歩けるとか、知りませんでした」

「ね、アタシも調べて初めて知ったんだ」


 古墳なんて初めて歩いたけど、小高い丘の上って感じがする。

 腰ぐらいの高さの転落防止用の柵が周囲に設けられていて、花の看板が掛けてあり、見頃は五月って大きく書いてあった。


 やっぱり、冬に来る場所ではないのであろう。

 現に、古墳の頂上だというのに、僕たち以外誰もいない。


「ねぇ、桂馬」


 柵に背を預けながら、依兎さんは僕の名を呼んだ。


「デートってさ、何のためにするんだと思う?」


 風が彼女の青い髪を掻き上げ、寂し気な笑顔を露わにした。

 朝と同じ笑顔を保とうとするのに、目じりが、眉が、それらを否定する。


「考えたこともないけど、単純に、楽しみたいからするんじゃないのかな?」


 思いついたことを口にしたけど、依兎さんは首を横に振った。


「アタシが思うにさ、デートって思い出作りなんじゃないかなって、そう思うんだ」


 デートが思い出作り……か。

 言われてみれば、そんな気もする。


「好きな人といろいろな場所に行って、沢山楽しむんだよ。遊園地に行ったり、動物園に行ったり、美術館に行ったり。日本中に沢山の思い出を作って、どこに行っても思い出せるようにするの。二人だけの軌跡を、二人だけが楽しむ。それが、デートってことだと思うんだ」


 そこまで語ると、柵から離れて、依兎さんは僕の手を掴んだ。

 とても冷たい、氷のように冷えた指先が、僕の手を包み込む。


「だからさ、桂馬」

「……うん」

「アタシからのワガママなんだけど。……この場所に、ノノンは連れてきて欲しくないんだ」


 包み込んだ手を、依兎さんは自分の頬へと触れさせる。

 手と違って頬は温かくて、柔らかくて。


「ここだけは、アタシと桂馬の思い出にして欲しい」

「……」

「思い出を、上書きして欲しくない」


 ここに来てようやく、鈍感な僕は、依兎さんがこんな場所を選んだ理由に気づくんだ。

 冬の古墳なんて絶対にノノンと来ない、いや、例え春になったとしても行かないと思う。

 

 僕らが行く場所はランキング一位の有名な場所だったり、そういう場所しか選択肢には出てこないんだ。ここが選択肢に上がるとしたら、自分で車を持ち、子供が出来て、自然に触れ合える場所に行こうとか、そういうレベルにならないと絶対に出てこない。


 僕の手を離すと、彼女は振り返り、両手で柵を握り締める。

 頭を下げながら体を揺らし、膝を曲げて沈んでいく。


 どう、声を掛けていいのか分からなかった。

 分かったって言葉でさえも、依兎さんを傷つけてしまうような気がする。

 だから、僕も膝を抱えてしゃがんでいる依兎さんを、ただただ見つめ続けるんだ。


 冬の風が、僕たちを包み込んでいく。 


「冷えるよ」

「……ありがと」


 着ていたコートを掛けてあげると、依兎さんは立ち上がり、笑顔を見せてくれたんだ。

 笑顔だったけど……泣いてた。止まらない涙を笑顔のまま流してたんだ。

 沢山の涙で濡れた頬をハンカチで拭ってあげると、ごめんねって、もっとあふれてくる。


 二番目でいはずがない。

 

 依兎さんだって有名な場所に行きたいし、沢山の思い出を作りたいに決まってるんだ。

 あふれる感情を僕とノノンの為に必死に抑え込み、涙として流し落とす。


「依兎さん」

「……」

「この場所には、僕はノノンと来ないよ」

「……うん」

「約束する」


 この答えが正しいものだったのか、僕には分からない。

 抱きしめたぬくもりは間違いなく温かいのに、どうしてこんなにも冷たく感じるのか。

 

「ごめんね、桂馬」

「うん」

「ちょっと、声出して泣いてもいい?」

「……いいよ」

「ありがと……」


 どこまでも澄んだ冬の空に、依兎さんの泣き声が響き渡る。

 胸の中で泣き続ける依兎さんは、とても純粋な一人の少女だった。


 恋に恋焦がれて泣いてしまう、可憐な女の子なんだ。

 そんな彼女のことが、僕も好きだ。

 選定者が依兎さんだったら、間違いなく、今のノノンと同じぐらいに惚れてたと思う。


 ただ、それは口にはしない。

 絶対に、してはダメなんだ。


§


次話『鎖の意味※椎木舞視点』

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