第95話 逃げちゃダメだ。

1/10 水曜日 19:45


「夕ご飯、おいしかった、ね!」

「うん……ノノンさん、料理上手」

「ふへへー、毎日やれば、ななこも上手に、なるよ!」 


 夕食を終えた二人の表情はとても明るく、姉妹のように打ち解けているように見える。

 それはそうだろう、心も身体も許したのだから、そりゃ仲良くもなるさ。

 ご飯食べる時だってノノンと灰柿はいがきさんが隣同士で座り、僕の横にはみーこちゃんがいる。

 

「まんま? ぱぱぱぱぱ、うー」

「みーこちゃん、ご飯美味しい?」

「まままま、うー、ふふぅー」


 ぽよぽよほっぺにニンジンさんくっつけて、キラッキラの瞳で離乳食を求める。

 人参とかじゃがいもとかを崩して、溶かしたご飯みたいなのをもぐもぐもぐと。

  

 ああ……心が癒される。ノノンと灰柿さんのことで泣きそうなほど辛いのに、みーこちゃんを見ているだけで何故だか心が温かくなってしまうよ。灰柿さんが必死になってみーこちゃんを求めていたのが理解できる。この子は本当に天使だ。 

 

「けーま、洗い物、ノノンがする、ね」


 僕がみーこちゃんと仲良さそうにしているのを、ノノンは優しい表情で見ていた。

 眉をハの字にし、頬杖をつき、ちょっと首をかしげながら、彼女はそう言ったんだ。


 最近のノノンは髪を目の上で分けて、七三のようにしている。

 それがとても似合っていて、前髪がはらりと落ちて口元にかかるのとか、本当に可愛い。

 優しくて料理も出来て子供が好きで、良い所しかない彼女が、僕は心の底から好きなんだ。


 だから、辛い。

 

「ななこも一緒、洗い物、しよ」

「……うん」


 灰柿さんと一緒なら、ノノンは洗い物が出来るらしい。

 普段は絶対にしなかったのに、率先して家事に育児に奔走ほんそうしているように見える。

 そんなノノンを見てか、灰柿さんも笑みをこぼしながらお手伝いに励むんだ。


「まんま! きゃっきゃ!」


 母親が嬉しそうにしているのを、みーこちゃんも嬉しそうに拍手でお祝いする。

 ずっと辛そうにしていたんだ、灰柿さんの感情の違いが、みーこちゃんにも分かるのだろう。


 でも、僕はこの時間、この場になっていても、これからの事を二人に伝えていない。

 今晩の灰柿さんの相手を、依兎さんがする。

 そのことを打ち明けてしまったら、多分、灰柿さんは抵抗するのだろう。


 ノノンも素直に受け入れられない気がして……だったらとっとと打ち明けた方が良かったのだろうけど、出来なかった。教室で語る話じゃないし、帰り道も無駄に人が多い通学路じゃあ、やっぱり話す訳にもいかない。帰宅してからは二人楽しそうにしていて、伝えられなかった。


 今の空気を壊すのが、怖いと思う自分がいる。

 多分、僕は臆病なんだ。

 自分が思っていた以上にダメ人間で、そう考えると、無意味に頭を掻きむしりたくなる。


「あー? ぱぱぱぱ?」

「みーこちゃん……」

「うーうー、まん……ぱぱ? ぱぱ?」


 ぱぱ。

 ぱぱじゃないよ僕は。

 ダメな心境に行きそうだったのに、ぐっと引き戻された。


 うん、そうだね、僕はみーこちゃんのお手本にならないといけないんだ。

 だから、間違ってないって、胸を張らないといけない。


「ノノン、灰柿さん」


 僕はみーこちゃんの手を握りながら、二人の名を呼んだ。


「大事な話があるんだ」


 逃げちゃダメだ、二人がしていること、ノノンがしている事がどういう事か、ちゃんと教えてあげないといけない。そのためにも、依兎よりとさんとまいさんの協力は必要不可欠なんだ。ノノンにはキツイ内容かもしれないけど、絶対に、必要だから。


§


「まいと、よりとが来るの? なんで?」

「灰柿さんの相手をしてくれるって、言ってくれたんだ」


 洗い物の途中で席に戻り、エプロン姿のままのノノンは、赤い瞳をきょとんとさせた。

 しばらくして意味を理解したのか、二重瞼を大きく見開く。

 何も言わなかったけど、彼女の目が物語っていた、信じられないと。


「必要なことだと思うんだ。ノノンだけがしょい込む内容じゃないし、灰柿さんの治療という名目なら、相手は依兎さんだって問題はない」


「でも、ななこは、ノノンじゃないと」


「ダメな理由なんて無いでしょ? 灰柿さんの苦しみを理解できるのはノノンしかいないかもしれないけど、苦しみを緩和させられるのは依兎さんだって出来るんだ。本当はこんな酷いお願い、僕だってしたくなかった。現に一度断ってるんだ、でも、それでも必要だからって、依兎さんと舞さんは僕たちのことを思って言ってくれたんだ」


「……ノノンと、けーまの、こと? ななこの為じゃ、ないの?」


 灰柿さんの為じゃない、完全に僕のことを思っての行為だ。

 ノノンと灰柿さんがひとつになっている事が辛くて、それを無くす為の行為だ。


 わがままと言えるのかもしれない、ノノンがしている事は、ドラマでキスシーンを演じている女優と同じことなのかもしれない。きっとノノンは割り切っているんだ、だから灰柿さん相手でも苦も無くこなせてしまう。だけど、僕には割り切ることは出来ない。どうあがいても無理だ。


 器が小さい男……だとしても、それを受け入れて、僕はわがままを口にする。


「僕の為だよ」

「けーま……」

「それともう一つ、今回のことで依兎さんから交換条件を出されたんだ」

「こうかん、じょうけん?」


 ノノンは不安そうなまなこで、僕の言葉を待つ。

 依兎さんが出してきた交換条件、普通なら絶対に受け入れないそれは。


「一日だけ、ノノンと灰柿さん、みーこちゃんを、舞さんに預けることにした」

「……ノノンと、ななこを?」

「うん。そして、僕はその一日を、依兎さんと過ごす」


 言葉の意味は、多分ノノンなら理解できるはずだ。

 依兎さんが僕に向けている好意は、誰が見ても明白すぎる。 

 ノノンは頬の横に落ちる髪をいじりながら、僕を見なくなった。

 

「……けーまが、決めたの?」

「依兎さんから出してきた交換条件だった。でも、僕はそれを受け入れることにした」

「けーまとよりとが、この家ですごすの?」

「ああ、そうなると思う」

「ノノンと、けーまのお家、なのに?」


 ここまで来て、彼女は赤い瞳から一筋の涙を落した。

 自分がしていることへの制裁と思われるかもしれない。


 でも、ノノンがしている事は、彼女からしたら正義なんだ。

 いわれる罪なんて何もないのに、どうして裁かれないといけない。

 苛立って怒鳴られる覚悟もしていたのに、ノノンは一人「いやだな」とつぶやき、俯いた。


 分かるのだろう。

 僕と依兎さんがこの家ですることと言ったら、ひとつしかない。

   

「灰柿さんも、そういうことだから」

「……」

「言っておくけど、拒否権はないからね。でも、安心して欲しい、ノノンとすることは変わらないから。君を悩ませるような酷いことは絶対にしない……発症しなければ、眠るだけだと思う」


 だとしても、引き受けてくれた以上、僕は依兎さんの交換条件を飲もうと思う。

 それが、ノノンに対する〝お説教〟なのだから。


 ……予想通り、だな。

 

 それまでの明るい空気は一変いっぺんし、完全に険悪な空気へと変わっている。

 みーこちゃんが泣かないでいれくれる事だけが、唯一の救いだ。


 少しすると、室内に玄関からの呼び鈴が響き、液晶には舞さんと依兎さんの姿があった。

 ノノンはうつむいたまま動かず、灰柿さんも同様に僕を睨みつけるのみ。

 恨まれるって分かっていたさ、でも、こうするしかなかったんだ。


「買い物してたら遅くなっちゃった」


 玄関を開けるとレジ袋を持った舞さんと――


「やっほー! 貝合わせしにきましたー!」


 ――と、容赦ない言葉と共に、依兎さんが僕の胸に飛び込んできたんだ。

 貝合わせってなんだろうって思ったけど、その時の僕には分からず。

 後で調べて「おいおい」って心の中で叫んだけど、依兎さんらしい発言とも言えよう。


「さてさて、この子が私の相手ですかぁ?」


 うつむいたまま動かないノノンを尻目に、依兎さんは前かがみになって、細くしなやかな指、人差し指と中指を伸ばし、睨みつける灰柿さんの顎をクイっと上げた。ノノンが結わいた髪がはらりとはだけ、灰柿さんの長くて綺麗な黒髪が床へと落ちる。


「……生意気そうな目ぇしてるね、調教のし甲斐がありそ」

「依兎さん、調教って」

「ふふっ、冗談。とりま、身体綺麗にしてくるね」


§


次話『身体が触れ合うことで分かること ※氷芽依兎視点』

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