第94話 桂馬、それは寝取られって言うんだ。

1/9 水曜日 07:00


「ななこ、学校行いくじゅんび、できた?」

「うん」

「あは、ノノンとおそろい、かわいいね」

「……うん」


 あの日以降、灰柿はいがきさんはノノンに心を許している。

 ノノンが灰柿さんを抱いた日、彼女たちは部屋に戻ってこず。


 「おふろ、入るね」と朝になって僕に断りを入れて、二人で汗を流していたんだ。

 多分、お風呂だけじゃない、汚れてしまったシーツ類も全部洗ったんだと思う。 


 多分と付けたのは、あの日から僕が二人の部屋に入っていないからだ。

 なぜだか、入りたいと思わなかった。なんとなく、とても、嫌な感じがする。


 灰柿さんの薬物症状は、ノノンが相手をしたとしても、三日に一回は発症していた。

 でも、都度ノノンが解消することで、一回の所要時間は随分と減っている。

 

 水城さんから年明けに連絡があったものの、症状は解消したとだけ伝えた。

 報告書にもノノンと灰柿さんの事は載せていない。なんとなく、残したくなかった。


 誰にも相談できず、誰にも何も言えず。

 ただ、ノノンが灰柿さんと肌を重ねている事実だけを、僕は受け止めていたんだ。


 それが、年末からずっと続いている。

 今日で十日を過ぎた、当日を合わせて既に四回、彼女たちは一つになっているんだ。


 十二月二十九日、一月一日、一月四日、一月七日。


 赤ちゃんがいるんだ、年越しにどこかに行く予定は元々なかったけど。なんだか、必要以上に疲弊しているせいか、どこにも行きたくないっていうのが、僕の本音だった。ノノンが灰柿さんと肌を重ねるたびに、喉奥を搔きむしりたくなる衝動に襲われている。

 

 そんな、どうにもならない気持ちのまま、僕たちは登校日を迎えた。


「あ、この子が噂の子!?」


 学校へと向かうと、さっそく日和さんが灰柿さんを捕まえた。

 ノノンの時と同じように、朝と帰りの時間だけは教室が一緒になる。

 灰柿さんはノノンにべったりとくっついたままで、離れようとしない。


 別室に移動になるよって言われても、灰柿さんはノノンから離れなかったんだ。

 みーこちゃんを保育園に預ける時は、すんなり離れたのに。


「けーま、ノノンもせんせいにお願いして、別室に、いこうかな」

「……そうだね、その方がいいかも」

「うん、いまは、ななこ優先、だよね」


 誰よりも優先しなくちゃいけない、それはそうなんだろうけど。

 流川先生に聞くと、それはあっさりと了承される事となってしまい。


 現状、僕の隣は空席だ。

 当然のように隣にいた彼女の笑顔は、今は見ることが出来ない。


 灰柿さんの事情は分かってる、僕もノノンも彼女のことを考えて行動しているんだ。

 だから、間違っているはずがない。

 間違っているはずがないのに……なんで、こんなにも苦しいんだ。


 誰かに相談したい、でも、誰にも相談できない。

 ノノンが他の女の子と寝てるなんて、誰に言えるよ。


 なんだかとてもイライラした。

 多分それは、他の人が見ても分かるレベルだったのだろう。



1/10 水曜日 10:10



「なんか、凄い顔してる」


 一人座っていた僕に声をかけたのは、四組のまいさんと依兎よりとさんだった。


 二人が教室へとやってきて男子の一部が色めきだったけど、僕の空気を読んでか、誰も近寄ってはこず。冬のブレザーに身を包んだ彼女たちは、空いていたノノンの席に座り、依兎さんは当然のように空いた小平君の席に座ったんだ。

 

「別に、してませんよ」

「してる、私たちに嘘は通用しないよ?」


 舞さんが顔を覗き込んできたのを見て、思わず机に突っ伏した。

 でも、そんなのお構いなしなのが、舞さんと依兎さんなんだ。


 依兎さん、僕の肩に手を置いて、顔を耳元に近づけて囁くように語り掛ける。

 

「観念しとけって。舞の奴、毎日桂馬の日報読んで、これはおかしい、何か起こってるって心配してたんだぜ? 本当は昨日捕まえたかったのに、お前らすぐに帰っちまうから。ほれ、言ってみろよ、アタシたちだって観察官と選定者なんだぜ? 他の奴等には無理でも、アタシ等なら力になれるかもしれないだろ?」


 舞さんと依兎さんになら出来ること。

 何もないと思うけど、僕のイライラの原因ぐらいは分かって貰えるかもしれない。


「じゃあ、聞くだけ聞いて欲しい、かも」

「いいぜ、じゃああそこ、屋上の閉鎖階段行こうぜ。あそこなら誰もいないし」


 青白い髪を揺らしながら、依兎さんが親指で指さししたあそこ。


 屋上へとつながる階段、扉が閉鎖されてるから屋上へは入れないけど、階段は途中まで上がれるんだ。荷物置き場と化したその階段には、基本的に生徒は近寄って来ない。埃だらけの階段を軽く拭いて、僕はそこに座り込んだ。


「一応、極秘情報だから、誰にも言わないでね」

「あいよ、誰にも言わないよ」


 溜まっていたのだろうね。

 僕は年末からの出来事の全てを、彼女たちに打ち明けてしまったんだ。

 水城さんからの説教が頭をよぎったけど、そんなの構うもんか。


「思っていた以上に、大変なことになっているのね」


 舞さんは感想を述べた後、腕を組んで壁に背を預ける。 


 みーこちゃんの為にも、母親である灰柿さんの身体、精神をケアしなくてはいけないと思うのだけど。一番適切な方法がなんなのか、今ノノンがしていることが最善なのかすらも分からないんだ。四面楚歌と言えるのかもしれない、出口が何も、何一つ見つからない。


 重苦しい溜息を吐くと、隣にしゃがんだ依兎さんが、僕の肩を軽くぱんぱんと叩く。

 そして、自分の指で自分を指さししながら、彼女はこんな提案をしたんだ。


「なぁ、桂馬」

「……うん」

「その灰柿って子の相手、アタシがしてやろうか?」


 突飛な意見に、一瞬理解が追いつかなかった。

 依兎さんが灰柿さんの相手を? 

 ふさぎ込んでいた顔を持ち上げると、依兎さんは青白い髪を掻き上げながらほほ笑む。

 でも、僕は彼女の申し出に対して、首を横に振った。


「そんなの、申し訳なさ過ぎてお願い出来ないよ」

「そうか? アタシだって普通の女の子じゃないし、同性とだって寝たことあるぜ?」

「……そうかもしれないけど、でも」

「大丈夫だって、ちゃんと交換条件設けるから」


 交換条件って、何だろう。

 依兎さん、舞さんの顔を見て、うんって頷いてる。


「桂馬君、これは私からの提案でもあるのだけれど」

「……はい」

「依兎さんの好意を受け取ってもいいと、私は思う。というか、今のノノンちゃんがしている行為は、ちょっとお説教しなきゃいけない内容だと思うの」

「お説教、ですか?」


 腕組みしたまま表情を緩ませると、舞さんは膝を揃えてしゃがみ込み、僕へと顔を近づけた。


「桂馬君という最愛の人がいるのに、ノノンちゃんは治療行為とはいえ他の女とベッドを共にしている。こんなの、普通だったら耐えられるはずがない。男も女も関係ないのよ、最愛の人が自分以外の人と肌を重ねているなんて、許せるはずがないじゃない」


 僕の中の苛立ちの全てを、舞さんが言語化してくれた。 

 最愛の人が、ノノンが灰柿さんと性行為に及んでいる事実を、僕が耐えられるはずがない。


「…………っ」

「桂馬」

「桂馬君」


 途端、目頭が熱くなって、視界が一瞬で滲んだ。

 嗚咽が止まらなくって、力いっぱい自分の膝を握り締めて。震えて。

 

 休み時間いっぱいの時間を使って、僕はため込んだ感情を涙として吐き出したんだ。

 苦しかった、あの日からずっと苦しかった。

 当然だ、最愛の人を寝取られて、その行為を聞かされて。

 そんなの、苦しいに決まってる。


§


「……ごめん」

「いいよ、たまにはこういう事だってあるだろ」


 二人に抱きしめられて、彼女たちの制服を濡らしてしまった。

 止まらなかったんだ、でも、それを受け止めてくれて本当にありがたかった。


「さっきの件、本当に依兎さんは大丈夫なの? 内容的に、とても酷い内容だと思うんだけど」


 ノノンの代わりに灰柿さんの相手をしろということは、依兎さんに生贄になれという風に聞こえなくもない。少なくとも、僕に好意を寄せている女の子に対して、他の女の子と夜を共にしろという言葉は、依兎さんよりもノノンの方が大事だと言っているに等しい。


 とても、最低なお願いだと思う。

 でも、そんな思いを把握しても、依兎さんは微笑みを崩さないんだ。


「前に言ったろ? アタシは桂馬が望むのなら、いつだって抱かれてやるって」

「依兎さん、そんなこと言ってたの?」


 しゃがんだまま、舞さんは眉根を少しだけ寄せた。


「舞、ごめん、言ってたんだ。だからじゃないけど、桂馬がお願いしてくることなら何だって聞くつもりだった。アンタはアタシの命を、家族を救ってくれたんだ。恩を受けたままだと、荷物になっちまうからな。少しくらい返させてくれ、それでやっと、ちょっとは平等になるだろ」


 ぽんぽんって背中を叩きながら、依兎さんは僕に寄り添う。

 心の底から嬉しかった……それと共に、罪悪感にもさいなまれた。

 それでも、今の僕には頼れる人が、彼女たちしかいない。


「……分かった、本当にごめん」

「いいって、それで、その発症っていつの予定なんだ?」

「三日おきだから、多分今日の夜」

「今日か、分かった。夜になったらお邪魔するから、マンションの登録だけよろしくな」


 二人は立ち上がると、舞さんはさっそく連絡を取るらしく、スマートフォンを手に取った。

 対して、依兎さんは僕を見降ろしたまま、にんまりと笑顔を崩さずにいる。


「桂馬」

「うん」

「交換条件だけど」


 依兎さんが出した交換条件、普通だったら受け入れがたい内容だったけど。


「……分かった」

「約束だぞ、絶対に約束だからな」

 

 依兎さんは手をピストルにして、ばきゅんっと口にした。

 撃ち抜かれたのは僕の心臓か、心か。

 どちらにしても、ただただ頭を下げることしかできなかったんだ。


§


次話『逃げちゃダメだ』

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